大人に近づくにつれ、よく言われたもんです。
「個性を出せ」と。
部活でも趣味でも、個性を出し、自分らしさを磨くことで、学校や会社でも認められる存在になれるんだと。
でもね、そんな無理して個性って磨かないといけないものなんでしょうか。
胸張って言える特技や趣味がなくても、いいんじゃないでしょうか。ないことそれ自体も、個性かもしれないじゃないですか。
「えぇ~、昔々、あるところに、こどものなかなか授からない夫婦が、おりまして、・・」
おどおどした口調で男が切り出したのは、落語の定番ネタだった。
営業の終わった下町の演芸場。無人の観客席を前にした一人稽古。緊張する必要もないのに、既におでこが汗ばんでいる。
二十歳の男は小学生のころから噺家に憧れ、高校を出て憧れの師匠の門をたたいた。師匠のネタは何百回、何千回と聴き、寝言で口からセリフが勝手に流れ出すほど吸収している。笑いのツボもつかんでいる。だが、生来のあがり症。高座ではどもりにどもり、会場を静まり返らせる大失敗を繰り返してきた。
でもやっぱり、落語でみんなを笑わせたい。毎日のいやなこととか、ぜんぶ笑い飛ばして、ハッピーになってもらいたい。
熱い想いがかえって重荷になるのか、セリフがどうしても詰まる。
「あーいかんいかん!なんとかせんと!落語の神様、助けてくださいまし~っ!」
腹の底から沸き起こる男の願いは、一人の男に届いた。
ざんねんマン。
日本で生まれた人助けのヒーローだ。ただ、これといった特技はない。「助けて」の一言に弱く、どこでも駆けつけてしまう。この日は近場で夕飯の火鍋をつついていたこともあり、5分ほどで演芸場にたどり着いた。ドアをそろりと開いた。
「おおっー?」
高座から見下ろす男の瞳は、驚きと興味の色であふれた。
願いを受けて、神様がきてくれたのか。きっと、何かいいアドバイスとか、励ましの言葉をくれるんだろう!
だが、ざんねんマン、誠に残念なことに、落語の世界はよく知らない。人気の噺家も柳家喬太郎ぐらいしか知らない。何も語ることができず、ただ観客席の隅っこから男を見上げるのみであった。
~ったく!なんの助けにもなんね~じゃねーか!
がっくりと肩を落とした男、「神も仏もあったもんじゃねえ」とあきらめの境地に入ったか、気を取り直したようにネタの稽古を再開した。
「長く子供のいなかった夫婦、ようやく授かった男の子をことのほかかわいがりまして。長生きしてくれよとなと、近所のお寺さんに縁起の良い名前を付けてもらうことにしたそうなんです。その名前が・・」
落語の定番「寿限無(じゅげむ)」のセリフが、神がかったようにスラスラと口から飛び出す。「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)・・」
空気が変わった。口をかみそうな早口言葉を、男は楽器を奏でるかのように楽しげに語りきったのであった。
目の前には、ただ黙りこくるだけのざんねんマン。何の役にも立たない。一方、何の邪魔にもならない。いてもいなくても大して影響のない、実に軽い存在が、かえって「無用の用」として働くことになった。男の心を緊張の鎖から解き放ち、潜在能力を引き出す触媒の役割を果たしたのだ。
「要は、無心になる、ということだったのか・・・」
今まで、観客の反応ばかり気にしてきた。だけど、そうじゃない。本当に楽しいと思うことを、そのままに表現してあげればいいんだ。純粋で無心に表現したことが、お客さんに伝わるんだ。
右手をたたみにポンと置き、得心したように深くうなずいた男は、高座から「ありがとよ、おいらはもう、大丈夫だ」とざんねんマンに呼びかけた。
「ありがとよ」 その言葉を耳にすると、照れ屋のざんねんマン、思わず顔を伏せた。とまれ、人を救うことができた。一礼し、ドアを開ける横顔は、やけにニヤけていた。
ざんねんマン、今日も結構、いい仕事をした。ただ、人助けできたわけを分かっていないところが、ざんねんマンたるゆえんなのであった。
~お読みくださり、ありがとうございました~
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