ピンピン、コロリが終わり方の理想だったが、まあそこそこいい形に締めくくることはできたんじゃないかな。
家族に迷惑かけすぎることなく、没後のゴタゴタがおこらないよう終活もしっかり済ませておいたしね。
おかげで心置きなく、こっちの世界にお引越しができるというものだ。
火葬場で、一人一人にお別れのエアーハグをさせてもらった。みんな、ありがとう。おいら、旅立つよ。
さてさて、こっちの世界はお初だが、なんだか懐かしさを感じるなあ。
あれか、昔はこっちにいたからか。どっちがホームか、分からないや。
「おお、ようやくおでましかい」
と、懐かしい面構えがおいらを迎えてくれた。行きつけの飲み屋で意気投合した、常連客のジュンさんだ。ハイタッチからのガッチリハグ。ああ、生き返りそうだ。
ジュンさんは酒飲みがたたって、ちょっと前に旅立った。こうしてまた、景気のいいエビス顔を拝めて、しみじみありがたいことだ。
「ジュンさんも元気なようで。おいら、こっちの世界は慣れないもんで、いろいろ教えてくれよなあ」
ジュンさんは「おうよ」と頼れる兄貴とばかりに胸を張ると、「いいとこ見つけてるから」とささやいた。お、早速赤ちょうちんを開拓しているのかい。さすが、おいらが見上げる呑ん兵衛だ。
案内された先は、海辺に開けた一軒のホテル。オープンテラスはワイワイと談笑のバイブが広がっている。白人、黒人、中東系、お侍さんからknigt、牧師さんまで、古今東西実にバラエティに富んだ顔ぶれがそろっている。
「これが、こっちの世界の面白いとこなんだ」
ジュンさんがささやいた。
ケミストリーさえ合えば、誰とでもすぐに友達になれる。お互いに押し付け合うようなことは、ない。なぜなら、そういう人ばかりが集まっている世界だから。
「ここって、ひょっとして『天国』ってとこかい」
おいらが尋ねるでもなくつぶやくと、ジュンさんはちょいと首をひねった。「まあ、当たりといえば当たりだろろうけれど、すこしばかし違うかもなあ」
ある人はここを「天国」「heaven」と呼び、ある人は「極楽浄土」と呼ぶ。表現は人によってさまざまあるらしい。
一つ、共通していることがある。ここには、温かさのにじむ人間しかいないということだ。
「なんだかよくわからないけど、まあとにかくみんな仲良くやっていってるんだね」
ジュンさんは傍らでうなずいた。
テーブルでワイングラスを傾ける、牧師さん風の紳士に話しかけてみた。「どうですか、こちらの暮らしは」
紳士は微笑んだ。「最高ですよ。みなさんご覧の通り、愛にあふれていらっしゃる。まさにheaven」
隣に腰掛けていた、僧衣の女性も品よくうなずいた。「本当に。御仏のおはす浄土」
おいらは少々混乱した。heavenで浄土だなんて、そんな信仰界のチャンポンみたいなこと、ありえるのかいな。
「それがこっちの世界の奥深いとこなんだよ」
ジュンさんがまたささやいた。
向かいのテーブルでは、しがないサラリーマン風の中年男性が中ジョッキをあおっていた。暇そうだったので、尋ねてみた。「すいませんが、ここはどこでしょうか」
サラリーマンは答えた。「さあ、わかりませんなあ」
ジョッキを手にしているだけで幸せそうな顔を眺めていると、おいらもなんだかどうでもいいような気持ちになりかけたが、うずく疑問を解き明かすため質問を続けた。「ここはheavenですか、浄土ですか、それとも何かですか」
「そんな難しいこと聞かれても、わかりませんよ。まあ、どっちでもないかなあ。なんせ私は特定の教えをいただいたり、してませんのでねえ。無信仰、ってやつですよ」
なんとまあ。
ここにはatheistも、あるいはagnosticも、同居しているのか。
「どうだい、面白いだろう」
やり取りの一切を隣で見守っていた、ジュンさんがニヤリとした。
一体全体、どうしてみんなが一緒に暮らせているんだろう。
疑問の塊になっているおいらのそばで、求道者風の老人がボソリとつぶやいた。「同通、しとるんじゃ」
各人が、異なった世界観を持っている。ある人にとって真実はchristianityであり、ある人にとってはbuddhismである。別の誰かは無神論を抱いている。不可知論を唱えるagnosticもいる。それぞれの世界観は、個個別別に存在し、お互いを結びつけ合う接点はないようにもみえる。古今東西を見渡すと分かるように、地上は争いと紛争であふれている。だが、我々を包むこの宇宙というのは、孤立対立をただ傍観しているほど小さな器ではないようだ。
それぞれの世界観が真実であり、各人の描くとおりの景色が描き出されると同時に、人の気持ちが分かる、いたわれる者同士は通じ合うのだ。
monotheist、polytheist、atheist、agnostic、関係ない。晴れて人生劇場を卒業した一人一人を待ち受けているのは、お互いを穏やかにつなぐ同通世界というわけなのである。
「さすがは求道者。よほどの賢人とお見受けしました」
おいらは御老体の足にひざまづこうとしたが、手で制された。「いやま、待たれい」
「これ全部、他の人から聞いた受け売りなんじゃよ」
ペロッと舌を出す御老体においらはのけぞりかけたが、いやまいいことを聞いたと気持ちが晴れ晴れした。
・・・・・
それから数年たったころ、いつものオープンテラスでジョッキを交わしたジュンさんが、ぼそりとつぶやいた。「俺、そろそろ行くことにするわ」
ジュンさんは地球にいたころ、仏間のある家庭で育った。reincarnation(輪廻)という世の中の循環の仕組みを、特に根拠があるわけでもないが信じていた。生まれ変わる先は、どこかの一般家庭かもしれない。王侯貴族の邸宅かもしれない。はたまた泥沼に沈むオタマジャクシの卵かもしれない。苦労がどれほど降りかかるか分からない。それでも、何かワクワクドキドキ、出会いに喧嘩に感動に後悔にあふれた冒険を、またまたしてみたくなった。
おいらは突然のお別れ宣言に胸が詰まったが、ジュンさんの選択だ。笑顔で送り出すことにした。
隣のテーブルには、いつかの牧師さんがたたずんでいた。ジュンさんの信じる循環システムは、牧師さんの世界観に存在しなかったが、戸惑うこともなくジュンさんに笑みを贈った。
それぞれの信じる世界が展開する。どれもが真実だ。矛盾はない。ただ、分かり合おうとする気持ちさえあれば、通じる。そのことに、この世界の一人一人が気づいていた。穏やかな場の広がりが、誰も彼もを温かみで包み込んでいた。
こんな素晴らしい世界、地上にいる間に実現しないのはもったいない。つくづく感じる。
「えいよっと」
足元に広がる雲に向かって、スイマーのようにジュンさんが飛び込んでいった。あっという間に姿は見えなくなった。「ジュンさん、adios」
おいらのあの世暮らしは、それからかなり寂しくなった。けれど、後から後から上がってくる昔の呑ん兵衛仲間たちに、おいらの心はどんどんと癒やされている。
こっちの世界は、どこまでも穏やかだ。だけど、いつかおいらもジュンさんのようにまた旅立ちを決心するときがくるかもしれない。そのときは、地上でたっぷり楽しんでやろうと思う。あのときの御老体が教えてくれた、同通世界の実現だ。
なんたって、地上で酌み交わすリアル酒は、この上なく美味しいからなあ。
完