疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。
~簡単な自己紹介~
万葉の時代の人々は、いつも死を近くに感じながら暮らしていた。
庶民なら疫病。貴族なら権力闘争。今のように秩序や健康が保証された時代ではない。いつ死ぬか、命をとられるか、分からなかった。
それだけに、遺す言葉の一つ一つが重く感じられる。
この歌からは、もはや逃げられぬであろう運命を覚悟した人間の強さ、美しさがビリビリと伝わってくる。
盤代(いはしろ)の
浜松が枝(え)を
引き結び
真幸(まさき)くあらば
また還り見む
巻二(一四一)
【訳】
(今の和歌山県にある)岩代の
浜にある松の枝を引き結ぼう
もし私が幸運に恵まれたならば
またこの地に帰り
(結んだ枝を)見ることにしよう
詠み手は有間皇子(ありまの・みこ)。
このとき、まだ十代後半。
謀反の動きが事前に漏れ、処罰を巡って移送される途中でこの歌を詠んだ。
自分はおそらく刑死をまぬかれないだろう。
そのことは自覚している。
それだけに、生が輝いて見えた。
松の枝を引き結ぶという古代の習慣を通じて、わずかに奇跡を期待した。
皇子の願いが、叶えられることはなかった。
この作品の最後。「真幸くあらば」の「真(ま)」のところに、
ほとんど実現する可能性がないことへの諦めと、生への強い憧れが込められているように感じる。
一語一語に、深い思いが詰められている。
21世紀の疲れたサラリーマンの胸にも、ぐっとくるものがある。
~お読みくださり、ありがとうございました~