おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【ざんねんマンと行く】 サンタのプレゼント

時計の針が「12」を回った。


12月25日、深夜。世界中の子どもたちが、翌朝枕元に添えられるプレゼントを心待ちに、楽しい夢を見ていることだろう。

高校2年生の哲郎は、窓越しに漆黒の夜空を眺めると、幼かったころを思い出した。両の頬が一瞬、緩みかけたが、やがて能面のように表情を失った。

サンタクロースを、あらゆる可能性と希望を信じて疑わなかった時代はいつしか過ぎ去った。あっという間に、大人の仲間入り一歩手前だ。進学か、就職か。人生の現実と向き合わなければいけない。もともと勉強が得意ではなく、引っ込み思案で学校でも目立たない存在の哲郎にとって、これからの人生に明るい光が差し込むようにはとても見えなかった。

何を目標に生きていったらいいんだろう。何を頼りにしていったらいいんだろう。サンタでも誰でもいい、僕に答えを示してくれよ。

心の底から沸き起こる願いを、一人の男がしかと聞き届けた。

日本の草深い田舎から生まれた人助けのヒーロー・ざんねんマン。都内のアパートで今まさに布団をかぶろうとしていたが、勢いよく手作りマントを羽織ると、ベランダから「えいや」と掛け声よろしく哲郎のいる名古屋へと飛び立った。

10分で哲郎の自宅前に到着。2階の窓越しに浮かんでいるのに哲郎が気づき、慌てて中に引き入れた。

サンタさんかと思ったのに、あの残念なヒーローか・・・

ざんねんマン、最近はテレビのワイドショーなどでちょっとは紹介されるようになっていた。哲郎も知ってはいた。ただ、お世辞にも「映(ば)える」とはいえない。青年は、どうしても落胆の色を隠すことができなかった。

哲郎の悩みは、テレパシーを通じてざんねんマンも理解していた。だが、うまいアドバイスが思いつかない。というのも、自分自身、満足するようなヒーロー仕事を果たしてきたわけではないからだ。いつも失敗をやらかしているのだ。

じゅうたんに正座し、自己紹介を兼ねて過去の出動経験を恥ずかしげに白状していくヒーローに同情の念が沸いたか、哲郎が口を開いた。

「まあ、ざんねんマンさんもよく頑張っていると思いますよ。ウル〇ラマンとか、スー〇ーマンみたいに目立ってないけど、最後は誰かを助けているじゃないですか」

見栄えは確かに、よくない。失敗も、よくする。ヒーローを目指しているのに、いつも脇役だ。でも、気づいていない間に誰かを引き立て、その人や周りの人たちの心を救っているのだ。

だから思うんです。目立たなくても、仕事がばっちりできなくても、いいじゃないですか。自分に無理をしないで、自分なりにできる仕事をこなしていたらいいじゃないですか。それに、「縁の下」っていう仕事、とっても大切だと思いますよ。

はっ

哲郎は、自分の発言に驚いた。その言葉はそのまま、自分自身の人生に当てはまると感じたからだ。

僕は人を引っ張るのも、指示したりするのも苦手。でもその分、裏方の役割ならのびのびできる。クラス会ではほとんど意見を言えないし、誰かの聞き役になってばかりだけど、実はそれが苦じゃない。相手が少しでも明るくなってくれたら、それで僕は十分うれしい。だからか分からないけど、道端でも駅でも、よくお年寄りから声を掛けられる。30分、ずっと話を聞いた後、おじいちゃんが満足した顔で去って行かれる姿を眺めるのは、僕にとっても心持ちがいいことなんだ。

社会的な評価や価値観とはいったん距離を置き、自分の性分に基づいて未来をのぞいてみた結果、哲郎には驚くほど魅力的な進路が転がっていることに気が付いた。

介護士社会福祉士精神保健福祉士・・。どれも、人が尊厳をもって生を全うするために必要で不可欠な存在だ。主役の周りには、必ずその人を支える脇役がいる。これだ。この方向を目指して、生きていこう。

過去のやらかし歴を白状し、全身が羞恥と汗にまみれたざんねんマンに向かって、哲郎は「あなたはやっぱり、人助けのヒーローだ!!」と叫んだ。窓を勢いよく開けると、「もう大丈夫だよ。今日は本当に、ありがとう!」とさりげなく帰宅を促した。

師走の寒空に再び放り出されたざんねんマン。今日もお役に立てなかった、せっかくのクリスマスなのに何のプレゼントもあげることができなかったーと肩を落とし、家路につくのであった。

だが、哲郎は確かにプレゼントを手にした。生きる力を与えてくれる、「夢」という宝だった。