おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 35・歴史の見方が変わる

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

土地から土地へと歩いてつなぐ。有名な観光地を通りすがる機会は多くなく、道中多くの時間を過ごすのは、生活感にあふれた小集落だ。

 

土地土地に、その地域の歩みを伝える歴史標識や看板がある。地元の図書館には、郷土史家らがまとめた史料もたくさん並べられている。そういった文献などに触れてみると、私たちが公に学んできた歴史観とは少し違った見方に気づかされることがある。

 

山口県下関市を訪ねたときのことだ。ちょうど海峡を挟んだ九州・小倉から海底トンネルを歩いてたどり着き、地上に出ると、見晴らしのいい海辺の公園で一人の老婦人が紙芝居をしていた。

 

千年近く前、この地は二大武士団による最後の決戦場となった。方や成長著しい気鋭の坂東武者団・源氏。対するは公家化しかつての栄光も風前の灯となった平氏だ。

 

石を投げれば対岸に届くような狭い狭い壇之浦の海峡で、源氏方の総大将・義経と、平氏方髄一の猛将・教経が向かい合った。敗色にじむ中でもひるまず襲い掛かる教経を、小柄な義経は恥じることもなくひょいひょいと舩から舩へ飛び移る「八艘飛び」で逃げ切った。教経を含め、平氏方は挽回のチャンスをほかにも取り逃がし、勝負あったと覚悟を決めると次々に海中へと身を投げた。

 

紙芝居の女性は、情感あふれる物言いでと出来事の展開を語っていく。歴史で習った通りだ。ただ、聞きながら何ともいえない違和感が沸き上がるのを感じた。

 

学校で習ったような、「正義の味方(源氏)によるサクセスストーリー」ではなかったのだ。

 

源氏は時の味方を得て覇権を握った。平氏にも力を独り占めしようとするなど落ち度はあった。ただ、平氏のすべてが愚か者だったわけではない。義を愛する人物も、源氏の大将を上回るほどの勇を奮った武者もいた。その一人が平教経であった。紙芝居の女性は、義経の俊敏さを称えるというよりは、敗色濃厚ながら一直線に敵の大将に襲い掛かる教経の勇を称賛した。

 

女性が描き出す人物は、源氏より平氏方の人間が圧倒的に多かった。数奇な運命を西の果てで終えることになった安徳天皇、同じく身を投じながら無様にも髪を掴み上げられ、屈辱の中尼として残りの人生を送った建礼門院

 

盛者必衰とはいえ、「負ければ賊軍」とはいえ、歴史の陰に埋もれる側となった人々の中にも義があり、理屈があった。そこに誰かが光を当ててあげないと、あまりにもつらすぎるではないか。女性の語り口から、そういった思いがひしひしと伝わってきた。

 

「私たち下関の人間は、敗れた者にも優しいんですよ」

 

女性が胸を張った。私は何か、胸がせいぜいしてくるのを感じた。歴史に埋もれる側になった者もいたわる、土地の人々のあたたかさに、「人間って捨てたもんじゃないなあ」と素朴に感じた。

 

紙芝居で登場した安徳天皇が眠る赤間神社を参拝した。境内の一番奥に、この地で命を落とした平氏一族の墓も訪ね、冥福を祈った。

 

せっかくなので地元の図書館も訪ね、郷土史家による歴史本もめくってみた。同じニュアンスのことが綴られていた。敗れた平氏が、いたわりの目線から描かれていた。

 

歴史の奥深い部分は、こうした地方の土地土地で言い伝えられていることの中にこそ潜んでいるともいえるのではないか。このときの旅ではそういった気づきを得た。

 

歩き旅では、こういった「公の歴史観」とは趣を異にした見方に出逢うことが少なからずある。それがこの旅の醍醐味の一つであり、これからもそうした出逢いにめぐり合うことを楽しみにしている。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~