親には先立たれ、家族なし兄弟姉妹もなし、天涯孤独を体現したような人が大将だった。
はた目にはやや悲惨でもあった。
地方都市で一人しこしこと居酒屋を切り盛りしていたが、お客さんに愛想を振りまくでもなく、むしろ相性の合わないお客さんは積極的に追い出してしまう(空気をつくる)ようなところがあり、店は毎月火の車だったと思う。
今でこそいえるが、年金を払う余裕すらなかった。実は店で寝起きしていた。よくやってこれたもんだ。
なのに、一日一日をなんだか少年の夏休みの冒険かのように楽しんでいた。そんな気分をユーモアと遊び心たっぷりのトークで露わにされると、眺める客の私のほうも実に心がウキウキしてくるのだった。
はた目の苦しい生活は置いといて、大将の人生はいつも遊び心が満ち満ちていた。それは私を含む一人一人のお客さんに伝播していた。
大将と同じ空間を過ごすとき、大将のことを語るとき、いつもそこには笑いがあった。
大将が初めて脳卒中で倒れた日のことが忘れられない。
私が久しぶりに大将の店のある地方都市に立ち寄るというので、常連客の心友(私より20も上だが心の友だ)たちが囲む会を段取りしてくれた。夕方、出かける準備をしていると、その一人から電話がかかってきた。「大将が、昼から電話に出ない。何か胸騒ぎがする。悪いけど先に行って様子を確認してもらえんやろうか」
私が店についたとき、既に大将は救急車に運び込まれていた。私に電話をくれた方が、やもたてもたまらず先に駆けつけていた。厨房でぶっ倒れていたという。そのまま市中の病院を2軒回った。脳の片方が、3分の1、血で染まっていた。レントゲン画像は、真っ白だった。
緊急手術に入り、最悪の事態はまぬかれるかもしれないということで、その晩はとりあえずお引き取りするよう病院職員から促された。
さて、そこからが大将軍団の真骨頂である。
しんみりした空気の中にも、どこか「このままじゃ帰れん」雰囲気が漂った。我々は天下の呑ん兵衛集団だ。大将の病状に気をもむ傍ら、素面のまま散会ーとはあまりにもさみしいとの思いがどの表情にもにじんでいた。
誰が言い出したか分からないが、「行きますか」となった。そのまま飲み屋街へとタクシーを飛ばした。みんなで10人程度だったか。どこかの行きなれない居酒屋で、やや大人しくジョッキを傾けていった。
大将、あんなことあったよなあ。
そういえば、あんないたずらしよったなあ。
親父さんも相当あくの強い人やった。
大将を巡って、それぞれが思い入れのエピソードを明かした。耳を傾けながら、誰もが思わず笑った。
そういえば、話はすべて過去形だった。大将を思い出すムードになっていた。
「まるで大将の通夜の練習みたいやなあ」
誰かがつぶやいた。一同、どっと沸いた。本当や。大将、悪いけど俺たち、練習しとるわあ。やや気まずさを感じつつも、大将の店で呑んでいるのと同じ雰囲気で語り合うことができた。
やっぱ、大将の店は、大将は、笑いがないと。
笑いがあっての大将や。
大将がこの世を去った日も、私たちはただ哀しむだけでとどまらなかった。大将イズムをしっかりと発揮した。そして、笑いの中で大将を送り出した。
その日のことはまたあらためて綴りたい。
一つ一つの場面が、私にとって大切な思い出であり、心のこやしになっている。
~お読みくださり、ありがとうございました~