【サラリーマン、家系図をつくる】5・江戸時代の「家」
私は分家の人間だ。縁あって本家に連絡がつながった下りを前回書いた。
その本家の過去帳を見せていただいたことで、江戸時代の先祖あるいは日本人の暮らしが少し垣間見えたように感じた。いくつか挙げると
①子だくさん
②嫁ぎ先、もらい先は意外と広範囲に及ぶ
③かなり多くの先祖が成人する前に亡くなっている
このようなものがあげられる(私の家系の場合)。
①については、とにかくどの代も子供が多い。男の子、女の子、合わせて10人くらいいる代がかなりあった。元禄ごろの時代から幕末まで、その傾向はあまり変わりない。
②については軽い驚きがあった。1日歩き続けてたどり着けるか、というぐらい離れた先から嫁いできたり、逆に養子として入っているケースが散見された。江戸時代は「血」よりも「家」が明らかに重視されていたようだ。「家」を守り継ぐために、遠方を含めて積極的に子供を送り出し、また迎え入れていた。
③は説明の必要がないかもしれない。生後数日で亡くなった、3歳で没、17歳で没。挙げるときりがない。ある代は、9人の子供が20歳になる前に亡くなっていた。疫病にやられてしまったのだろうか。親の心はいかばかりだったか。今なんとか自分自身や家族が元気に生きていることが申し訳ないような、ありがたいような、神妙な気持ちになる。
あと、これは不思議なのだが、墓地がはるか離れた場所にある人物がいた。縁もゆかりもなさそうな地で、なぜ葬られたのか、経緯がまったく分からない。
いろいろ過去帳には書いていたのだが、ある代は縁あって江戸に上っていた。その移動記録を残していた。ただ、それが実に事務的で、何を食べ何を見て何を感じたのかを触れておらず、少々がっくりしてしまった(ご先祖様、申し訳ありません!)。
以上書いたのは江戸時代の記述部分だ(年号から時期を特定することができた)。これ以前の時代についても記述があった。ただ、これは残念ながら年号と一緒に記載されていないので、どの時代に起きた出来事なのかがいまだに分からない。内容は
◎◎(私の苗字)を名乗る兄弟が、◎◎地方の◎◎という(海辺の)村に至った。兄は◎◎の娘をもらって◎◎に移り、侍となった。弟は◎◎(兄とは真逆の方向に至り、地侍となった。(弟の家系の子孫が私になる)
私自身の苗字に関する情報を図書館などで調べるうち、ある程度は裏付けをとることができた。ただ、あと少し補足情報がほしいと思っている。
一族の過去帳や言い伝えだけでは経緯が判明しないことも多々ある。その穴を埋めるためには、図書館などにある古文書をひもとく必要がある。私はその手法で幾つかの穴を埋めることができた(もちろん完璧ではないが)。その点についてはあらためて触れたい。
~お読みくださり、ありがとうございました~