【歩き旅と思索】 ~6・気象の迫力~
~簡単な自己紹介はこちらになります~
お天道様の下、テクテク歩き続ける中で気づくことは実に多い。雲、日差し、青空、夕暮れ時の色合いの変化、こういった、視界に映るもろもろのものが、私の瞳を通じてとどまることなく変化し続ける。
ふだん意識することのない気象というものに、意識が向く。その存在感の大きさ、偉大さに、気づかされ、圧倒される。
滋賀県の琵琶湖沿いに、米原から大津方面に歩いていたときのことだ。
朝からそれなりに天候は良かったはずだが、3時をすぎると進行方向後ろ側(岐阜県側)から不気味な曇り空がゆっくりと迫ってくるのが見えた。
ゴロゴロ、と実に人間の心臓によろしくない振動音を伴っている。
現代を生きる私にとっては、この雷雲などたいした恐怖の対象ではない。はずだ。いざとなれば、建物の屋内に隠れればいいわけだから。
そうはわかっているものの、ヒタヒタと気持ち悪く追い迫る黒雲の存在は、実に不気味で、当時23歳だった私を結構な恐怖に追い込んだ。
私はそれまで、雲も、雷雲も、その迫りくる姿も、意識して眺めたことがなかった。建物、車という、「安全」に身を守られながら暮らしていたからだ。
それが、歩き続ける旅というものをする中で、この薄っぺらい安心感、土台というものが、崩れ去った。
気象は、怖い。天候、雲、雷、雨、自然が引き起こすもろもろの音や振動は、実に迫力があり、恐ろしく、かつ、不思議な魅力がある。
その日、私はひたすら早足で大津への道を急いだ。なんとか、黒雲の接近をかわしきった、そのような記憶がある(ひょっとしたら追いつかれて雨雲にやられていたかもしれないが、20年近く昔なので詳細を覚えていない)。
とまれ、自らの脚を交互に出すという単純素朴な行為を続ける中で、凝り固まった現代人の視点から少し距離を置くことができ、空間の不思議な魅力を体で感じることができた。
人間、生きている限り、時間と空間とは切っても切れない関係にある。そのなかでも「空間」については、大いにその魅力を探求する余地がまだまだ残っていると感じる。科学や知識とは、また違った世界が、あると感じる。