おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第17話・なんという暮らしの中にもしあわせの種はある~

人助けのヒーローこと「ざんねんマン」も、お呼びが掛からなければすることがない。寂しいようだが、それだけ世間が平和ということで、ありがたくもある。

 

週末の午後。つかの間の平穏をかみしめんと、ざんねんマンは一人、気楽な電車旅に出た。

 

ガラガラの車内で、長椅子を独り占め。平日なら通勤客でギュウギュウになっているはずだ。大股開きになってぜいたくを満喫していると、小さな駅で家族連れが入ってきた。

 

おじいちゃんからちびっ子まで、10人近くはいるかな。リュックをしょってて、どうも家族連れみたい。言葉から察するに、外国の方のようだ。

 

ざんねんマンの座る長椅子に、次々と腰かけてきた。残るはお父さんとおぼしき男性一人。ただ、椅子はもういっぱいだ。

 

僕がどいたら、みんな一列に座れるなあ。

 

シャイなざんねんマン、「席を譲る」というポーズをとることができず、代わりに用事があるふりをして電車を降りた。 

 

家族連れのいる車両から離れると、再び乗り込んだ。「向かいの席も空いてたけど、みんな一緒のほうが安心するよなぁ」。

 

その数分後。次のやや大きな停車駅で、えらい多くの乗客が乗り込んできた。どうも大型イベントがあったらしい。家族連れの車両も、あれよという間に若者でギシギシだ。

 

言葉も分からぬ異国の地。つかの間でも離れ離れになっていたら、さぞ心細くなっていたことだろう。満員電車ならではのムンムンした雰囲気に圧倒されながら、家族はホッとしたように笑みを見せ合った。

 

小さな親切は、予想もしないところで、誰かにささやかでも幸運をもたらしているのかもしれない。

 

電気店のひしめく大型駅で、ざんねんマンは降りた。「あー最近、お助け仕事ができてないなあ。なんだか後ろめたい気もするけど、今日はやりっとアニメグッズ収集を楽しもう」。

 

大きく伸びをすると、ネオンきらめく電気街へと繰り出した。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第16話・おっさんだって悩みを抱えている~

ピンポーン

 

玄関のモニターをのぞくと、一人のおっさんが立っていた。

 

都内某所。悩みを抱えたこの男は、どうやって調べたか、人助けのヒーロー「ざんねんマン」の暮らすアパートまでやってきたのであった。

 

今日も長い一日になるのかな。身震いしながら、ざんねんマンはドアを開けた。

 

おっさんの手元には菓子折り一つ。礼儀をわきまえた紳士のようだ。「実は、相談に乗っていただきたく・・」

 

60代後半だという。いたって健康だ。ただ、特に趣味もない。簡単にいうと、生きる目的を見失っているということのようだ。

 

「ふむう、まあその、よくある話 ・・」

 

ざんねんマンが漏らすと、つぶやくと、おっさんは叫んだ。

 

「簡単に、いうなー!」

 

お互いの距離感が縮まったところで、おっさんは過去を語り始めた。どうも、定年まではそこそこ名の知られたメーカーの管理職を務めていたらしい。仕事一筋で、上からも下からも慕われていたようだ。そこに自分の存在意義を見いだし、充実したサラリーマン人生を送ってきたという。だが、定年を迎え、環境ががらりと変わった。

 

肩書きのない自分には、何もない。仕事一本できたから、友達もいない。やること、ない。寂しい。

 

「まあその、つまり、今はただのおっさん、と・・」

 

ざんねんマンの不用意なつぶやきが傷口に塩を塗ってしまった。「ただのおっさん、いうなー!」

 

二人ともややけんか腰になってきたところで、ざんねんマンが啖呵を切った。「ただのおっさん、上等やないですか!名刺とか肩書きとか、あったほうが、疲れるじゃないですか!重しがとれて、よっぽど楽じゃないですか!どうすか!おっさん!」

 

