おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第27話・カラオケで注目を浴びたい管理職の心境(中)~

カラオケがうまくなって、会社の若い子たちにチヤホヤされたい!

 

誰にも明かせなかった願望をざんねんマンに聞いてもらったアラフィフの男・弘(ひろし)。居酒屋でひとしきり話をした後、人助けのヒーローに手引きされるように店を出た。

 

ややできあがったおっさん2人が向かったのは、近くの雑居ビルにあるカラオケボックス。「喉を潤した後は、ふるわさないとね」

 

中年おやじ2人が向き合う狭いボックス。漂い始めた哀愁を、赤ら顔のざんねんマンが笑顔で振り払った。「さあ、歌いますぜ」

 

ざんねんマン、リモコンをたぐり寄せると、遠慮なく1曲目を送信した。おっさん世代にはなじみの深い、ビリージョエルの「honesty」だ。

 

前奏のところから、瞳を閉じた。ビリーになりきっている、いや、一人のhonestな男に浸りきっているというべきか。

 

スクリーンにつらつらと現れる英語の字幕。ざんねんマン、見るまでもないとばかりに口ずさむ。大声でもなく、がなるでもなく。抑揚もない。特に印象も、残らない。

 

サビのところで、少しだけ拳に力が入った。「such a lonely word」 だが、引っ張らない。とつとつと、自らに語り掛けるように、一つ一つの言葉を、発した。

 

歌い終えたところで、静寂が再びおっさん2人のボックスを包んだ。

 

正直、上手くはない。だが、ざんねんマンという中年男の、人となりは少しだが垣間見えたような気もした。

 

若い子たちみたいに、元気はない。喉もよくはない。ビブラートとか、はなから無理。素敵な音色、出せない。その分、節と節との「間」にたたずむ余韻を伝えることはできる。音を「有」ととらえるなら、間は「無」だ。盛りを過ぎたおっさんでも、この「無」の部分なら味を出せるかもしれないぞ。

 

「よし、俺もやってみよう」

 

弘は立ち上がった。憧れのポップソングではなく、耳なじんだ演歌を選んだ。 

 

人はみな 山河に生まれ 
抱かれ 挑み

 

人はみな 山河を信じ 
なごみ 愛す

 

演歌の神様こと、五木ひろしの名曲「山河」だ。


とつとつと、自らの心裡を歌詞に預けるかのように、言葉を発していった。

 

かえりみて
恥じることない 足跡を
山に 残したろうか

 

力の入りそうな部分でも、弘はスタンスを変えなかった。野太いが、短く。引っ張らず。言葉と言葉のあいまで、弘は瞼を閉じた。メロディの底をただよう、ひとのこころの暖かさを味わった。

 

これ、か。

 

有に対する無。動に対する静。齢を重ねた人間にこそ、味わい、表現できる世界があるのだ。

 

「ありがとう、本当にありがとう」

 

弘、ざんねんマンの両手をしっかり握り、頭を深々と下げた。約束通り、カラオケボックス代を甘えた上で、晴れやかな表情をしながら終電間近の駅へと向かった。

 

弘の、華やかとはいかないがそれなりに愛されるカラオケ人生が、始まった。

 

~(下)に続く~

 

週末出動!