おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【大将と私】10・個性を認めてくれる

変わり者の大将の紹介↓

ojisanboy.hatenablog.com

私は大学を卒業するまで、何という取り柄もない人間だった。特技といえるものもなく、彼女もいたことがなく、友達も多くなく、いつも不安で自信のない、我ながら思うが頼りない人間だった。

 

そんなコンプレックスの塊の人間を、大将が初めて「お前はおもしりい」ち認めてくれた。

 

うれしくって、信じられなくって、でも、やっぱりうれしかった。

 

当時の場面まで、少しさかのぼる。大将の営む居酒屋に入り浸るようになったのは、店のある地方都市に赴任して2~3週間ぐらいたってからだと記憶する。1回目の訪問で気脈通じてしまい(こちらが勝手に)、連夜のように通い出した。まるで小学校の義務教育のように。

 

ジョッキ片手に、大将にちょっかいを出しながら、うまい鉄板料理を口に放り込む。舌が回ってきて、なんとはなしに私の趣味(歩き旅)のことを明かすこともあった。

 

店に通い出して半年ぐらいたったころだろうか。たしか大将が私を別の飲み屋に連れだしてくれたときのことだ。大将が、なにかの調子に、私の目を見て力を込めた。

 

おまえは、おもしりい。

 

ちょっと何言っているか、最初分からなかった。そんなこと、人生で言われたこと、なかった。こんなシンプルで、でも温かくて、友情(というと年上の大将に申し訳ないが)を感じさせるひとことは、掛けてもらったことがなかった。

 

私の何が「おもしりい」と感じてくれたのかは分からない。変わったことしているといえば、歩き旅をしているぐらいだった。ほかは、大将の店で夜な夜な阿呆なことばかりしゃべってばかりいた。

 

理由はどうあれ、私を私として認めてくれたのが、とてつもなくうれしかった。

 

自信のなかった人間が、はじめて自分を正面から見られるようになったような気がした。

 

私自身のことはさておき、大将はお客の一人一人の個性を見抜くセンスがあったように思う。年齢、職業、給料、肩書き、そんなものは全く見てなかった。その人の、中身、人柄を見ていた。掛ける言葉も、適当なようで、温かかった。だから、不景気な時代でも、ファンたちは決して店を見放さなかった。

 

私は大将から自信と元気をもらった。それは今に至るまで、こころの中で生き続けている。

 

本当に、不思議で得難いひとだった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~