「おっさん」を連呼され、おっさんは意外に心の中で力がムクムクとわいてきていることに気がついた。何もない自分、これか。むしろ、軽くて、フワフワして、楽しいかもしれんぞ。

 

おっさんは、過去の地位や肩書きへの未練を手放すことにした。もう、肩書きはいい。人の評価も、いい。これから俺は、ただのおっさんとして、生きていくぞ。

 

「ありがとう、ざんねんマン。最後に、もう一度、『おっさん』を連呼してくれぃ!」

 

変なお願いに首をかしげながらも、ざんねんマンは応えた。

 

「おっさん!おっさん!HEY HEY OSSAN!」

 

ややラップ調も交えたコールに、おっさんは全身をくねらし、喜びをあらわにした。

 

バターン

 

勢い良く玄関を閉めたおっさんは、そのまま昼下がりの街中へと消えていった。

 

その後。テレビのワイドショーでは、一つの社会現象が取り上げられるようになった。中高年の男性が、こぞって虫取りをしたり秘密基地ごっこを始めたというのである。

 

リポーターのマイクを向けられた男性の一人は答えた。「いやあ、これからは自由気まま、少年の心に戻って楽しんでいこうと思いまして」

 

あのおっさんだ!ざんねんマン、テレビ画面に釘付けになった。スタジオでは、アナウンサーが補足の解説を加えていた。

 

「定年後、肩書きをなくした男性たち。当初は喪失感に浸っていたけれど、吹っ切ることができた一部の人たちが、積極的に外に繰り出しています。このうねりが良い循環を生み、閉じこもりだったシニア男性がどんどん活動的になっているようです」

 

体はおっさん。でも心は少年。マスコミは彼らのことを、多少の敬意を込めて「おじさん少年」と呼び始めた。

 

上着はTシャツ、下は短パン。シャツはしっかり、ズボンに入れ込んでいる。トレードマークとでもいうべき彼らの姿は、いたるところで見られるようになった。街中で。田舎で。海で。山で。満員電車で。いたるところに「おじさん少年」は現れ、世の中に活気をもたらすようになった。

 

社会現象を生み出すサポートをしたざんねんマン。テレビ番組を見終え「僕も早くおじさん少年になりたい」とうらやましがるのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第15話・オリンピックをみんなで楽しく~

世紀の舞台に漂う「ギスギス」感を、みんな一緒の「ワクワク」感に変えられないか―。

 

古代ギリシャで生まれたスポーツの祭典が、現代社会で蘇ってからはや1世紀。人間の鍛え上げた身体能力や表現力をたたえ合う舞台は、やがて出場国同士が力を見せつけ合う競争の場に姿を変えようとしていた。

 

「これでは、いけない」

 

東アジアの2大都市での大会を無事に終えた203×年。各国の心あるリーダーたちが集った。思いは一つ。五輪の原点に立ち返ることだ。

 

金メダルの数とか、どの国がすごいとか、ひとまず置いとこう。せっかく地球のあちこちから当世一級のアスリートたちが集うんだ。何かこう、観る人みんなで楽しく、盛り上がるフェスティバルにできないものか。

 

議論が煮詰まる中、切り札として一人の男が招かれた。人助けの職人こと「ざんねんマン」。東洋の島国で誕生した隠れヒーローだ。毎回、たいした仕事はしてないように見えるが、結果的にミッションをこなしている。

 

「うーん、これはなんとも・・」

 

ニューヨークの会議場でマイクを握る。が、言葉が続かない。大型の円卓に並んだ各国の重鎮たちが、険しい表情を浮かべる。「アナタハ、オリンピックヲ、ミテマスカ」

 

ああ、大会ですか?もちろん観てますよ。やっぱり100㍍走は盛り上がりますよね。こないだはアジア人で初めて9秒9の壁を破る人が生まれたんですよね。一昔前は9秒86のカール・ルイスがヒーローだったんですけどね。千両役者がどんどん変わっていくのは面白いですよ。

 

