おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【ショートショート】しあわせメーター

 

 

IT系のスタートアップが斬新な商品を売り出した。

 

「しあわせメーター」

 

ぱっと見はメガネだが、縁についているボタンを押すと、目の前にいる人の幸せレベルを数値化してくれる。

 

日曜の空いた電車で、私はたまたま向かい合った初老の女性にフォーカスしてみた。

 

「幸せレベル:85」

 

お、なかなか満たされていらっしゃるようだ。そういえば落ち着いたたたずまいの中に、なにか満たされたものを感じるぞ。醸し出される雰囲気のとおり、日々の暮らしの場面場面で幸せを見出していらっしゃるのかなあ。老いは憂いばかり、ともいえないようだ。

 

私まで幸せのおすそ分けをいただいたような気分になり、車窓から差し込む初春の日差しがなおのこと心地よく、暖かく感じた。

 

電車を降り、改札を抜けたところで、駅のTVモニターが目に止まった。人気アイドルグループがキレキレのダンスを披露している。

 

センターの人に焦点を定め、ボタンを押してみた。

 

メーターは「46」と出た。

 

なんとも微妙ではないか。なぜだろう。

 

私はボタンをカチカチと2回押してみた。こうすると、数字の分析データが現れる。

 

「プライド満足度:70 焦り:91 疑い:98」

 

これをどうみたらいいのか。

 

拾った数字から推し量るに、こういったことだろうか。つまり、センターポジションを取れてハッピーではある。でも、日がたつにつれて達成感も正直、麻痺してきた。それだけじゃない。いつかこの座を誰かに奪われるかもしれないという焦りのほうが強まっている。特に、左隣のキラキラしている女の子は成長株で、いつか私を出し抜くんじゃないか。疑い出すときりがない。

 

なかなかに、息苦しい世界なのかもしれないなあ。

 

駅を出ると、スクランブル交差点がちょうど赤信号になった。いつもにまして人混みがすごいなあと思っていたら、誰かが街頭演説をやっている。よくよく見ると、この国のリーダーじゃないか。

 

メーターを起動させた。

 

「66」

微妙な数字だなあ。カチカチ

 

「野心達成度:93 焦り:30」

 

え、特に問題ないじゃん。どういうことだろう。

 

私はメガネを長押しした。こうすると、少し先のデータ予測が現れる。

 

「野心達成度:プラマイ45」

 

なるほど、一寸先は闇、と。このおじさんは自分の座が安泰だと思っているようだけど、メーターは冷酷に将来の不確実性を見通しているようだ。たしかに、病気なりけがなりして一線を退かなければならなくなることもありえるぞ。

 

野心に人生を捧げるようでは、安定した幸せは得られないのかもしれないなあ。

 

私はだんだんとメガネを使うのがつまらなく感じられてきた。まあでも、せっかく諭吉をはたいて買ったんだから、もう少し遊んでみるか。

 

大通りを散策していると、黒塗りのリムジンがゆっくりと通り過ぎた。後部座席には、品の良い紳士が座っていた。そういえば、今週は海の向こうからとある国の王様が訪れていたんだっけ。風貌から、御本人のようだ。人柄よし、ルックスよしのセレブリティで、通り沿いの老若男女が興奮気味にスマートフォンのカメラを向けている。

 

これは高い数字が出そうだ。私は期待を込めてポチッと押した。

 

メーターは「70」と表示した。

 

これまた、なんで。意外にも平凡な数字に、私は肩透かしを食らい、脱力した。

 

カチカチ、長押しをし、私はふうとため息を付いた。つまり、王様は生まれてこの方、満たされた暮らしをしてきてはいる。でも、悩みがあった。跡取りのことだ。世間をちょいと騒がせているのだが、少々やんちゃがすぎるところがあって、ゴシップネタを提供することしばしばであった。父親としては気が気でない。とても「幸せ」を満喫する気分にはなれないということのようだ。

 

もう、だれもかれも幸せになれないんじゃないか。誰でもいいから、「100」を叩き出してくれる人を見たかったなあ。

 

ハンパないがっかり感を肚に抱えながら、私は街路樹の緑に目線を休ませた。

 

もう、このメガネ、いらないか。ポケットにしまおうと縁に手をかけたとき、意図せずボタンに触れた。

 

メーターが起動した。スクリーンには「∞(インフィニティ)」の文字が表示されていた。

 

どういうことだ。

 

予想もしていない記号の登場に、私は混乱した。

 

カチカチ、長押し

 

どれも「∞」を示すばかりだった。

 

ここからは推論に推論を重ねるしかない。乏しい知恵をひねりにひねった結果、私はこのように考えた。街路樹の緑には、幸せも不幸せも感じることがない。ただひたすら、お陽様のエネルギーを浴びて浴びて、生きて、それだけにすぎない。数字に表せるものは、ない。

 

しかし、だからこそ、どっしりしているのかもしれない。そこにいるだけで、上もなければ下もない。緑の葉はエネルギーを体に取り入れるが、そのエネルギーもやがて形を変え、さよならを告げることもなく去っていく。それに対する執着もない。他の何者にも揺るがされることがない。

 

これを幸せと言わずして、なんと表現したらいいのか。

 

私は予想もしていないところで求めていたものを見つけたような気がした。

 

それからは、人ではなく、道端の草花や石ころ、たなびく白雲など、日ごろ目に止めることのなかったものというものにメガネを向けてみた。

 

どれも、「∞」を示した。

 

私は文字通り、目から鱗が落ちたように感じた。自分は今までなんと狭い視野の中で暮らしてきたんだろう。世の中は、人間だけで成り立っているわけではないんだ。

 

数字を、比較を、優劣を求める人間の小さな小さな空間を、意味付けから自由な無限の世界が包んでいる。それは命そのものの世界であり、石ころや白雲といったモノの世界でもある。

 

ありがたいものは、身の周りにあふれているんだなあ。

 

私はようやくこのアイテムに満足を感じるとともに、もう頼る必要もないことを悟った。

 

リサイクルショップに持っていくと、購入したときの8掛けほどの値段で買い取ってもらえた。ちょっと、得をした気になった。

 

手にしたお札で、ビールを3缶ほど買った。今日は家でしっぽり飲むことにしよう。

 

夕暮れ時の帰り道、交差点で信号待ちをしていると、東の空にぼおと満月が顔をのぞかせていた。

 

声もなく、じんわりとのどかな光を寄せる丸い顔に、私はそれまで気づかなかったような温かみを感じた。