【ざんねんマンと行く】 ~第32話・「ニーター」なる新しい暮らしのスタイルが出現~
「息子が働かんのです」
メールに目を通すと、つぶやいた。「手ごわい案件かもしれないな」
人助けのヒーローこと、ざんねんマンの元に届いたのは、70代男性からのメール。40代になる独身の息子が会社を辞め、そのまま自宅に引きこもり状態になっているらしい。私もいつまで面倒をみられるか分からない。どうか、定職を持つように働きかけてくれないか。メッセージから、重苦しい雰囲気が伝わってくる。
「わざわざお越しくだすって」
親子が暮らす、小田原の一軒家。玄関のドアを開けた父親の声は、心労でかすれているように聞こえた。ヒーローの姿に安心したのか、ためこんでいた苦悩が言葉を伴ってあふれ出てくる。
「まじめで親孝行の息子だったんです。なんでこうなったのか・・・」
息子のいた会社は、業界ではそこそこ名の知られたお堅い会社だった。ただ、どこの組織もそうだが、そりの合わない上司はいるし、理不尽な扱いを受けることもたびたびあったようだ。息子は根がまじめで控えめなところがあり、組織の闇との距離のとり方に苦労し、心が悲鳴を挙げたようだった。
「どこでもいい、早くまた働きに出て、社会復帰してもらいたいんです」
父親の思いは切実だった。だが、ざんねんマンは小首をかしげた。「働きに出るっていいますけど、無理強いできるもんじゃないですしね・・」
その通りだ。それはわかっている。だからこそ、こうしてヒーローにお願いしているのだ。「仕事に出なきゃ、人間は暮らしていけないでしょうが。いつまでもニートってわけにはいかない」
親に説教を食らった気分のざんねんマン、ここで思わず反撃の挙に出た。「働くって、定職につくことだけなんですかねえ。要は生活費をまかなえればいいんでしょ?ネットで通販したり、ブロガー稼業で小銭を稼いでいる人だって、結構いますよ。もうね、『会社勤め』にこだわる時代じゃないと思うんですけど」
外の世界に出ないと、社会に触れあえないーという考えも、過去のものになろうとしている。今はネットで世界中の人とこころの交流ができる。それこそ、容姿とか人種とか収入とか、関係ない。文字、イラスト、音声なんかを通じて、現実社会よりはるかに純粋で真摯なやりとりができるのだ。
「じゃあ、息子はどうしたら・・・」
私がお父様だったら、こう言いますよ。「なんならネットで、生活費稼ごうや」って。
「なんと品のない言葉」と興ざめした様子の父親に、ざんねんマンは畳みかけた。「稼いでなんぼって、お父さん、言うたやないですか」
何も怪しい商売をすすめるわけじゃない。今の心の状態、悩み、不安、そういうものを、オンラインで言葉にして吐き出したらいいんだ。このご時世、引きこもりがちな人はたくさんいる。当事者としての投稿は、同じような環境下にある無数の人々にとって、心の支えになる可能性がある。
「私と同じように悩み、苦しんでいる人がいる」と知ることで、読んだ人が孤独から解放されるかもしれないのだ。
「で、どうやったら金稼ぎが」
乗り気になっている父親に、ざんねんマンが知恵を伝授する。まずはブログを開設すること。で、書き続けること。やがて注目されれば、電子版でも書籍化の話が舞いこむかもしれない。あと、たまにお気に入りのグッズや本を紹介すること。広告をクリックする人がいたら、収入につながりまっせ
実現してもいない願望を恍惚の表情で語るざんねんマンに、父親も少し希望をわけてもらったようだ。「よし、息子と一緒に、がんばってみよう」
息子の几帳面な性分と、きめ細かな表現が求められるネットの世界は波長が合った。心の葛藤を赤裸々に、しかし読み手の心象を害しない品の良さを伴って描いていく文章は、ファンを徐々に掘り起こしていった。
うちの息子は、ニートじゃない。わずかだが、日銭も稼ぎだした。収入こそ安定してないけど、しっかりと自分の足で生きている。いわばフリーターとのあいのこ、名付けて「ニーター」だ。
数年後。息子はいっぱしの物書きとして世に知られるほど成長した。以前と変わらず引きこもりがちな生活を続けているが、同居する父親の目には自信があふれていた。
息子はもはや、ニーターでもない。しっかりと生活基盤を整えたニート界の頂点、「ニーテスト」なのだ。
形容詞の比較級、最上級のような名称は、やがて社会にも広まりだした。
「額に汗して働くだけが、仕事じゃない」。
息苦しかった世の中が、少し生きやすくなった、そう感じる人が増えていった。
難題を乗り越える手助けをしたざんねんマン。初代ニーテストの活躍をネットニュースで眺めながら「僕も後に続くぞ」と商魂たくましくブログ投稿にいそしむのであった。
~お読みくださり、ありがとうございました~