・・雑談をするためにこの男を呼んだわけではない。だが、気が紛れるので重鎮たちはもうちょっと話を聞くことにした。

 

役者といえば、大会大会で、それぞれの競技で、見せ場をつくる人がいましたねえ。棒高跳び鳥人ブブカなんかも忘れられません。私はヒーロー業界の人間ですが、毎回その時代の「ウルトラマンファミリー」を観ているようで、新鮮ですよ。

 

重鎮の一人の瞳が光った。

 

「ファ、ファミリーとな」

 

身体能力の極限を目指す者同士。たしかに、同時代を生きる仲間だといえる。

 

まあいうたらですね、1986年が「ウルトラQ」、2000年が「ウルトラマン・コスモス」、2020年が「ウルトラマン・Z」みたいなもんですよ。みんな見どころありましたよ。どれが一番面白かったか、ですか?そうですね、比べたら「Q」ですかね。

 

円卓のあちこちから声が挙がった。「 GOT IT!!!」

 

今まで、国別でみていたからすきま風も吹いてたのだ。そうではなく、一つの大会の出場者みんなをメンバーとみるのだ。去年東京であった大会は「2020・夏組」。来月から始まるのは「2022・冬組」だ。どの時代の組が一番優れていたのか、比べてみたら面白いかもしれないぞ。

 

「1986・夏組」にはルイスがいた。だが、霊長類最強のレスリング女王はいなかった。それぞれの大会に、記録、感動がある。時代ごとに、競いっこだ!

 

みんな、自分の生きている時代が一番輝いていると思っている。1986には負けたくない。だから、国だけでなく選手みんなも応援しないと。

 

ざんねんマン、まだ語り足りない様子だが、重鎮の一人に優しく肩をたたかれた。後は世界中の頭脳たちが具体的なプランに落とし込んでいくだけだ。

 

~数年後。「時代別」で記録+感動を数値や文献で評価する仕組みが新たに設けられた。その仕組みは、最も優れた者を顕彰する制度にならい「GUINESS(ギネス)」と名付けられた。

 

新たな視点は、世界情勢にも光明を与えた。諍いごとがあっても、4年に1回の祭典が近づくにつれ、各国がまとまるのである。「我々が手をつながないと、GUINESSで我々世代がトップになれませんぞ」

 

世界の安寧に多大な貢献をしたざんねんマン。「やっぱヒーローの知識は役立つ」と勘違いしたか、世界中のテレビ番組を観ては情報収集にいそしむのであった。

 

※原稿は今回の五輪やその後の悲しい出来事(五輪後の戦争)が起きる前、純粋な気持ちで書きあげておりました。今回、このように世の中が乱され、平安の祭典という謳い文句も色褪せてしまい、本当に残念です。一日もはやく平安が戻ることを祈ります。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(最終章)~

~初めての方は(上)からどうぞ(3分くらいで読めます)~

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(上)~ - おじさん少年の記

 

「GENIOUSなしの生活には、もう戻れません」。そう答えてくれると期待していた山田だったが、空気の読めないざんねんマンにあえなく裏切られてしまった。

 

いやまあ、あればあるで助かりますけど、なければないで、いけるかなと。確かにGENIOUSがあると便利ですよ。でもね、こいつを取り上げられた残り2日間も結構刺激的でしたわ。あ、そうそう。僕の知り合った中国の拳法家のおじさんのおかげで、中国語の発音、一個マスターできましたからね。

 

やっぱ勉強してなんぼじゃないですかねえ。下手でもいいから。自分で外国語を話したほうが、相手の方も喜んでくれるってなもんですよ。「yi qi jia you(一起加油=一緒に頑張ろう、という意味)」ですよ!

