おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン、家系図をつくる】2・まずは除籍謄本を調べる

私は片田舎に暮らすしがないサラリーマンだ。10年ほど前、親父からふと頼まれた(というよりつぶやかれた程度)のをきっかけに、家系図づくりに取り組み始めた。

 

約4か月で、父を含めて17代上までさかのぼった(戦国時代末期)。

 

~概要につきましてはこちらをご参照くださいませ~

【家系図をつくる】1・自力でたどる醍醐味 - おじさん少年の記

 

すんなり分かったわけではない。面識のない親戚に電話で資料コピーをお願いしたり、役所の窓口で開示申請をしたり、親戚を含む墓地を訪ね、墓石を写真撮影し、刻まれた文字を解読したりと、やれる手を尽くした。家系図の縦線がつながらない部分もあった。難渋し、資料を見比べ、なんとか結果的に、一本の線を引くことができた。

 

苦労はあったが、自分のルーツを少しでも明かすことができたことに喜びを感じ、それまで知らなかったご先祖様の歩みの一端を知ることができたことに、感慨を覚えている。

 

自己紹介はこのぐらいにして、家系図づくりのマスト作業から振り返りたい。まずは、除籍謄本のリサーチだ。

 

私は行政マンではないのでその仕組みはよく分からないが、「鬼籍に入った人の戸籍」、といえばイメージしやすいだろうか。その方の直系の子孫であれば無条件で資料提供してもらえる(有料。一通数百円)。

 

例えば、死んだじいちゃん(仮に「与作」とする)であれば、与作の除籍謄本を請求する。「自分自身の家系図を作りたくて調べている」と窓口の職員に伝えれば、すんなり話が進むだろう(私の場合はそうだった)。

 

自宅の仏壇に保管されている過去帳よりも詳しい情報が除籍謄本には載っている。与作の兄弟姉妹、それぞれの生年や没年が記載されている。与作の除籍謄本が取れたら、その上の代(与作の父)に進む。仮に「田吾作」であれば、同じように田吾作の除籍謄本を請求する。このあたりから面白くなってくるが、田吾作レベルになると兄弟姉妹親族関係で知らない名前が出てくる。「こんなに兄弟がいたんだ」「あ、幼くして亡くなった妹がいたんだな」「こんな遠方の人と結婚していたのか」など、数々の発見がある。

 

これをたどることで、明治初期まであっという間に明らかにすることができる。私の場合はこれで6代前まで判明した。調べてみる価値は大いにある。

 

例えば4代前(ひいひいじいちゃん)の場合、プロフィールはこう書かれていた。

 

文久○年○月○日生」「安政○年○月○日相続 大正○年○月○日改製ニ付本戸籍ヲ抹消ス」

 

ひいひいじいちゃんんには弟が7人、妹が5人いた。例えば妹の一人は

「明治○年○月○日生」「大正○年○月○日 ○郡○村○番地戸主 ○○(人の名前)長男○ト婚姻 ・・・(長い手書きの文章が続く)」

 

と書かれてあった。いつ生まれ、どこの家の誰と結婚したかまで書かれてある。家系図の縦ラインだけでなく横ラインをつくる上では非常に役立つ情報だ。それにしても、昔の人はやはり子だくさんだ。

 

ちなみに行政区の名前も明治期は何度か変わったりしていて、それを知るのも面白い。

 

と、ここまで楽しいことを書いてきたが、1点、残念なことがある。除籍謄本は、亡くなった方の戸籍がある自治体でしか取れない(この表現が法律的に正しいかは分からないが)。つまり、「山形のばあちゃん」の除籍謄本を取ろうと思ったら、山形県〇〇市まで訪れて住民課などで請求しなければならない。郵送などで申請・取り寄せもできるそうだが、手続きは面倒なようだ。

 

その点だけ頭に入れていただいた上で、動き出すと、意外な人間関係が見つかったりする。歴史上の人物が登場してきたりする可能性もあると思う。

 

除籍謄本についてはもう一つ、役に立ったことがあるので、あらためて触れることにしたい。