おじさん少年の記

いつまでも少年ではない。老いもしない。

自と他

 

私があり、世界がある

 

どちらもこの世にしっかと存在する事実である

 

これは自明のことであるかのように受け止められている

 

だが、少しく思考を内側に傾けてみると

 

それが見かけほど単純ではないことに気づく

 

私の眼の前に展開する光景は、ただそのような映像が広がっているということにすぎない

 

私の意識に現れているということを以て、そのようなことごとが実際に繰り広げられていると断定することはできない

 

あらゆる事象、心象は、ただ私という意識の中で生まれ変化し続ける無限の事事の連鎖にすぎない

 

私もゆらぎ、世界もゆらいでいる

 

あてにならない

 

私と世界は、思ったよりも遠くかけ離れている

 

これは一見言葉遊びのように見えるかもしれないが

 

サイエンスの世界でも実は同様の状況が浮き彫りになっている

 

夜、上空に広がる星空

 

手が届くほどに身近に感じられるが

 

我々人類が、生きている間、実際に触れることができるものは、ない

 

夏の夜、南に浮かぶオレンジ色のベテルギウスは、光の速さで数えても到達するのに500年もかかる

 

今から45年前、北米を飛びたった探査機ボイジャーは、すでに太陽圏を抜けたといわれているが、その先にある恒星系・αケンタウリに到達するのにまだ数十万年はかかるとみられている

 

私達を取り巻くこの物理空間でさえも、互いに触れ合うことができない

 

私達は物理的にも意識的にも、互いにかけ離れた孤独の世界を生きている

 

そのうえで、何かを通わせ合うことができる

 

それは共感であり、理解だ

 

もっというなら、共感しようという努力であり、理解しようとする姿勢だ

 

共感そのものは分かち合うことができない、なぜならあなたと同一の存在はこの世にないからだ

 

ただ、共感に近いもの、理解に迫る感動は分かち合うことができる

 

一緒になれないからこそ、お互いに寄り合おうとする意欲が湧いてくる

 

絶対の孤立の中で、個々がつながりあおうとする努力を重ねることが

 

安らぎをもたらしうる

 

脱力、諦めは、区別のない優しさを世の中にあふれさせる力になるかもしれない

 

希望

人生の勝ち組とは何だろうか

金持ちになることか

出世することか

長生きすることか

だが金持ちになっても疑心暗鬼で心休まらぬ人は多い

出世してもいつかは退場を迫られる

長生きするほど病気別れの苦にとらまえられる

願わくば人に苦をもたらさず

機会あれば支え

見えないつっかえ棒となり

覚えられぬあいだにおさらばしたい

「私」を意識する間は

安寧は訪れないのかもしれないなあ

【歩き旅と思索】仏教

初めに言葉があった

 

そこから人間の世の中が始まった

 

これは間違いない

 

聖書の指摘するとおりだ

 

一方で、その言葉が生まれる以前から世界はあった

 

それは恐竜が地上を闊歩していた時代であり、微生物すら登場する以前の原始地球の時代である

 

世界は、言葉がとらえる範囲を超え出ている

 

言葉に依りすぎることなく、世界をとらえようとする姿勢の一つに、仏教があるようにみえる

 

「無分別智」という発想がまさにそれだ

 

その視点からは、自と他という絶対的な区別は発生しない

 

絶対者、唯一神という概念も生まれない

 

あらゆる存在が一つであり、ゆるやかにまとまっている

 

私も草木も獣もみな存在するものであり、そこに上下はない

 

こうした見方には対立がなく、正邪がない

 

平和、安寧が根を下ろしやすい

 

日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されて久しいが、まだまだその真髄は学ぶべきところがあるように思う

 

禅宗しかり、浄土宗しかり。

 

40を過ぎ、今更ながらそれを感じる

 

私は趣味で歩き旅を20年ほど続けているが

 

道中でつくづく感じるのが、なぜか上記の内容だ

 

人間も、上空を旋回するトンビも、野原にポタポタ落ちている栗の実も、たいして違いのない存在物にすぎないのだ

 

私のような一介のサラリーマンに過ぎない者とはいえ、意識せず培った経験知を言語でまとめあげたものが仏教の各経典であるように感じられ、その奥深い世界観に圧倒される

旅を続けることが、そのまま仏典を読み解くことにつながっているかのように思え、感慨を覚える

 

さて、日本はそろそろ大型連休だ

 

久方ぶりに、旅に出たい

 

発見が、楽しみだ



God of drink

i am a kind of Non-bee, which means those who love drinking.

yes drinking gives me much fun , excitement

not only drinking itself but chatting with guys is also fun

everytime i drink with people, i get so upbeat and very often carried away

sometimes i wonder , why am i so high when drinking

nowadays i seem to have found the answer

it is not Me who is enjoying drinking

it is the drink itself that is enjoying the time

each drink enjoys the precious moment through the body of myself

i am just a catalyst

the main character is the drink, the spirit of drink. It might be called god of drink, or 酒神.

you might call me stupid , but i really feel it.

with 酒神 i will enjoy drinking this evening as always 🙂

【ショートショート】「倍返し」の世界

 

21☓☓年。時の内閣が一つの法案を提出した。

俗称「倍返し法」

国も会社も地域も、争い諍いが絶えない。

技術が進んでも、人のこころまで進歩するわけではない。それが悲しい現実だ。

弱い者はいつまでたっても弱いまま。ジャイアン、もとい、強者はどこまでものさばっている。

どげんか、しちくんない。

一般ピーポーの言葉にならないルサンチマンを嗅ぎ取ったセンセイたちは、票を掘り起さんとばかりに悪目立ちしそうなアピールに出た。それがこの珍妙な名前の法案というわけだ。

ルールはシンプル。やられたらやり返してOKです。それも2倍でね。

裏切られたり、金をくすねたりされたら、倍でやり返しても罪には問われない。むしろ法で保証された権利であり、行使して何ら問題ない。むしゃくしゃは、すっきり解消だ!