 

教わったばかりの中国語をドヤ顔で語るざんねんマンに、山田は能面のように表情を失った。

 

この男、俺たちの期待を見事に裏切りやがった。最後の最後で、俺たちのアプリにダメ出ししてくれるとは・・

 

インタビューはネット中継していた。ざんねんマンはまだダラダラと会社にとってありがたくない感想を語り続けた。映像は、途中で切り上げられた。

 

  その後、アプリを開発した会社はPR動画を配信した。だが、取り上げられていたのは前半2日間だけ。特にざんねんマンについては、インタビューの最後で「GENIOUSを使うかどうかは、値段次第ですなあ」とやや上から目線で放った一言が経営陣の逆鱗に触れてしまい、会話シーンが全カットされた(ToT)

 

密度の濃い4日間を終え、ざんねんマンはあらためて拳法家の男性の放った「愛人」の意味を調べてみた。「奥さん」という意味だった。安心した。それから、「小三」を調べた。男性の表情がひきつった理由が分かった。あっはっは。これだから、言語学習は面白い。僕、GENIOUSにはまだ頼らなくてもいいかな。自分の足で、チャンレジし続けてみたい。

 

一方、母国に帰った拳法家の男性は、自身のSNSを通じて丁寧に感想を述べていた。

 

「コミュニケーションを円滑にする上で、翻訳アプリは実に役立つ。ただ一方で、機械頼みになることには疑問も抱く。自ら学び、発する中でこそ生まれる心の交流というものもある。適度に機械に頼り、適度に学ぶ。このバランスが大切なのではなかろうか」

 

知恵に満ちた言葉は、フォロワーの支持を集めた。拳法家を含む、彼らインフルエンサーの発信もあり、GENIOUSはそれなりに普及していった。一方で、語学学習に熱を入れる人が減ることもなかった。

 

舌足らずのコメントが経営陣の心証を害したざんねんマン。ただ、ネット中継を見ていた視聴者からは「ゲストのくせに口は悪かったけど、話を盛ってない分説得力はあった」とそこそこ評価はされた。

 

宴は終わった。山田からは「もう二度とあんたには頼まん」と悪態までつかれてしまった。それでも「今度もし似たようなオファーがきたら、次こそうまい切り返しをするぞ」と下衆の根性で営業トークの練習を重ねるのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(下)~

~初めての方は(上)からどうぞ(3分くらいで読めます)~

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(上)~ - おじさん少年の記

 

退屈で不便なはずの、後り2日間が始まった。

 

まあなんだ、何もしないのももったいないし。目の合った人に話しかけてみるとするか。

 

ざんねんマン、テント村をぶらぶら歩きまわっていると、上半身裸で何やらエクササイズしている中年男性を見つけた。

 

素手で空を突く姿は、実に凛々しく、堂に入っている。拳法の練習だろうなあ。中国の方だろう。そう当て込んで、声を掛けた。「ニィハオ」

 

聞きかじりの下手な中国語でも、かろうじて男性に通じたようだ。「nin hao,cong nar li lai ne?(はじめまして。どちらからお越しですか)」

 

な、なんだって・・・?中国語をほとんど知らないざんねんマン、いきなり詰まった。「僕、中国語話せないんです」と言いたいけれど、それすら伝えられない。うーむ、困ったぞ。

 

ざんねんマン、地面に「中国語」と書き、両手でバッテンマークをつくった。「中国語できません」というポーズだ。なんとか、伝わったかな。男性は「mei guan xi(だいじょうぶ)」と答え、笑顔で返してくれた。

 

えっと、何をおっしゃたのか、分からない。でもまあいいや。もうちょっとお話したいなあ。

 

男性が地面に置いているリュックサックに目がいった。中に入っているひもの結び目から、1枚の写真がのぞいている。男性の隣に、きれいな女性が映っている。たぶん、奥さんだろうな。ざんねんマン、写真を指差すと、尋ねてみた。

 

「こちらは、どなたでしょうか」

 

男性は嬉しそうに答えた。「ta shi wo ai ren(彼女は、私の妻だよ)」

 

やっぱり中国語は分からない。ざんねんマン、身振り手振りで、地面に漢字を書いてもらうよう頼んだ。意味を察した男性は、そこらへんに落ちていた棒切れを拾うと、サラサラと二文字を記した。

