おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第6話・悟れぬ仏師~

眼前に据えたクスノキの心材を凝視したまま、ピクリとも動かない。いや、動けない。

仏師の家系に生まれた若い男は、代々世間から一族に与えられてきた評価と称賛を受け継ぐべく、日々研鑽を重ねている。だが、人々の心を打つ作品を仕上げられたことは、これまで一度も、ない。この日も鑿(のみ)を手にしたまま、最初の一投をふるえずにいた。

父親譲りの力量は備えている。まるで生きているかのように、肉体を活写する力は周囲も認めるところだ。悟りを求め、極みを目指す菩薩の求道心を、心材を彫り上げては形にしようと努めてきた。あと一歩だ。だが、その一歩が何なのか、分からない。

「神仏よ、吾に力を与えたまえ!」

男の真心が言葉という形をまとった瞬間、午睡をむさぼっていた一人の男は、雷に打たれたかのように飛び起きた。

日本の片田舎から生まれた、人助けのヒーロー・ざんねんマン。これまで、一見たいしたことはしてないが、結果的に人々を救ってきた。テレビ受けは必ずしもしない、異色の主人公だ。

得意の飛行術で都心の空をマッハ3で突っ切り、2分で男の作業場に到着。古く重い扉をギギーと開けたところで、ご対面となった。

「こ、これは何と・・・」

男の口から、驚きとも呆れともつかぬ声が漏れる。神仏とは似ても似つかぬ、なんとも風体の上がらぬ格好だ。手作りマントが、わびしさに拍車を掛ける。こんな生活感にまみれた男が、神仏、いや、その使いだとでもいうのだろうか・・

ただ目が合っただけで、早くも残念がられる悲しいヒーロー。だが、対面がもたらしたしばしの沈黙は、若き仏師の心中で予期せぬ化学反応を呼び起こした。

神仏といえば、こういうもの。威厳を兼ね備えた存在。そんなふうに、思い込んではいなかったか。一種近寄りがたいような、気高い雰囲気をまとっている、そのような崇高な人物像を、いつしか勝手に作り上げてはいなかったか。人々の心の救いという、本来の目的を、いつしか見失ってはいなかったか。

固定観念を、破り捨てるんだ。

男は、見えない膜に包まれていた心の空間がうっすらと晴れ渡るのを感じた。手掛かりが見えた。あふれるイマジネーションが、男の手を一投へといざなった。

コンコンコンコン・・・・

もはや手作りマントの男の存在を忘れたかのように、仏師は無心に鑿をふるった。もはやどこまでが仏像で、どこまでが仏師かも分からない。作る者と作られる者とが渾然一体となった空間で、ざんねんマンは「お役御免」と悟ったか、できる音を立てないよう扉を閉じ、その場を後にするのであった。

わずか2時間後。若き仏師は、生まれたての像と向かい合っていた。

体をくねらせ、曲線美のあふれる姿は、ヒンドゥーの神と似ている。ただ、目がやたらクリクリと大きく、かなり垂れている。下がちょびっと出ている。右手のひらを上に、左手のひらは真下を指し、言い方を悪くすると出前に行きかけの酔っ払いのように見えなくもない。正直、かなりナメているとしか思えない格好だ。

「できた、これだ、これが俺の求めていた、救いなんだ」

願いは一つ、像を見る人の心が、少しでも癒やされること。であるなら、形なんかにこだわってはいられない。人が見て、思わずニンマリして、疲れた心がホッコリするような、そんな姿で、いいんだ。何より、俺の身の丈にあった、表現だ。菩提心の赴くがままに掘り抜いていった結果、これまで誰も見たことのない仏が誕生した。

マスコミの評判は散々だった。「仏師家系の御曹司、伝統に泥を塗る」「仏の“堕落”始まる」

一方、人々の本音が渦巻くネットの世界では真逆の反応があった。「癒し系で、よくね?」「垂れ目がじわじわくる笑」「ブルーな日曜の夜、見てるだけで元気もらえたよ」

若者文化の発信地である東京・原宿では、さっそく「癒し系ホトケフィギュア」として数々のグッズが誕生。飛ぶように売れた。人気は海を越え、中国では「新型仏系」という新語が誕生。地球上のあちこちで、新たな“救い主”が家庭に笑いとゆとりをもたらす爆発的文化現象を巻き起こした。

いまや伝統の業界からつまはじきにされたものの、男にはもはや迷いや焦りはなかった。己の心の命ずるがままに、垂れ目の、ややなめくさったといえないこともない像を掘り続ける日々が始まった。

男に“悟り”の転機を与えたざんねんマン。自分が大役を果たしていたことも知らず、秋葉原で買った癒し系ホトケフィギュアを愛でては「あの仏師、すごいなあ」と嘆息するのであった。

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

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