おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン・癒やしの和歌】9・死と近い分、生が輝く

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介 

 

万葉の時代の人々は、いつも死を近くに感じながら暮らしていた。

 

庶民なら疫病。貴族なら権力闘争。今のように秩序や健康が保証された時代ではない。いつ死ぬか、命をとられるか、分からなかった。

 

それだけに、遺す言葉の一つ一つが重く感じられる。

 

この歌からは、もはや逃げられぬであろう運命を覚悟した人間の強さ、美しさがビリビリと伝わってくる。

 

盤代(いはしろ)の

浜松が枝(え)を

引き結び

真幸(まさき)くあらば

また還り見む

 

巻二(一四一)

 

【訳】

(今の和歌山県にある)岩代の

浜にある松の枝を引き結ぼう

もし私が幸運に恵まれたならば

またこの地に帰り

(結んだ枝を)見ることにしよう

 

詠み手は有間皇子(ありまの・みこ)。

大化の改新で活躍した中大兄皇子の政敵に当たる人物だった。

このとき、まだ十代後半。

謀反の動きが事前に漏れ、処罰を巡って移送される途中でこの歌を詠んだ。

 

自分はおそらく刑死をまぬかれないだろう。

そのことは自覚している。

それだけに、生が輝いて見えた。

松の枝を引き結ぶという古代の習慣を通じて、わずかに奇跡を期待した。

 

皇子の願いが、叶えられることはなかった。

 

この作品の最後。「真幸くあらば」の「真(ま)」のところに、

ほとんど実現する可能性がないことへの諦めと、生への強い憧れが込められているように感じる。

 

一語一語に、深い思いが詰められている。

 

21世紀の疲れたサラリーマンの胸にも、ぐっとくるものがある。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~