おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【歩き旅と思索】 ~20・空間の捉え方が変わる~

~簡単な自己紹介はこちらになります~

ojisanboy.hatenablog.com

 

ただ歩くだけの旅だが、これがどうにも面白い。

明確な理由や理屈があるわけではない。ただ、面白くて楽しいから歩いている。理屈は後からついてくる感じだ。

出発地点から一歩踏み出した時点で、世界の見え方が変わってくる。日ごろ見慣れているはずの道路、ビル、看板、青空、樹木、あらゆるものが、限定された意味から解放されて迫ってくる。

道路であれば、「人や車の往来をスムーズにするためのインフラ」、という機能面にとらわれることなく、ものそのものとしてとらえるようになる。あらゆるものが、不思議な存在感を放ってくる。

これはどうしたことか。考えてみるに、現代社会で生きる私は日ごろ、さまざまな制度や機能の枠組みにはめ込まれた形で生きている。会社員として決まった時刻に出社し、与えられた特定の空間で仕事をし、一定の時間の枠内でランチを食べ、陽が暮れると帰途につく、といった具合だ。そこでは効率性や機能性が大いに発揮され、現代社会ならではの恩恵にあずかることができる。だが、少々堅苦しさ、息苦しさを感じることもある。
 
歩き旅では、こうした機能性、効率性から心が解き放たれる。看板、道路、信号、さまざまなものを、瞳に映るがままに自由に感じるようになる。特段の意味も持たず、「赤」「四角」「大きい」「きれい」といった、素朴な印象や感想が純粋なかたちでこころに浮かんでくる。
 

私自身も社会的な肩書を忘れる。会社員でもなく、息子でもなく、夫でも父親でもなくなる。ただの40過ぎの人間にすぎない。風が吹けば飛ばされそうなほど、軽い存在になる。それが、実に心地いい。

1日歩き、足腰をほぐし、終わりにテントで缶ビールをプシューとやる。ああ、最高だ。
 
~お読みくださり、ありがとうございました~