おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン、家系図をつくる】4・「本家」につながる

~簡単な自己紹介はこちらです~

ojisanboy.hatenablog.com

 

明治より以前の家系図をたどろうとすれば、それぞれの家の本家筋に当たる必要が出てくる。どこの家も、本家に一族の主なお墓があり、過去帳がある。資料も多い。そこにつながることができれば、一気にまたさかのぼれる可能性がある。

 

本家とはなんぞや?という方も多いと思う。私もそうだった。ただ、祖父や親父が「うちは分家。本家は今東京にいるらしい」という話だけ聞かされていた。

 

祖父も親父も、その本家とやらのお顔も知らず、会ったことも話したこともなかった。ただ、たまたま墓地が重なっており、区画整理で地権者に連絡がゆきわたった際に連絡先が分かった。

 

とはいえ、うち(分家)と本家との間には何の交流もない。少なくとも過去50年近くはそうだった。それだけに「家系図づくりをしているから過去帳を見せてほしい」と頼むのはとても緊張した。

 

まあそれでも、頼んでみないことには前に進まない。東京からはるか離れた田舎のまちから、本家の男性(当時80代)方に電話を入れてみた。

 

率直に、正直に、こちらのお願いを申し上げた。どうか過去帳を拝見させていただきたい。ご快諾いただけるならば、上京して撮影させていただきたい。そのようにお話ししたところ、男性は実に快くお受けくださった。会ったことも話したこともない人間を信じてくださったことに、心より感謝した。

 

夏休みの旅行を兼ねて状況し、本家宅をお邪魔した。私の素性を明かし、会社の名刺をお渡しし、まずは怪しい人間でないことを丁寧に説明した。男性は途中からすっかり心を開いてくださり、ご本人が聞き知っている限りの本家の歴史、親族関係を話してくださった。

 

そのお話が実に面白かったのだが、なかなか話せないこともあるので控えておく。だが、どのご家庭にもご先祖様の面白い話というものはあるはずだ。

 

男性の了解の下、本家の過去帳を1枚1枚デジカメで接写していった。

 

過去帳は戦前に作成されていた。当時、自作用の過去帳ノートのようなものが流行っていたようで、所定の様式に沿って系図や代々の戒名、生年没年略歴などを書き込む欄があった。それが3冊。かなり分厚かった。

 

一族のルーツに関する記述もあった。時代こそ書いてなかったが、誰がどういうルートで今の土地に移り住んできたかも記されていた。好奇心を大いにそそられた。

 

話せる限りの詳細は、次の回でお話する。先に一つ触れておきたいことがある。それは、協力してくださった本家の男性が、それから3年ぐらいで連絡がつかなくなったのだ。

 

おそらく介護施設などに入所されたのではないかと思う。電話番号が「使われておりません」になった。お子さんはおらず、そこからまったく音信不通となった。

 

あのとき、電話を掛けていなかったら、こうした出会いはなかった。親父がふと「家系図、つくれないか」とつぶやき、動き出したことで、時間切れになる前に本家につながることができた。私は宗教心の篤い人間ではないが、何か先祖の霊が親父を通じて子孫の私に頼んでこられたのではないか、そんな気もしている。

 

とにかく、早く取り掛かって、よかった。皆さまも、もし関心がおありでしたら、1日でも早く動き出すことをお薦めします。遅れてしまったら、永久にたどり着けない可能性があります。

 

お読みくださり、ありがとうございました。