ある地点から、一歩、一歩、移動してゆく。
そのわずかな一歩の間に、大きな変化は、ない。
だが、不思議なことに、その一歩、一歩を重ねてゆくと、どこかの時点で、数学でいうガウス関数のように、突然環境がガラリと変わる瞬間が、ある。
東京から南へ下っていたときのことだ。神奈川の藤沢、小田原、箱根と歩き過ぎ、峠を越えて三島のあたりまでたどり着いたときのことだ。
さらに南に下るため、私は道端で出遭ったおいさんに道を尋ねた。おいさんは、こう答えた。
「あの、若草神社が、見えるらぁ?」
らぁ、とな。こんな語尾、関東では全く聞いたことがなかった。私の出身である、九州でも一度も耳にしたことがない。
言葉が変わる瞬間を、体験した。
人間は、そこで暮らす土地空間の中で、言語を養い、独自に発展させているのか。
関東平野はどこまでも広がるように見える。そこに、言語の変化は、見えないように思える。だが、その周縁部にある丘陵なり峠をまたぐと、またまったく違った言語体系が広がっている。実に面白い、そう私は感じた。
自然の地形により、人の行き来は自然、遮られ、そこで言語や文化の断絶が生まれ、文化の多様性が生まれる。インターネットが世界中の人をつなぎ、均質化していく時代にあっても、まだやはり、個性、土着の文化というものは、残るのだ。そういうことを、私は感じた。
空間は等質的に広がっているようでいて、実は濃淡があるのではないか。
箱根越えを通じて、疑念と好奇心が深まった。
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