【サラリーマン・癒やしの和歌】11・場面とこころの静寂
疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。
~簡単な自己紹介~
目に映るものを「対象」ととらえず、心の一風景とみる。
ものと心が混然とし一体となる世界観の中で、より深みと優しさ、温かさが生まれる。
暮らしのすべてがアナログ環境だった江戸以前の人々にとって、世界の見え方はより近く、肌身に感じられるものだったのではないかと思う。
瞳に映るものとわが心が同調し、不思議な奥深さを感じさせてくれる歌をひとつ挙げてみる。
小夜(さよ)ふくる
窓の燈(ともしび)
つくづくと
かげもしずけし
われもしずけし
(光厳院御集 141)
【訳】
夜が更けている
窓辺にあるともしびが
今尽きようとしている
その影が静まった(消えた)
私(のこころ)も静まった
光厳院という方は、武家政権に公家が一瞬だけ反旗を翻した時期(南北朝初期)を生きた方だ。
その人生を一言でいうと「波乱万丈」。私なんぞが批評するのもはばかられるので、それについてはお調べいただければありがたい。
さて、その動乱期、自分の命の明日もどうなるか分からない時期に、院は一人自室で瞑想にふけった。仏道に基づく瞑想は、不安や恐れにかき乱される己の心を静める数少ない手段だったのかもしれない。
目の前に、ほのかに明るさをもたらすともしびがある。そのともしびが、いよいよ尽きようとしている。じっと見つめる私のこころも、そのともしびと一体化し、音もなく、ふっと霧消しようとしている。ともしびが消えたとき、千々に乱れていた私のこころも静まった。
院の人生はその後も休まることがなかった。最期まで権謀術数に翻弄された。だが、この一瞬、確かに静寂を見出した。わずかにつかんだ心の凪を、短い17文字で捉え、永遠に残すことに成功した。
どういう経緯で私自身がこの作品に出逢ったのか、覚えていない。光厳院という方の存在もそれまで存じ上げなかったし、南北朝の歌などに縁はなかった。不思議なものだが、今の自分にとっては人生を豊かにしてくれたかけがえのない作品になっている。
こうした作品は、それぞれの人にとって無数にあるのだろう。自分なりに発掘作業を続け、感動した作品を紹介し、和歌の魅力をシェアしていきたい。
~お読みくださり、ありがとうございました~
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