「まああとは皆さん、存分にやってください」

年配の首相は、後のことは知らないよとばかりに短くコメントすると、議場を後にした。

世の中のギスギスが立ち込めていた時期に現れた新法案は、一般ピーポーのハートをつかんだ。国会では侃々諤々の激論が交わされたが、最終的には僅差で賛成多数、可決となった。

「アップ、始めるか」

全国津々浦々で、やられてきた側の人たちが拳をポキポキやり始めた。それも、過去にやられた分まで遡って「恩返し」をしていいときた。うれしくって仕方がないよ。

半年後、法が施行されると同時に、あちこちで弱者の逆襲が始まった。

ある大会社の社長は、パワハラで潰したかつての部下から盛大な返礼を受ける羽目になった。

料亭で芸者遊びをしているところに元部下が現れ、過去の言動を録音したデータをさらされた。それを根拠に、倍返しの儀が始まった。芸者さんは主の席に座り、社長は延々と下手な踊りと手囃子を披露させられた。録画モードのスマホの前で「私は最低最悪のパワハラ上司です」と叫ばされた。動画サイトで始終を視聴した職場連中は「いい気味だ」と高笑いした。

小学校のママ友会でも反乱の狼煙が上がった。どこのグループにも声の大きいボスはいるもので、そういう人物から一度目をつけられるとハブられる。孤立させられる。さあて、攻守は逆転だ。さんざんハブられてきたママさんたちは、つらく苦しかった日々を綴った日記の束を手に、ボスに迫った。「お礼はしっかり返してもらいますよ」

みんながランチを楽しんでいる間、トイレ弁当を強いられた。ああ、みじめ。お花見会のバーベキューでは、一人だけお肉を取るのを許されなかった。うう、お腹すいた。SNSのグループでは、何を書いてもリプライをもらえなかった。もう、懲り懲り。二度とハブったりしないわ。

あらゆるところで、たまりにたまったマグマが噴出していった。実に爽快、実に愉快。さあ、これで世の中すっきり爽快だ。

法の施行から1ヶ月がたち、世の中のギスギスは、残念ながら、解消とはならなかった。

埋もれた怨念の量が、質が、あまりにも膨大すぎ、ガス抜きが済む前に炎上爆発を引き起こしかけていた。

ことここに至ってセンセイ方もピンチに気づいた。慌てて法律を改正しようとした。が、国会に提出したり議論をしたりしたりとそれなりに時間がかかる。どうなってしまうんだろう、この国は。

窮地から人々を救ったのは、不思議なことに、まさしく「倍返し」の発想だった。

「いただいたものは、のしをつけて返す」。やや尖ったようにも見えるマインドセットは、法律という輪郭を与えられたことで、人々のこころに一層深く染み渡った。

そこであらためて気づくこともあった。

返せるものは、恨みだけとは限らなかったのだ。

やさしさだったり、気遣いの一言だったり、いろいろあった。私の人生は少なくない理不尽や心無い一言に囲まれてきたが、その傍らで励ましの笑顔に助けられ、恩師の慈愛にあふれた訓示があった。むしろ、そちらのほうが圧倒的に多かったかもしれない。

恩義を、いただいてきた愛情を、ないがしろにしては、いけない。

最後は、一人一人のルサンチマンと良心との闘いになった。

センセイたちがヒイフウいいながら新法改正案の提出準備を進めているころ、世間では先に変化が起き始めていた。

逆襲しようと思えば、いつでもできる。でも、それをやって、本当にしあわせになれるだろうか。俺が私がやりたかったのは、こんなことだったのか。

国からのお墨付きで与えられた権利を手にしながら、少なくない人々が行使する選択肢から手を引いた。

改正案という名の廃案が成立したころには、世の中は以前の活気を取り戻していた。といっても、もちろん恨みつらみは絶えることがなかったのだが、人々は自らの意思で新たな「倍返し」の時代を生きるようになった。

通勤電車で、赤ちゃんに微笑みかけた年配女性にホッコリした青年は、職場で新人の肩をポンと叩いた。「入社祝いや、昼メシ、おごるでえ」とおどけると、こわばった顔がほぐれるのが分かった。君がホッコリしてくれると、俺も嬉しいよ。

弱肉強食の構図はなかなか変わらない。だからこそ、打算のないホッコリの輪を広げて広げて、みんなで世の中にいっぱいの潤いをもたらしたいものだ。

週末。ある中年サラリーマンが、自宅でビールをグビリとやりながらつぶやいた。

「えげつない倍返しは、ドラマで見るぐらいが、ちょうどいい」

 


 

歩き旅と思索


私は大学2年生のころから歩き旅をしている。


ひとつのまちを出発し、日が昇っている間は歩き、どこかあたらしい土地で休む。


日が明けたら、再び歩く。次の土地に着く。休む。次の日も同じだ。


こういう形で点と点をつないでいき、振り返るとおそらく2000㌔は歩いた。


私の頭の中には、日本列島のオリジナルグーグルマップが埋もれている。たまに脳内再生するが、これが結構楽しい。例えば、超早送りで東京~鹿児島間の沿道風景をリプレイできるわけである。


