おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

【歩き旅と思索】 ~19・体の感覚が映し出す風景

静岡県は中部・掛川市内を歩いていたときのことだ。

 

昔から街道として栄えていた「東海道」に沿って進む中、やや起伏の激しい山間に入った。

 

上り下りがかなり激しいところを過ぎたところで、やや大きな観光看板を認めた。

 

江戸時代の浮世絵風のようだ(後に江戸時代の絵師・安藤広重の作品「東海道五十三次」と分かった)。急激な傾斜道を、菅笠(すげがさ)をかぶった商人らしき人が行き交っている。看板には「小夜の中山峠」と解説されてあったと記憶する。

 

ここは江戸の当時、一つの難所だったらしい。それだけに旅人の記憶にも残ることとなった。戦乱の世を生きた歌人西行の作品が添えられていた。

 

年たけて

また越ゆべきと

思いきや

命なりけり

小夜の中山

 

齢(よわい)を重ね、

また(この峠を)越えることもあるだろうかと

思っていたところ、

命ながらえたおかげであろう、再び巡り合ったよ、

小夜の中山峠。

 

こういった意味だろうと推測する。

 

とまれ、この浮世絵、予備知識なく見てみると、かなり誇張されているように感じられることだろう。

 

峠の傾斜が、激しいのだ。

 

だが、実際に現地までの道のりを歩き歩きしてきた人間から見ると、それが「事実」そのままの光景として映る。アップダウンの繰り返しが続き、息切れしているところに、とどめのようにこの峠。体感的には、これぐらいの角度のほうがしっくりくる。

 

歩き、感じたままに眺めた光景は、カメラが写すような無表情の景色ではない。むしろこの浮世絵のような、急こう配で見る人の乳酸を引き出すような場面こそ、現実なのではないか。

 

現実の捉え方について、一つ新たな視点を得ることができたように感じた。歩き旅の醍醐味だ。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~