 

「愛人」

 

愛人、とな・・・。日本語では、愛人は不倫相手、あるいは妻以外に囲う女性のことを指す。この男性、なかなか大胆なカミングアウトをされるなあ。ざんねんマンがのけぞっていると、男性が畳みかけてきた。「ni jie hun le ma?(きみは、結婚しているかい)」

 

ああ、これまた、分からない。でもたぶん、僕にも愛人がいるのかお尋ねになっているんだろうなあ。いないですよ。ちなみに、奥さんもね。いるのは、今年で小学3年生になる姪っ子ぐらいですよ。

 

ざんねんマン、男性の書いた文字の隣に、これまた大きく書いた。

 

「小三」

 

今度は男性のほうがのけぞった。中国語で「小三」とは、不倫相手を示す隠語である。言葉の意味が分からないが故、思わぬ誤解を引き起こしていることに、当の本人たちは気が付いていないのだった。

 

その後も誤解トークは続いたが、身振り手振りを生かし、なんとか打ち解けていった。愛人のいるおじさんでもいいや。奥さんと仲良くやっているなら。他人のことをとやかくいうこともない。

 

せっかくだから、中国語、教えてもらおう。ざんねんマン、男性の言う「han yu(漢語)」という発音に興味がわいた。「yu」て、日本語の「ユー」とは少し音が違うなあ。

 

ユー

 

ざんねんマン、男性の真似をして発音してみた。男性は人差し指を左右に揺らし、「違うよ」というジェスチャーをすると、ゆっくりと発した。「yu」

 

お天道様が照る下、大の男二人が口をすぼめて向き合う姿は、さながら恋人同士が投げキッスをしあうような、一種の甘酸っぱい空気を醸し出すのであった。

 

言葉が伝わらないと、実に不便だ。誤解も生じる。でも、それだけに、垣根をよじ登ろうとお互いに助け合う場面もときに生まれる。ストレスがたまることもあるが、乗り越えたときの喜びも大きい。コミュニケーションは、機械など第三者に翻訳を委ねてしまえばことたりるような世界ではない。自ら学び、失敗し、試行錯誤を繰り重ねた末に得られる発見と喜びがあるのだ。

 

失敗と誤解だらけの2日間も、あっという間に過ぎた。

 

翌日。帰途につこうとヘリに向かう各参加者に、カメラクルーがマイクを寄せていた。「どうでしたか、弊社のGENIOUSは?」

 

ざんねんマンにもマイクが向けられた。あ、感想ですか?いやー、やっぱりこのアプリ、最高ですよ。だって、文化も育ちも違う方たちと、何の支障もなくコミュニケーションできるんですからね。GENIOUSさまさまですよ。

 

マイクを寄せていた山田は、満足げにうなずいた。「そうでしょう、そうでしょう。もう、以前の暮らしには、戻れないでしょう?!!」

 

目くばせで「盛って答えて!」とせかされる。だが、期待に応えて営業トークができるほど、機転のきく人物ではないのであった。

 

最終章に続く

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(中)~

~(上)はこちらです~

ojisanboy.hatenablog.com

 

早春の青空を翔け、ざんねんマンを乗せたヘリはまもなく瀬戸内の無人島に着陸した。

 

内海ならではの、静かさを伴った水面が瞳を奪う。チラチラ照り返す太陽の光が、心地よい。ああ、俺はいまからここでめくるめくセレブ生活をするのだ。そう思うと、ざんねんマンの心は早くも浮足立った。

 

周囲を見渡すと、肌の色も服装も実に多様な人々が続々と集結していた。全身にタトゥーをほどこしたほぼ全裸の男性もいれば、温暖な島国には似つかわしくない毛皮に身を包んだ人も。地球上のあらゆるところから来たんだなあ。

 

しばし、感慨にふけっているところで、山田からスマホを渡された。「この中に弊社の翻訳アプリ・GENIOUSが入っています。これでぜひ、国際交流を楽しんでくださいね」

