おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【随想】中心

「中心」はどこにあるのか。

 

個人でいうならば、肉体精神をつかさどる部分。司令塔。

 

脳か。脳であるなら、その中のさらにどの部分か。1点で指し示すことができるか。

 

かなり難しそうだ。なぜなら脳は前後左右奥表層とさまざまな部分の機能が高度に組み合わさって働いているようにみえるからだ。

 

個人に「中心」というべきものを見出すのは難しそうだ。

 

目線を広げる。この視界すべてに入る空間で、あらゆるものを秩序立てている中心というべきものはあるか。

 

世の中を秩序立て、美しく保つ「宇宙の中心」というべきものはあるだろうか。

 

ますます難しい問題だ。

 

夏が終わろうとしている。まだ多分に湿気を伴った外気は少なからぬ不快感を与える。ただ、田舎の生活道路を歩いているとき、ふと目を上げ、青空に吸い込まれ、息吹く緑のあたたかさに気づくとき、何か平和なものが辺りに満ち満ちているのを感じる。

 

この一体感は、どこからくるのだろう。誰が一体、この平和をもたらしてくれているのだろう。それは、一体どこにいるのだろう。

 

足元に立ち返ってみる。指が自由に動く。脚が動く。どれも自ら一定の機能を持ち、その中で自在に動いているようにみえる。例え脳からの指令にもとづいているとはいえ、おのずから動く自由を発揮しているようにみえる。

 

よくよく考えると、身体のあらゆる部分が、極小の細胞から成り立っている。細胞同士が不思議な連携機能を働かせて、人間というロボットをはるかに凌駕した高次な知的精神的身体的存在を生み出している。

 

身体のどこにも中心はない。一方、どれもが同じく等しく働いている。

 

環境においても然りなのかもしれない。見渡す限りの空間で、どこにも世界を統べる点はない。安寧をもたらす中心(存在)があるわけではない。安寧は、世に存在するあらゆるものがもたらしている。

 

どれもが中心なのだ。

 

とるに足らない存在というものは、ないのだ。

 

そう考え至ると、わずかばかりだが心が癒されるように感じる。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~