おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第10話・乱世を生きる貴人の悩み~

これほどの屈辱を受けようとは。

 

怒りとも哀しみともつかない、複雑な感情が、貴人の心をかき乱した。

 

ときは、侍の世になって久しい鎌倉時代末期。武士政権の都合で一度は天皇の座についたものの、再び権力争いに巻き込まれ、やがて座を追われ、果ては幽閉の身となっていた。

 

その名は光厳院(こうごんいん)。天皇の御子として生を受け、すべてが満たされたような環境で育った。だが、それは上辺だけのこと。常に権力の亡者たちによる権謀術数に振り回され、心の平安とは無縁の半生を送ってきた。もう残り長くもないであろう人生の後半を、こんなあばら屋で迎えることになるとは。

 

安らぎを得たい。どうすれば叶うのか。神仏よ、どうか我に智恵を授けたまえ。

 

切なる願いは、時空を超え、21世紀の東京で昼飯の牛丼をかけこむ一人の男に届いた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。残りの米粒を箸で器用につまみ上げ、空になったどんぶりを大将に見せると、ガラリ引き戸を開け自宅に向かった。

 

殺風景なワンルームにある1台の机は、実はタイムマシーンでもある。机の引き出しを開け、頭からスルリと入り込むと、4次元空間に浮かぶ車に飛び乗った。

 

慣れた手つきでハンドルを操り、まもなく視線の先に袈裟(けさ)をまとった一人の男性が見えてきた。この方か。男性がたたずむ一室に入ったところで、車からえいようと飛び降りた。

 

「な、なにやつ」

 

突然現れたマント姿の男に、光厳院は恐怖で固まった。さては我の命を狙いにきよったか。こんな見慣れぬ風体の男に、引導を渡されようとは。

 

もはや観念したかのように目を閉じる光厳院。一方のざんねんマン、何をどうしてよいやら分からない。

 

はてはおかしい、一向に襲ってくる気配がないぞ、何が起こっているのかしらん―と院が瞳を開くと、額に手を当てて考え込むマント男。間の抜けた格好に、光厳院の警戒心もはらりとほどけた。

 

「そちは、いったい何用で参ったのじゃ」

 

いたわるように語りかける光厳院。ざんねんマン、やや緊張した面持ちで「はい、人助けにと・・」とつぶやく。ふむ、人助けとな。そういえば我はさきほど、心の平安を神仏に願うた。するとおぬしは、神仏の使いか。それにしても、うだつの上がらぬ格好じゃが・・

 

これまで、数多くの人間に接してきた。その多くが皇統の権威を前に媚びるか、はたまた甲冑姿で威圧してくるか、とにかく心根の透けて見える者たちだった。だが、目の前のこの男は、どうも違う。人を利用しよう、傷つけようという、あさましい心の持ち主ではないようだ。数多くの人間を目にしてきたからこそ、分かることであった。

 

才覚の優れた人間でも、高貴な家の出でもなさそうだが、今まで出会った誰よりも満たされているように見える。なぜだろう。「そちは今、幸福か」

 

院の問いに、マント男は面食らった。「幸せか、といわれましたら、まあそこそこ、幸せかもしれないですね・・仕事もさせていただいて、ご飯もちゃんといただけていますし。あ、牛丼とか、めちゃくちゃおいしいですよ」

 

小半時前に食ったどんぶりが脳裏に蘇ったか、マント男はペロッと舌を出した。この男、つまりは日々の何ということもない暮らしの中に喜びの種を見いだしているのか。

 

院はふうと小さく息を吐き、周りを見回してみた。男のほかには、かすかにゆらめく蝋燭(ろうそく)の炎のみ。しんしんと雪の降る夜は、物音一つしない。まさに静寂。平安。安らぎは、実に目の前の世界に広がっていた。

 

「そちは変わり者のようじゃが、しっかと人助けをしたぞよ」

 

光厳院、マント男の肩に手を掛けた。もうよいぞ、おぬしの国に帰るがよい。

 

牛丼の話しか発していないざんねんマン、これで良かったのかと惑いつつも、再びタイムマシーンに乗り込んだ。「すいません、何もできませんで」

 

21世紀の東京。院のその後が気になったざんねんマン、図書館で彼にまつわる資料を調べてみた。院の手による歌集があり、そのうちの一首に目がとまった。

 

小夜(さよ)ふくる

窓の燈(ともしび)

つくづくと

影もしづけし

我もしづけし

 

夜が更けている。窓際に据えた燈のあかりのみが、視界を包む。ろうそくの影が、静かにたたずむばかり。それを眺める私の心も今、ひたと静まっている。

 

眼前に広がる静寂を、そのままに味わったことで、遂にこころの安らぎを得た。新たな境地に至ったことを、その一首ははっきりと示していた。

 

あのお方、ただ者ではなかった。僕のほうが、元気をいただきました。ありがとう、光厳院さま。

 

しばし感慨に浸ったざんねんマン、しばらくすると「僕の登場する歌もないかな」とミーハー根性丸出しでページをめくりだすのであった。