初めてこれに挑戦したときのことを綴りたい。


大学2年生の冬。時間ばかりはたっぷりある中で、私は余計な考え事にうなされていた。


以前書いたが、独我論という思想にとらわれ、透明な牢獄に押し込められたような息苦しさを感じていた。


「空間」というものが実在することを確かめたかった。奥行きがあることを実感したかった。阿呆なことをと思われるかもしれないが、当時真剣に悩んでいた。


思いついたのが歩き旅だった。


自分の体を使って、空間の広がりを感じたい。


私は当時関東に住んでいて、実家は九州にあった。二つの土地は相当に離れていて、とても一つの空間内に存在するとは感じられない。例えば九州の人間がテレビニュースで「東京は大雪です」と知らされても、別世界の関係ない話のように受け止められる。


このように肌感覚では個々独立しているようにおもえる二つの土地空間を、自分の脚で歩いてつなげることができたなら、空間というものの具体的な広がりを肌身にしみて感じられるのではないかと思った。


さて、小難しい話ははしょろう。そろそろ出立せんと、読んでくれちょる人が飽いてトイレに行っしまう。


体力に自信は全くなかったので、とりあえずの目標に箱根越えを掲げてみた。


当時暮らしていたのは百合ヶ丘という山間の土地で、初日に藤沢、2日目に小田原、3日目箱根芦ノ湖、最終日に静岡沼津という日程を仮に組んだ。


初日で断念することになるかもしれないが、ええままよ。12月下旬の早朝、えいやと下宿先の玄関を出た。


たしか津久井街道という名の準幹線道路を西に進んだ。どこかで南に曲がり、しばらく進むと右手に白化粧した山体のてっぺんが見えた。おそらく富士山だった。


ほんにきれいで、こんなすてきな山を拝めるのになんで今まで気づかんだったんだろうかと自分にあきれた。まあ、生活に日常に安穏にどっぷり浸かってしまっていたから、感度が鈍ってなまってどげえもならんかったんだろう。


とまれ、藤沢に下る道はひたすらまっすぐで、まっすぐで、いやこれが、きつかった。浅草とかの観光地とは違って、基本的に住宅地だったので(当時は)、特段目を見張るものはなかったように記憶する。


幸い、脚に特別重い疲労はなく、午後3時前にはJR藤沢駅に到着したと記憶する。ほどよく落ち着いた街で、住みやすいのではないかと思った。


初日はたしか25㌔ぐらい歩いただろうか。スポーツはからっきしの人間にとっては、よくやったと自分を褒めた。そして、少々自信過剰になった。俺、結構歩けるかもしれん。


2日目は湘南海岸を左手に一路西を目指した。箱根峠の向こうには、昨日出会った富士が見事な円錐姿をさらしている。ああ、あの山にどんどんと近づけるのか、裾野からぐっと見上げることができるのか。旅を始めるまでは考えもしていなかった楽しみに胸が膨らんだ。


と、ここまで楽しいことばかりを書いたが、早速スランプが訪れた。藤沢から西に数㌔進んだところに大きな橋があり、そこを過ぎてまもないところで片足に激痛を覚えた。


日ごろはいている靴がどうも窮屈で、かかとのあたりが炎症を起こしかけていた。


痛みを抑えるため、ややひきずる形で歩くことになり、これが進行ペースを大きく落とした。痛みを感じる箇所と靴との間にティッシュペーパーを丸めたものを挟み、だましだまし進んでいった。


小田原に着いたのはどうだったか、夕方だったろうか。よく覚えていない。1日中、交通量の多い国道を歩いていて、当時はトラックの排ガスもひどかったから、宿で顔を洗ったときにはほおが薄いすすの層でべっちょりしていた。


テレビをつけるとクリスマス番組をやっていた。そうか、世間はイブでうずいているのか。私は彼女もロマンスも何もなかったから、特段の感慨も覚えなかった。まあ正直、寂しさはうずいた。


さて、無理をしてでも旅を完遂したい。いよいよ箱根の峠をえっこらと上っていった。道沿いに、小さな水路が流れていたのを覚えている。透明で、心が文字通りあらわれた。「風祭」という土地があって、その名前と土地の長閑な光景がマッチしてとても素敵に感じたのを覚えている。


箱根の峠には江戸時代の登山道が残っており、そちらをたどってみた。既に関東の喧噪はなく、ふるさと九州と同じ深い緑と精霊を感じさせる静けさがあった。ときどき、私と同じように山道をたどる旅人とすれ違った。ほぼ全員が「こんにちは」と声をかけてくださり、心にしみた。


芦ノ湖に出たのは昼だったか。風が強く、やや荒れていた。富士がより間近に迫っていた。ただ、そのときの私の心境はよく覚えていない。憧れる存在があまりに近いので、どう感じふるまっていいか分からなくなったのかもしれない。


芦ノ湖に近いユースホステルで一泊。温泉が格別に素晴らしかった。硫黄の香りが全身を包む。実家・九州のそれにも負けない。疲れがだいぶ取れた。


最終日。箱根の関所跡を訪ねた。入り鉄砲に出女。現代の税関以上にセキュリティーチェックは厳しかったようだ。

 

えっこらえっこらと下りの道を進んでいく。だんだんと道もひらけ、行き交う人はあいさつすることもなく、視線を互いにあさっての方向へと飛ばすようになる。ああ、また現代に戻ってきたなあ。


