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【ざんねんマンと行く】 ~第22話・殿様の悲哀(上)~ - おじさん少年の記
「そうです。と答えられれば、よいのですが」
ざんねんマンの一言には、どこか哀しい響きがこもっていた。
たしかに、私の暮らす21世紀の日本では、衣・食・住の問題はほぼ解決されております。生活が立ち行かない人に対しては、国が面倒をみる仕組みもできているんです。その点でいいますなら、殿様の時代に比べてはるかに世の中は良くなっている、といえるのでしょう。
「ならば何の問題もないではないか」
合点がいかぬ表情の忠直公に、ざんねんマンは困惑した。どうやって説明したらいいものか。
「衣食足りて礼節を知る」、といいますよね。21世紀の日本は、ようやくその段階に入ったといっていいと思います。礼節をわきまえる余裕ができたわけです。ですがその先に、殿様の時代の人々からは想像もできないような問題が現れてきたんです。
暮らしが安定した先に、目指すべきものが、ない。
生きていくのが必死だった時代は、生きること自体が目的だったと思います。ところが私たちの時代では、それは問題でなくなった。その代わりに、次に据えるべき、はっきりした目標が見当たらなくなってしまった。そう感じている現代人は少なくないと、私は思います。
ものは満たされても、心は満たされない。そこに拠って立つべき羅針盤が、見つからない。これはこれで、辛いものだと思いますよ。
引きこもり、不登校、うつ病、自死。どれも、現代に至って顕著になっている心の問題ばかりだ。
「うむう・・・そちの時代も、なかなか息苦しい世のようじゃなあ」
忠直公、思わずため息をついた。
いつの世も、悩みがあり、喜びがある。桃源郷のような時代は、現れないのかもしれない。人はその時代時代で、苦しみを抱え、打開策を見つけようと模索するものなのかもしれない。21世紀の現代人も、3歩進んで2歩下がりながら、何か新たな価値観や指標を見出していくことになるのだろう。
「余は決めたぞ。余の時代に、帰る」
自ら選んで生まれた時代ではない.。が、そこで生を受けたことに、何かの意味があるのかもしれない。余は縁あって生まれた江戸の世で、残された生を悔いなく生きつくそう。
忠直公、決然と立ち上がった。「最後に、もう一回だけ、厠を借りるぞ」
15分間、殿様はトイレから出てこなかった。中からは、先ほどよりも音程が高いあえぎ声。どうも、ウォシュレットのボタンを最高の「5」にしたようだ。最強水圧で体も心もスッキリした後、従容(しょうよう)とした表情でタイムマシーンへと向かった。
・・その後。忠直公はさらに数奇な人生を歩むこととなった。
領国である福井を追われ、遠く九州・豊後国に配流となった。城下町から離れた、ひなびた集落で、終生、蟄居生活を強いられることになった。
だが、そこでの忠直公の心持ちは、かつてと全く違っていた。対人不信の塊だった心に、凝りがほぐれた肩のように柔軟性を取り戻した。現状を嘆くでもなく従容と受け入れたことで、不遇とみられる環境の中で心の余裕を見出した。
かつて苛政で家臣や住民を苦しめた暴君が、民を慈しみ、寺社への寄進を惜しまぬ信心深き存在に変わった。民に愛された忠直公は、天寿を全うした後も「一伯公」との尊称で慕われ、現在に至るまで公廟が大切に守られている。
21世紀。忠直公の「その後」を図書館で調べたざんねんマンは、人生の後半で本来の輝きを取り戻した殿様に心の中で賛辞を贈った。
僕も、せいいっぱい、今の時代を生きていこう。
華はないけど、目立った仕事もできないけど、自分なりに、できる範囲で、人助けをしていこう。
ヒーロー稼業にますます意欲を強めたざんねんマン、次に出逢うタイムトラベル業務に向け、「演出としてウォシュレットの水圧をもうちょっと強めとこう」と本筋から外れたとこで芸磨きに腐心するのであった。
~お読みくださり、ありがとうございました~