おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン・癒やしの和歌】14・こころのひろさ

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介はこちらです~

 

テレビもスマホも車も電気もなかった時代、島国で暮らしていた人々は詩を詠み、無限の深さと広さを持つ心の世界を楽しんでいた。

 

五七五七七のわずか31文字が伝える、慈しみ、憧れ、寂しさの深遠さ。とりわけ傑作と呼ばれる作品の中には、時代を越えて読む人の胸に訴えてくるものがある。

 

私にとっての和歌は万葉集であり、それは変わらないのだが、先日全く思いもよらない時代の名作に出逢った。

 

キリストも

釈迦も孔子

敬ひて

拝(おろが)む神の

道ぞたふとき(尊き) 

 

詠み手は、貞明皇后(1884年 - 1951年)。大正天皇の皇后だ。

 

私が少し前からフォローさせていただいているブロガーさんが、紹介されていた。この作品を見て、目の前の曇りが晴れるような気持ちがした。

 

日本人のメンタリティを、見事に言い表している。

 

西洋人からすれば節操がないといわれるかもしれない。ありがたいとされる神様や仏様は、何でも拝む。なんといっても、伝統信仰の神道の中にも神さまが八百万もいらっしゃる。一体全体、「信仰している」といえるのかどうかもあやしい。そういわれても仕方ない。

 

それでも、どの神様をもないがしろにせず、広い豊かな心で受け止め、あがめ奉る。こういった姿勢こそ、今のギスギスした現代社会に求められているのではないか。

 

私にとって衝撃が大きかったのは、この作品が戦争と混乱のさなかで詠まれたこともある。

 

頃はまさに国家・信仰の対決でもあった。西洋のキリスト教に対して、日本は神道を国家宗教の位に引き上げ、信仰・宗教の面でも負けまいとした。そんな時代にあって、皇室の方が、外国の神をも敬う詩を詠んだ。実に勇気のいった行為だったと思う。

 

作中にある「神」とは、八百万の神々でもあり、それを敬う日本人一人一人をも指しているように私は受け取った。私たち日本人は、尊いものすべてを受け入れる。その姿勢が大切なのです。ないがしろにしてよいものはないのです。そのようなメッセージが込められているように感じた。

 

この一首は、時代背景から考えると危険視されてもおかしくなかった作品だと思うが、皇后はひるむことなく詠まれた。驚嘆に値する。

 

心を豊かにしてくれる、こんな素敵な作品に出逢えたことに感謝、感謝だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~