三島大社を参拝し、ゴールの沼津を目指す。ここらで道に迷った。持参した地図を調べるが、どうも分からない。ちょうど、通りがかった自転車のおじいちゃんに声を掛けた。


「ああ、あの、若草神社が、見えるらあ?」


おじいちゃんは、道沿いにある鳥居を指さし、そこを右か左に行くとよいと教えてくれた。私はありがとうございますと礼をした。


このとき、頭の中で一つの言葉が何回もリフレインしだした。


「見えるらあ」


らあ、とな。こんな言葉、生まれてこの方聞いたことないぞ。おそらくはここ静岡県東部地方の方言なのだろう。それにしても、申し訳ないが田舎くさいというか間の抜けたというか、なんともいえない語尾だなあ。


それと同時に、私ははっきりと感じた。空間が、変わったんだ。関東圏から、東海圏に。


私は学生としてずっと関東で暮らしていた。言葉は標準語であり、特段の個性はなかった。それが、箱根の峠を上り下りしたところで、明らかな変化を感じた。


空間の広がり、つながりを感じたいと思って始めた旅だが、予想していないところで空間の奥行き、個性というものも嗅ぎ取ることになった。


空間は、どこまでも一つであるが、どうやら区切られている。それぞれにおそらく独自性があり、味わいがある。


面白いと思った。


やや脚を引きづりながらも沼津駅に到着。ここで私は関東に戻らず、そのまま寝台特急富士号に乗り込んで一路九州を目指した。車中にあおる缶ビールは、うまかった。


初めての歩き旅はこのような形で終わった。なんとか完遂できた。感慨が沸き、ノートに記録をしたためた。それは「旅日記」として今に至るまで続けている。


この後、夏休み春休みとさまざまな機会を通じて歩き、聞き、見て、感じた。途中からは経費節約のため野宿を始め、これがまた空間の奥深さを感じさせる(人間世界のちっこさも感じさせる)貴重なツールとなっている。


歩き旅から学んだこと気づいたことは数多い。空間については、まだまだ奥が深く、正体がよく見えず、もどかしさを感じるが、高望みせずのんびりと探検の旅を続けていこうと思っている。

 

~お付き合いくださり、ありがとうございました~

与奪

苦しいけど、人生は与えた者勝ちなんだろう

騙されて奪われても、それは負けではない

与えて微笑んで手を携えてする人間が、最期に暖かみで迎えられるのだろう

苦しいかもしれない、その上で与えてシェアして、

分かち合ったことごとを喜べる人生を送っていきたい

【短編】異次元居酒屋

 

長らく呑兵衛をやっているが、こんな面白い居酒屋があるとは知らなんだ。

あれは先日の週末だ、私は郊外の自宅に直帰するのももったいなく、いつものように新橋SL広場に向かった。

これから酔いどれていくであろう背広姿の中年連中を眺めているだけで、寂しいこころが癒されるというものだ。

さあて、今日はどこでしっぽりやるかしらん。からっぽのアタマでSLの黒い車体に見入っていた。

「こいつに乗って、どこか行けたらなあ」

実際にそうつぶやいたかどうかはよく覚えていない。ただ、なんとなく思ったのは間違いない。

そのときだ。もう機関車としての使命は終えたはずの車両が、ポオと汽笛を鳴らすや、実際に煙をホクホクと吐き出したのである。

何が起こったのか。私は自分の目が信じられず、しばし硬直した。驚きはさらに続いた。車両に連結して濃いブルーの客車が2両、3両と姿を現したのだ。ゴト、ゴトと振動音を響かせ始めたところで、私は無心に客車に向かって走り出した。

なんとかこの列車に乗って、どこか知らない世界を旅してみたい。

幸い、客車のドアは開かれたままで、私は小走りに駆けてなんとか乗り込むことができた。ステップに足を乗せたとき、誰かが手を差し出してくれた。がっしりした手に、私は落ち着くものを感じた。

「お初の方、ですね」

フロックコートをまとった初老の男性はニコリと微笑んだ。男性は歓迎の気持ちを力いっぱい表すかのようにまなじりを下げた。

「はあ、いやあなんとも」

私はどう答えてよいか分からず、なんとも曖昧な返事をした。それにしても、新橋のSLが今もまだ現役だったなんて、驚きだ。そして連結する車両、常連とおぼしきお客。何もかもが不思議で白昼夢を見ているようだが、今はもう何もかも見えたまま聞こえたままに味わいたいとの思いが勝った。

「ここはね、東京上空を一晩駆けてぐるりと巡る、居酒屋列車なんですよ」

じんわりしたブルーの光を照らし始めたスカイツリーをはるか見下ろし、紳士は教えてくれた。

「さあさあ、呑みましょう」

4人掛けのコンパートメントに通され、私と紳士は車窓側の椅子に向かい合った。まもなく車掌が現れ、一礼すると私の言葉を待った。

無言でかしずく姿に、私は何を話すべきかを無意識に悟った。

シャンパンを」

車掌は喜んでとでも言い出しそうな笑顔を見せると、キャリアーからボトルを取り出し、シュポンと栓を抜いた。

乾杯

「都心のネオンをつまみに、初春の宵を楽しむ。いや実に、最高ですな」

紳士はもう何年来の酒友達とでもいわんばかりの気安さでもって私に話しかけた。私もそういえばそうだったかしらんと半ば受け入れ、突然の至福に浴した。

互いに自己紹介らしき紹介をすることもなく、眼下に広がる風景から感じたことを語り、口にした酒の感想を分かち合った。

いろいろと話すうちに、この列車のプロフィールというようなものがみえてきた。

どうやらこの列車は、お酒をこよなく愛する呑兵衛だけに姿を見せてくれる夢の乗り物らしい。乗客は古今東西、それこそ過去未来いろんなところから乗り込んでくるようだ。新橋駅前から乗ってくるのは生きた人間だが、その他はどっからこっから、勝手に乗り込んでくる。そして、酒を呑み、つまみを喰らい、グラスを猪口を傾け合う。お代?そんなものは関係ない。宵越しの銭なんて持たない呑兵衛たちに、一体何を望もう。

