おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【歩き旅と思索】 48・今まで一番危なかった道3選

北は福島から南は鹿児島まで歩き、そのルートから枝分かれする形でまた歩きつないできた。

 

歩いた全ルートはこちらです~

 

危ない目にもあってきた。その一つが道路交通だ。地方の田舎道ならまだしも、国道でも歩道がほぼないところがあり、真横を大型ダンプがバンバン走り冷や汗をたらしたことも少なくない。

 

ということで、同じく歩き旅をしようかと考えていらっしゃる方のためにも、過去最も危険を感じた道をリストアップしたい。

 

〇3位

=鹿児島の国道10号(国分市鹿児島市)。

ここは今から5年ほど前に歩いたが、とにかく歩道が狭い。なのに国道で大型トラックがバンバン走る。こんな道だと知っていたら、ルートを変えていたかもしれない。しかも歩いた日は小雨がぱらつき、折り畳み傘を指しながら歩いた。これがまた、危なかった。もう国道10号は勘弁してほしい(ただ、現在は歩道が拡幅されているかもしれない。そうあってほしい)

 

〇2位

静岡県焼津市の国道150号(新日本坂トンネル

ここは2000年代半ばに歩いた。トンネル名は、グーグルマップで今調べたばかりなので、ここで合っているか定かではない。ただ、焼津市に入る手前でものすごく長いトンネルがあり、そこを息を止めて延々30~40分歩き通したのを覚えている。

当時はまだトラックの排気ガスがひどく、トンネル内は地獄だった。今のようにコロナもなかったので当然マスクもしておらず、無防備のまま埃の舞い散る中を黙々と歩いた。いやあ、地獄だった。

そういえば、トンネルの入り口にお巡りさんが一人、立っていた。何のために立っていたのだろう。分からないが、私が「歩き旅をしていて、どうしてもこの道を通り抜けたい」と話すと、うんとうなずいた後に「お気を付けて」と気づかいしてくださった。あのときのお巡りさんの暖かい一言は今でも覚えている。静岡県警のおじさん、ありがとうございました。

 

〇1位

小田原市(小田原~熱海間)の国道か県道

 

ここも2000年代半ばにチャレンジした。小田原から箱根~沼津ルートは既に歩いており、今度は伊豆の東海岸をと思って挑んだのだが、これがとてつもなく危なかったのを覚えている。

私はなるべく主要道を歩くようにしていたから、国道だったのではないかと思う。で、当時の記憶を振り返る限りでは、トンネルがあった。そのトンネルがとてつもなく歩道が狭く、というか、歩道がなく、「こいつはヤバい」と本能が訴えてきたので、ついに断念した。危なかった。

市道町道ならともかく、国道・県道クラスであれば、なるべく歩道は確保しておいたほうが非常時の備えにもなるのでよいのではないかと思うが、どうだろうか。ちなみに今グーグルマップをみてみたが、トンネルらしきものが見つからなかった。改善されたのかな。

 

〇同列1位

韓国の主要道(県道クラスかな?)・・釜山~月内間

 

こちらも2000年代半ばに歩いた。釜山のフェリー乗り場を出立し、ひたすら東へ向かって歩いた。主要道を。途中で一か所だけ、小田原と同じように歩道がほぼないトンネルがあり、泣く泣くその箇所だけローカルバスに乗ってワープした。

バスの運転手のおいちゃんが、あっけにとられていた。というのも、トンネルの手前で乗り、トンネルを抜けたらすぐに降りたからである。「何をしたいのかこの若造は」と思ったことだろう。戸惑わせてしまってすいませんでした、釜山のバス運転手のおじちゃん。ちなみにおじちゃんは大きなハンドルを握りながら、ラジカセで向こうの演歌らしきものを流していた。なんだか和やかでよかった。

 

 

というようなことで、危険な道というものに何度か遭遇してきた。先日歩いた博多~唐津間でも、糸島半島西部~唐津市につながる海辺のルートは少々危なかった。車の交通量自体が少なかったからよかったが、何かの事情で増えたりしたら、歩行者にとっては危なすぎて通行禁止にしてもおかしくないと思う。

 

とまあ、いろいろあったが、やっぱり歩き旅は楽しいもんだ。

 

また面白かった道など思い出したらメモしたい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~