おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【随想】銭湯と人生観

以前のこと。転勤でとある都市を離れる際、公私でお世話になった方と最後に地元の銭湯を訪ねた。
 
湯気のたちこめる大浴槽につかり、その土地を離れる寂しさと楽しかった思い出をじんわりかみしめていると、その方がなんとはなしに語りだした。
 
まあなあ、〇〇くん(私の名前)。世の中ってなあ、偉いおっさんとか、いっぱいおるけど、なんちゃねえんだなよなあ。裸になれば、みな同じさ。
 
肩書、地位、権威。こうしたものに人は萎縮し卑屈になりがちだ。でもそれはちゃんちゃらおかしい。私達は同じ人間であり、朝起きたら顔を洗い、ご飯を食べ、泣き、笑い、裸で風呂に入る。年齢も財産も家柄も、何も関係はない。それに、時が経てば誰もが土に還る。
 
その方の何気ない一言には、ときにこわばりがちな心をほぐしてくれる、大切なメッセージが込められていた。少なくともわたしはそう感じた。
 
私は今、四十代だ。仕事では段々と地位の高い方と向き合わせていただくことも増えてきた。そういうときに、この銭湯でのやり取りをなんとはなしに思い出し、力まず素の自分をさらけ出すことができているように感じる。  
 
身構えず、飾らず、丸腰で相対することで、相手もいつしか心を開いてくれる。
 
最近、仕事でいろいろ考え感じさせられることが多くなり、ふと昔のことを綴りたくなった。
 
私の人生にとって極めて大切な心構えを教えてくれたその方とは、今も折々にやりとりしている。
 
〜およみくださり、ありがとうございました~