先頭の機関車が右に左に漆黒の夜空をくねるたびに、後ろに続く客車の連なりが見える。それは実に長く、車窓の一つ一つに赤ら顔がのぞけて見える。ところどころ、やけに青い顔をしていたり、白かったり、いろいろあるが、まあどうでもいい。酒を飲んで赤くなるなんて、誰が決めたんだ。それはそうと、この世にこれほど呑兵衛がいたのか。思わずうれしくなる。

紳士は「ちょっと失礼」と言い残すと客車のドアの向こうに姿を消した。そして戻ってくることはなかった。小用でも足して、また新たな呑兵衛友達を発掘しにでも行ったのだろう。素晴らしい案内人にエスコートしてもらえたことに、私は感謝した。

私もちょっと、探検でもしにいくか。

2本目に頼んだ日本酒の一升瓶を右手に抱え、通路を歩いた。


ガヤガヤ賑わうコンパートメントの中に、一箇所だけ静かなところがあった。古風な衣装を身にまとった男性が、一人荒れている。

私は興味をひかれ、男性の向かいに座った。男性は私のことなぞ眼中にないかのように、ぶつぶつ、つぶやいている。

私は大胆にも聞き耳を立て、愚痴の正体をあらかた突き止めた。どうも男性は大陸の王朝時代に生きた秀才で、科挙にチャレンジし続けたようだ。そして、残念ながら夢は叶わなかった。

いかな秀才といえども、天才たちが集う世界一難しい試験を突破することは万に一つの僥倖とすらいえない。ほぼ不可能に近い。かわいそうだが、それが大半の若者にとっての現実だったのだろう。

「ということで、今晩もやけ酒をあおっていると」

私は思わずツッコミめいた言葉をつぶやいてしまった。そこで初めて向かいの男性が顔を上げた。ギロリとにらむ瞳が私を刺した。

「あんたにね、何がわかるってんだ」

 


地方の農家に生まれた。物心つくころには論語孟子をそらんじていた。両親親族、地域を挙げて「この子は」と期待した。彼らの分まで希望を背負わされ、男性はひたすら勉学にいそしんだ。いそしむばかりで、結果は出せなかった。周囲の落胆は大きかった。前半は希望の重みに息切れし、後半はジェットコースターばりに堕ちていくばかりの人生だった。

天命を全うし、もはや意識ばかりとなった身にとって、終わった過去の話でぐじぐじといじけるのは意味がないことはわかっている。だが、嘆かずにいられない。俺の人生は一体、何だったのだ。

「いやま、小説のネタになりそうで結構なことじゃないですか」

私はまた余計な一言をつぶやいてしまった。どうもこの夢の列車は人の心をすがすがしいまでに解放してしまうようだ。いいのか悪いのか。

「そうことじゃねえんだよ」

男性と私は互いに噛み合わない主張を交わし、しばし膠着状態に陥った。

そうこうしていると、通路側に人の気配がした。振り向くと、やたら毛深い男性がたたずんでいた。

「あ、どうぞ」

私は空気を察し、男性に左隣の椅子をすすめた。男性はニコリとすると、どっこいしょと腰を下ろした。

どうやら男性はさきほどのやりとりを立ち聞きしていたようで、なにか話したそうだった。そこで私は手持ちの一升瓶を一杯勧め、「どう思いますか」と促した。


男性はどうやら話すことが得意でないらしく、身振り手振りを始めた。男性もどうやら複雑な一生を過ごしたようで、槍で刺されたり崖に追い詰められたりと相当に過酷な日々の繰り返しだったらしい。

最後はパタリと息絶えるしぐさを見せたところで、独演会は終わった。

私は男性の身振りを見ながら、どこか懐かしい、非常に懐かしいものを感じた。今はもうない、歴史の舞台から退場を迫られた存在。あれは確か・・

「もしや、あなたは」

私の言葉に男性は瞳を輝かせた。ビンゴだ。我々ホモ・サピエンスとの生存競争に敗れ去った猿人類・ネアンデルタール人。まさかこんなところでお目にかかれるとは。

男性は一族の最後の最後の子孫だった。男性が息絶え、種族としては永遠に地上から姿を消した。

日々生きるのに必死だった。夢なんて、持つチャンスさえなかった。なかったんですよ。あなたね、「夢破れた」なんかカッコつけたこといってるけど、夢を持てることほど素敵なことはないですよ。

「人生で夢を持てたこと自体に、感謝しませんか」

私は類人猿に代わってメッセージを伝えた。科挙崩れの男性は、猪口をあおぐ手を止めた。考えた。

「そう、かもな」

張り詰めた糸が、ゆるんだ。

そこからは早かった。お互いに、阿呆なことを語り合った。酒が、緩んだ場をさらに和やかにした。我々は打ち解け、100年来ともいえるようなバカ友達となった。

東の空に薄いオレンジが広がりはじめたころ、列車は下降し再び新橋駅前へと戻ってきた。

ああ、楽しかった。

ありがとう、と声をかけようと顔をあげると、科挙崩れの男性はもういなかった。隣のネアンデルタール人もおらず、客席には丸いおしりの跡が残っているだけだった。

二人とも、還ったんだな。

めくるめく魅惑のひとときを過ぎ、私は客車を降りた。そこで記憶が途絶えた。

初春のポカポカ日和に瞳を刺激され、私は目を覚ました。

一晩をSLの前で過ごしたようだ。

夢だったのかどうなのか、それはわからない。ただ、私は自分の満たされた気持ちにしあわせを感じた。

また、呑みにいこう。

私は二日酔いのアタマを軽くペチリとやると、始発電車を拾いにホームへ向かった。

 

walking space


ive been enjoying walking travel for around 20 years 

 

start from one town, walk all the day long, reach some town, pitch a tent, the sun rises, then walk again.

