おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【サラリーマン・癒やしの和歌】12・古代のラップ

疲れたサラリーマンに、古の和歌が響く。

 

~簡単な自己紹介 

 

会社員となり、取引先の方から教わった縁で、古代和歌の魅力に惹きこまれるようになった。

 

そこには百人一首のような練り上げられた技巧はなく、詠み手のこころがそのままに表現されているように感じる。

 

それだけでも素晴らしいと思うのだが、作品作品を口に出して読んでみるとき、その抜群のリズム感、音感にこころをわしづかみにされる。こちらが現代の疲れたサラリーマンだからか知らないが、とにかく引き込まれ、癒される。

 

代表的な歌だが、こちらの作品をご案内したい。1行目で「あれか」と感じたら、さすがだ。

 

風まじり 雨降る夜(よ)の 雨まじり

雪降る夜は 術(すべ)もなく

寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ

糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ  鼻びしびしに

しかとあらぬ  ひげかきなでて

吾(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇ろへど

寒くしあれば 麻ぶすま 引き被(かがふ)り

布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 著襲(きそ)へども

寒き夜すらを

吾(われ)よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ

妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ

この時は いかにしつつか 汝(な)が世は渡る


天地は 広しといへど 吾(あ)が為は 狭(さ)くやなりぬる

日月は 明しといへど 吾がためは 照りや給はぬ

人皆か 吾(われ)のみや然る

わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あれ)も作(な)れるを

綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと

わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち懸け

伏いほの 曲いほの内に 直(ひた)土に 藁解き敷きて

父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲みゐて 憂へ吟(さまよ)ひ

かまどには 火気(けぶり)ふき立てず こしきには 蜘蛛の巣かきて

飯炊(いひかし)く 事も忘れて

奴延鳥(ぬえどり)の のどよひをるに

いとのきて 短き物を 端きると いへるがごとく

楚(しもと)取る 里長が声は 寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ

かくばかり 術無きものか 世間(よのなか)の道

 

(『万葉集』巻5-892)

 

以上は古代歌人山上憶良の作品「貧窮問答歌」だ。

文字を追っているだけでだいたいの意味はつかんでいただけると思う。

 

私がこの作品でグッとくるのは、5・7の固定パターンを逆に生かした独特のリズム感だ。豊かなボキャブラリーを盛り込むことでその秀逸さがさらに際立つ。

 

糟湯酒 うちすすろひて

しはぶかひ  鼻びしびしに

しかとあらぬ  ひげかきなで

 

酒といえた代物でもない液体をすすり、すっかり冷えた冬の夜に鼻がかじかむ。自らの不幸から目を背け、たいして貫禄もないひげをかきなでて、「俺はすごいんだ」と空しく叫ぶ。

 

古代語の詳しい意味は、分からない。ただこの一つ一つの音を声に出して追っていく。それだけで、登場人物の心境に浸ることができるような気がしてくる。

 

「鼻びしびしに」とはどういった状態を指すのだろうか。詳しくは分からない。ただ、この「びしびし」という単語・音から、すっかりかじかんで硬直した鼻柱がイメージできる(私の場合)。

 

「しかとあらぬ」はそれだけで意味がつかめそうだ。私はここについて「たいしたこともない」「たいした貫禄もない」という意味のように受け取った。現代語よりもぴったりきそうな音ではないか。

 

山上憶良は一つ一つの作品がこのように豊かな表現・音感であふれている。だからファンが多く、1000年以上たっても人々を魅了する。

 

いうなれば古代日本の名ラッパーだ。めちゃめちゃカッコいい。

 

黒人のラッパーとはまた一味違った魅力があり、リズム感があり、情感にあふれていると思う。

 

古代和歌、ばんざい。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~