おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第28話・〇〇党vs◇◇教の顛末(上)~

世の中をよくしたい。

 

その一点で思いは同じなのに、アプローチが違うだけでひずみが生まれ、いがみ合う。そんなことが、我々の生きる現代の世でも、しばしば見られます。何とも残念なことです。少し後ろに下がって、広く物事をみつめることはできないものでしょうか。

 

「えー、我々はー、人類の平和と発展に資するためのー、この綱領に基づきましてー、よりよき明日を目指して一歩ずつ進むものであります」

 

「そうですかそうですか。それはまあ、おめでたいこと。でもね、しょせん人間の考えることなど浅知恵にすぎぬのですよ。我々人間は、造物主の御意志をくみ取り、つつましく生きていくことでこそ恵みにあずかることができるのです」

 

ややギスギスした空気が漂うのは、都内の老舗カフェ。政治家、哲学者、信仰者まであらゆる思想家が集う、いわば「知のるつぼ」だ。

 

春のかおりがほんのり漂ってきた2月のとある晩、ここに足を運んでいたのは、今を時めく政治団体・〇〇党のホープこと山下氏。それと、伝統宗教界から現れた新進気鋭の作家兼布教者、川上氏。

 

いずれも、世の中を憂え、少しでも人々が生きやすき世界を築かんと情熱あふれんばかりに活躍している。その姿は年齢や地域の枠を超え、人々の共感をつかんでいた。

 

だが、一つのことで2者には越えることのできない溝があった。自らの拠って立つ視点だ。政治の世界に身を置く山下氏は、人間社会と人倫意識に据えた。

 

ここで息を吸い、暮らしている一人一人が主役になるのだ。「造物主」などといった存在に頼る必要は、ない。むしろ、こうした架空の存在にすがろうとするからこそ、妄信や排外的な思想が生まれてしまうのだ。信仰は、不要なり!

 

一方、幼少期より信仰心の篤い家庭で育った川上氏は、まったく異なる視点で生きてきた。人の拠って立つべきは、絶対者への信頼だ。ときに過ちを犯す人間に、生の神秘が分かろうものか。

 

胸に手を当て、こころの深い底に感じる、言葉にできない叡智。これこそが生をいただくあらゆるものの存在根拠なのだ。神といい、仏といい、その意味するところは同じである。

 

山下氏と川上氏、互いに自らの考えに絶対の信頼を寄せ、一歩も譲らない。ときに言葉の弓矢を浴びせるかと思えば、「ふっ」と軽く苦笑し、さりげなく相手を見下す。なんとも不毛な時間ばかりが過ぎてゆく。

 

「ああもう、勘弁してくれよん」

 

老舗カフェのマスター、2人にコーヒーを注ぎ足しながら、心の中で嘆いた。周りのお客さんも、めちゃくちゃ引いてるよ。もうちょっと、ポジティブなトーク、できんのかいな。

 

窮地に立たされたマスターの心の叫びを、一人の男がしかと聞き届けた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。都内のアパートのベランダに出るや、トンと地を蹴り漆黒の夜空へ。あっという間に、大阪にある店に着いた。

 

カランカラン・・

 

玄関を開けると、カウンターに並ぶ2人が見えた。議論とも罵倒ともつかぬ言葉の応酬が続いていた。だいぶ白熱している。押しも押されぬ大相撲、といいたいところだが、周りは白けている。

 

「まあまあ2人とも落ち着きましょうや」

 

カウンターの端でやりとりに耳をかけていたざんねんマン、ややあって2人の横に腰かけるや、明るく話しかけた。笑顔、足りてませんよ、お二人とも。スマイル、スマイル。スマイル イズ、ハッピー。

 

なんだこの男は。

 

突然現れた珍入者に、山下、川上両氏とも冷めた視線を寄せた。私たちの高尚な話が、凡人に分かるはずもないし。「落ち着きましょうや」だって?ふっ、私たちは興奮なぞしていない。何を勘違いしているのだ、この中年おやじは。

 

一種の連帯感を共有するに至った2人は、言葉を発することすらなく、ただ瞳に哀れみの情のみをにじませた。けんかの仲裁に入ったつもりが、気づけば2対1と分の悪い勝負に持ち込んでしまっていた。

 

ええい、こうなったら、2人ともまとめて言葉のシャワーでのけぞらせてみせるわ!

 

ざんねんマン、持ち前の開き直り精神で知の巨人たちへ立ち向かっていくことにした。淹れたてのコーヒーを一口すすると、“反撃”ののろしをあげた。

 

〜(中)に続く〜

 

週末出動!