 

thus ive walked along the seashore of half of japan. 

 

as you might know, japan is rather a small country. small island.

 

but as you walk longer, you will find that this small island has surprising diversity.

 

the food, the local tongue( i mean the accent ) , the building culture (including the rooftile), the climate, anything.

 

on the countryside road you will find interesting stone monument which tells us the history of its local community.

 

some community has suffered from terrible starve in samurai era.

 

some place has experienced huge earthquake, which took away the lives of many residents.

 

the space is diverse, each spot each scenery is unique.

 

while i keep on moving my legs i feel im just a part of this deep world.

 

everything is just a part, everything makes up the whole thing. 

 

everything is the king, queen, father , mother , son , daughter.

 

we are same.

 

writing this i feel like taking day off from work and walk again 🙂

40と創作

40を超えて初めて短編小説を書き始めた

空想に身を任せ、書きたいように物語を展開させる

弱い者が弱いままで救われるような、そんな世界を描くよう努めている

これが実に楽しく、書き進めること自体がストレス発散であるとともに自らに養分を与える手段となっている

世の中は不条理が幅を利かせている、強いものが勝つ、しばしば裏切りが歴史をつくりあげている

だけれども、本当は弱い者だってそのままであって赦されるはずだ

知恵が回らず、気配りが行き届かず、行間を読めず、裏側を見抜けない浅学非才な人間にだって、そこにそのままにあって受け入れられる空間があるはずだ

私はそう信じる

私という個人の、40数年の履歴で培った視点なり弱みなりいたらなさを、恥じることなく、包み隠さず、文字にし、起承転にし、展開させ

どこかで自己否定に苦しんでいる人が、もし拙文に目を通してくれたら、少しでもやすらぎを見出してもらえるように、意識している

それにしても、物語を書くことは本当に楽しい

自分自身を発見する旅をしているようで、幸せを感じる

【ショートショート】しあわせメーター

 

 

IT系のスタートアップが斬新な商品を売り出した。

 

「しあわせメーター」

 

ぱっと見はメガネだが、縁についているボタンを押すと、目の前にいる人の幸せレベルを数値化してくれる。

 

日曜の空いた電車で、私はたまたま向かい合った初老の女性にフォーカスしてみた。

 

「幸せレベル:85」

 

お、なかなか満たされていらっしゃるようだ。そういえば落ち着いたたたずまいの中に、なにか満たされたものを感じるぞ。醸し出される雰囲気のとおり、日々の暮らしの場面場面で幸せを見出していらっしゃるのかなあ。老いは憂いばかり、ともいえないようだ。

 

私まで幸せのおすそ分けをいただいたような気分になり、車窓から差し込む初春の日差しがなおのこと心地よく、暖かく感じた。

 

電車を降り、改札を抜けたところで、駅のTVモニターが目に止まった。人気アイドルグループがキレキレのダンスを披露している。

 

センターの人に焦点を定め、ボタンを押してみた。

 

メーターは「46」と出た。

 

なんとも微妙ではないか。なぜだろう。

 

私はボタンをカチカチと2回押してみた。こうすると、数字の分析データが現れる。

 

「プライド満足度:70 焦り:91 疑い:98」

 

これをどうみたらいいのか。

 

拾った数字から推し量るに、こういったことだろうか。つまり、センターポジションを取れてハッピーではある。でも、日がたつにつれて達成感も正直、麻痺してきた。それだけじゃない。いつかこの座を誰かに奪われるかもしれないという焦りのほうが強まっている。特に、左隣のキラキラしている女の子は成長株で、いつか私を出し抜くんじゃないか。疑い出すときりがない。

 

なかなかに、息苦しい世界なのかもしれないなあ。

 

駅を出ると、スクランブル交差点がちょうど赤信号になった。いつもにまして人混みがすごいなあと思っていたら、誰かが街頭演説をやっている。よくよく見ると、この国のリーダーじゃないか。

 

メーターを起動させた。

 

「66」

微妙な数字だなあ。カチカチ

 

「野心達成度:93 焦り:30」

 

え、特に問題ないじゃん。どういうことだろう。

 

私はメガネを長押しした。こうすると、少し先のデータ予測が現れる。

 

「野心達成度:プラマイ45」

 

なるほど、一寸先は闇、と。このおじさんは自分の座が安泰だと思っているようだけど、メーターは冷酷に将来の不確実性を見通しているようだ。たしかに、病気なりけがなりして一線を退かなければならなくなることもありえるぞ。

 

野心に人生を捧げるようでは、安定した幸せは得られないのかもしれないなあ。

 

私はだんだんとメガネを使うのがつまらなく感じられてきた。まあでも、せっかく諭吉をはたいて買ったんだから、もう少し遊んでみるか。

 

大通りを散策していると、黒塗りのリムジンがゆっくりと通り過ぎた。後部座席には、品の良い紳士が座っていた。そういえば、今週は海の向こうからとある国の王様が訪れていたんだっけ。風貌から、御本人のようだ。人柄よし、ルックスよしのセレブリティで、通り沿いの老若男女が興奮気味にスマートフォンのカメラを向けている。

 

これは高い数字が出そうだ。私は期待を込めてポチッと押した。

 

メーターは「70」と表示した。

 

これまた、なんで。意外にも平凡な数字に、私は肩透かしを食らい、脱力した。

 

カチカチ、長押しをし、私はふうとため息を付いた。つまり、王様は生まれてこの方、満たされた暮らしをしてきてはいる。でも、悩みがあった。跡取りのことだ。世間をちょいと騒がせているのだが、少々やんちゃがすぎるところがあって、ゴシップネタを提供することしばしばであった。父親としては気が気でない。とても「幸せ」を満喫する気分にはなれないということのようだ。

 

もう、だれもかれも幸せになれないんじゃないか。誰でもいいから、「100」を叩き出してくれる人を見たかったなあ。

 

ハンパないがっかり感を肚に抱えながら、私は街路樹の緑に目線を休ませた。

 

もう、このメガネ、いらないか。ポケットにしまおうと縁に手をかけたとき、意図せずボタンに触れた。

 

メーターが起動した。スクリーンには「∞(インフィニティ)」の文字が表示されていた。

 

どういうことだ。

 

予想もしていない記号の登場に、私は混乱した。

 

カチカチ、長押し

 

どれも「∞」を示すばかりだった。

 

ここからは推論に推論を重ねるしかない。乏しい知恵をひねりにひねった結果、私はこのように考えた。街路樹の緑には、幸せも不幸せも感じることがない。ただひたすら、お陽様のエネルギーを浴びて浴びて、生きて、それだけにすぎない。数字に表せるものは、ない。

 

しかし、だからこそ、どっしりしているのかもしれない。そこにいるだけで、上もなければ下もない。緑の葉はエネルギーを体に取り入れるが、そのエネルギーもやがて形を変え、さよならを告げることもなく去っていく。それに対する執着もない。他の何者にも揺るがされることがない。

 

これを幸せと言わずして、なんと表現したらいいのか。

 

私は予想もしていないところで求めていたものを見つけたような気がした。

 

それからは、人ではなく、道端の草花や石ころ、たなびく白雲など、日ごろ目に止めることのなかったものというものにメガネを向けてみた。

 

どれも、「∞」を示した。

 

私は文字通り、目から鱗が落ちたように感じた。自分は今までなんと狭い視野の中で暮らしてきたんだろう。世の中は、人間だけで成り立っているわけではないんだ。

 

数字を、比較を、優劣を求める人間の小さな小さな空間を、意味付けから自由な無限の世界が包んでいる。それは命そのものの世界であり、石ころや白雲といったモノの世界でもある。

 

ありがたいものは、身の周りにあふれているんだなあ。

 

私はようやくこのアイテムに満足を感じるとともに、もう頼る必要もないことを悟った。

 

リサイクルショップに持っていくと、購入したときの8掛けほどの値段で買い取ってもらえた。ちょっと、得をした気になった。

 

手にしたお札で、ビールを3缶ほど買った。今日は家でしっぽり飲むことにしよう。

 

夕暮れ時の帰り道、交差点で信号待ちをしていると、東の空にぼおと満月が顔をのぞかせていた。

 

声もなく、じんわりとのどかな光を寄せる丸い顔に、私はそれまで気づかなかったような温かみを感じた。

 

脱・独我論考

学生のときから妙な考えに苦しめられてきた

 

一言でいうと「独我論」だ

 

世の中で唯一間違いない真実とは、「考える私」しかないという思想である

 

手に取るカップ、遠目に映る白雲など、あらゆるものは

 

ただ私が眼で受け止めているだけの感覚であり、瞳の向こうにそういったものものが本当に存在しているかどうかは分からない

 

中学生のころからこうした感覚に薄ら薄ら気づき、なんだか分からないため意識の向こうに放りやっていたが

 

大学に入り、専攻を選ぶ段階で哲学に決め、いろいろと先人の書いたものをめくっていくうちに上記のワードにたどり着いた

 

ああ、これだ

 

私が少年時代から何となく抱いてきたフワフワ感は、言葉を与えるとこの表現になるのか

 

膝を叩きたくなる興奮とともに、救いがたい恐怖に包まれた

 

結局、独我論を打ち破る理論は見つかっていないようだ

 

少なくとも、私がこの奇妙な世界観から自らを解放する論理の道筋は見つけることができなかった

 

そのまま大学を卒業し、就職し、家庭を持ち、今に至る

 

世間の高い圧力の中でなんとか生きのび、上記概念に悩まされる心的余裕すらなくなっているのが現状だが、それでも折々に、私のこころが少し余裕を持ち合わせたときなどに、予告なく顔をひょっこり出す

 

そしてまた私は苦しめられる

 

これが続いて20年。もう死ぬまでこの妙な感覚と付き合わなければならないのだろうと半ば諦めていたが

 

最近になり、どうも解決の糸口を見出したように感じる

 

独我論は、突き詰めれば感覚の世界であり、論理とは別の問題である

 

感覚に論理を与えるのは、鬼に金棒を与えるようなものだ

 

論理は自ら勝手に理論武装をするため、それを打破しようとすればするほど論理のくさびに絡めとられる

 

論理という武器を渡してはならないのだ

 

感覚は生命の持った一つの生きた現実であり、そこに良いも悪いも、正しいも正しくもない

 

そういえば私の折々に抱くこの感覚自体は、特段不快というわけでもない

 

論理を与えたときだけ、それは凶暴化し、私を恐怖とdepressionの世界に引きずり込む

 

これに気付いたきっかけはなんだったのか、今ではよく覚えていない

 

それは今からほんの1か月か、それくらい前のことだった

 

それから、私はこの感覚が肚の底から沸き上がってくるたびに、論理を与えず傍観するようにしている

 

感覚の暴走を食い止めるのは論理ではなく、感覚である

 

感覚がdownhillにあるときは、それに勢いを与えるのではなく、反対の力を加える

 

upbeatになるよう、空を見上げたり、酒をすすったり、阿呆なことを考えたり口走ったりする

 

すると大分に心持がよくなり、感覚は気付くと輪郭を失っている、私は楽になる

 

こんなことに気付くのになぜ20年近くもかかってしまったのか分からないが

 

ただ同じような感覚に苦しめられている御仁がいるかもしれないと思い、何かの参考になればと思いここに記す

【SF短編】7色の星

 

宇宙は探検するほど発見がある。自分たちの常識がいとも簡単に覆されるのは、多少ショッキングではあるが、驚きと喜びがはるかに優る。

知れば知るほど、己の視野の狭さに思い至り、頭が垂れる。

ともあれ、こちらの星もまた我々地球人にとっては奇想天外な世界だといえる。

一言では表現しづらいが、あえていうなら性別が七つあるのだ。

我々の世界のように、男性女性という見た目にも分かりやすい区別はない。

いわゆる生殖器に相当する突起物や窪みのようなものがない。ただ、それ以外の点では人間とそれほど変わらない。

子孫、という表現が適当かどうかは分からないが、彼らも種の存続を図る。その経緯は、我々からみると独特である。

気の合う相手の手を握る。そのまま心ゆくまで穏やかなときを過ごす。すると、双方の体内で特殊な分泌物があふれだし、それぞれ1体の赤子を宿す。

私は冒頭で「7色」といったが、それは彼らの瞳の色に由来している。瞳の色は、各人の個性を直接的に現している。我々人類にとってもこの点はイメージしやすいのではないかと思うが、例えば赤色を帯びている個人は、感性が豊かで行動的だ。青色の個人は、満月に照らされた海原のように悠然として落ち着いている。

自分の内面と、身体的な特徴が一致している。人類にとっては何ともうらやましい特徴といえるかもしれない。

瞳の色が混ざるということは、個性も混ざるということである。そこで新たな色合いの瞳が生まれる。その瞳も、成長とともに個性が花開いていくにつれ、色合いを自在に変えていく。

ここまで書いて勘のいい御仁は気付くだろうが、実は「7色」などという区別すら、実際には存在しない。夕立の後に現れる虹のように、それぞれの色合いにはっきりした境目があるわけではない。どこまでも自然であり、融通無碍だ。

その星の住人に、私は人類の抱える課題を明かしてみた。「内面と身体が一致しないケースがあるんです」

一致しないことが個人に苦しみをもたらす。一部の人間からは心ない言葉を浴びせられる。個人に罪はないだけに、本人も周囲もやるせない。

星の住人はふうむと腕組みをしたまま宙をにらみ、やがて口を開いた。

「我々の立場から言わせていただきますと、答えは単純ですよ」

この世に性別が2種類しかない、というのは地球人の話にすぎません。現に我々の星ではあなたがたの考える生命の枠組みから外れています。いずれまた、私どもとも異なる生命の仕組みを宿す異星人と遭遇することになるかもしれません。

『男性』ですか、『女性』ですか、大いに結構。その枠組みにはまらないと感じる人がいらっしゃって、なおさら結構なことではないですか。

「なぜ」と私は尋ねた。

私の星の話に戻りますけれどね、私たちには「性」という言葉はありません。瞳の色に、境目はありません。区別しようとすること自体が無理なんです。

納得がいかない私は、無言でさらなる言葉を待った。

あなたがたのいう「性」というものを生命の個性と言い換えてみましょうか。それは本来、一人一人によって違うんじゃないでしょうかね。

男性の中にも雄々しい者もいれば、草食系もいる。女性だって「可愛らしい」が似合う人もいれば、「男勝り」で周囲に頼られる人もいる。

男性の中にも女性的な魅力が備わっている。それは成長の過程や社会環境の中で自在に姿を変えていく。

性というものを型枠の中に押し込めてしまおうとすること自体に無理がある。

「おっしゃることは分かりました。考え方はそうであるべきなのかもしれません。ですがね、私たち人類には、持って生まれた身体上の違いがあるんです」

私の質問に、星の住民はしばらく言葉に詰まった。

「その点は、我々にも想像が及ばない。内面と外面が一致しないのは苦しみだと察します。少なくとも、あなたがたは我々よりも生きることが難しいといえるかもしれない」

もやもやした疑問を氷解させてくれるような言葉は、遂に出てこなかった。ただ、私は件の星人とのやりとりを通じ、一つ手がかりを得たように感じた。

外面については、本人の望むと望まざるとに関わらず、生まれながらに一つの個性を与えられてしまうのが地球人の宿命だ。これは逃れることができない。一方で、内面の個性については、この星の住人のように、実に多様な世界が広がっているのかもしれない。身体という覆いの奥に広がる個性的な空間に思いをはせ、誰彼にも温かく接していきたいものだ。

地球の常識、宇宙の非常識。

これぐらいの慎ましい気持ちでもって世の中を見渡していけば、例え新たな星人との出会いに恵まれなくても、大切な気づきを得ることができるかもしれない。

件の星人とは、その後もちょくちょく交流を重ねている。お互いに発見がある。羨望の念を抱くこともあれば、「それはまた大変ですねえ」と慰めたりすることもある。どの星にも恵みがあり、悩みがあるものだ。

7色の星がたたずむ夜空の一角を見上げるたびに、私はコチコチに固まった頭が気持ちよくほぐされていくのを感じ、思わず笑みが漏れる。