 

おお、これがその、万能アプリか。ぜひ、こいつを使って、世界中の人と交流するぞ。友達に、なるぞ。

 

太陽はまだ、頭上でゆったりたたずんでいる。たっぷりある時間を満喫し、一人一人、声をかけていくことにした。

 

まず気になったのが、全身タトゥーの男性だ。頭には雄々しい髪飾り。勘だが、アマゾンかどこかのジャングルの原住民の方ではないだろうか。テレビでしか見たことがない。意を決し、男性に近づくと、GENIOUSにささやいた。「はじめまして。私は日本から来ました。タトゥーが、お似合いですね」

 

男性はやや戸惑った様子で、これまた自身の持つGENIOUSにささやいた。

「〇✖▽・・・・」

 

ここでいよいよ、GENIOUSが仕事を始めた。両者の母国語を判別したようだ。まず、ざんねんマンのあいさつを男性の母国語に置き換えて音声で発信。続いて、男性の言葉も翻訳された。やはり南米のジャングルから来られたようだ。ざんねんマンのお世辞に、男性は「ありがとう、これは酋長から直々に彫ってもらったんだよ」と嬉しそうに語ってきた。

 

生まれ育った地域や文化の垣根を超え、友情をはぐくむ場が、そこかしこで展開し始めた。会社側が記録用に用意したカメラクルーが、笑顔のあふれる参加者をなめるように映していった。わざとらしくカメラ目線で語るざんねんマンの様子も、しっかりキャッチされていた。

 

これはありがたい。なんたって、アマゾンの原住民の方と話す機会なんて、普通に生きてたらまずないぞ。テレビ越しに見ている限りだと、ちょっと怖そうなイメージもしてたけど、話してみると全然違った。木を愛し、森を愛し、住民を愛するふつうのおじちゃんだった。なんだったら、日本生まれの僕なんかよりずっと世の中のことを考えている。どっちが本当の文明人だか、分からない。

 

おじちゃんの方も、アジアの人と話すのは刺激的だったみたいだな。日本の暮らし、例えば時速300キロで走る新幹線の話とか、座ってるだけでネタがやってくる回転ずしの仕組みとか。みんながお金を出し合って、病気など困ったときに助け合う国民皆保険の仕組みには驚いていたなあ。お互いに、学び合うことがあるもんだ。


代々極寒の地で暮らすエスキモー。生まれ育った田舎から一歩も出たことがない、中欧の著名な靴職人・・・。さまざまな文化、歴史を背負い、誇りをもって暮らす一人一人に、ざんねんマンはGENIOUSを使って話しかけていった。それまでの自分になかったものの見方、感じ方を知り、学んでいった。

 

もう、このアプリなしでの生活は、考えられまへんな。

 

2日目の夜を迎え、ゴージャスなテントの中で極上ステーキをほおばりながら、しみじみとつぶやいた。傍らで日本の特上寿司をつまむアマゾンの原住民のおじちゃんも、GENIOUS越しに「元の暮らしには戻りたくないよ、まったく」と打ち明けるのであった。

 

夜が明けた。ベッドで安眠をむさぼるざんねんマンの元を、山田が訪ねてきた。「それでは、こいつを回収しますね」

 

そうだった。残り2日間は、GENIOUSなしの生活をするのだった。

 

もう、性能もありがたさも充分分かりました。このままフィナーレでもいいんじゃないですか。布団をかぶったまま答えるざんねんマンに、山田は返した。「いやいや、不便もじっくり味わってこそ、ありがたみも分かるってなもんで」

 

しぶしぶGENIOUSを手渡し、むくりと起き上がった。まあ、いいか。うまい飯、たくさん食べよっと。

 

退屈な消化日数となるはずだった。が、意外や意外、刺激にあふれた2日間になることを、このときざんねんマンは予想すらしていないのだった。

 

~(下)に続きます~

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(下)~ - おじさん少年の記

 

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(上)~

ピンポーン

 

玄関のチャイムが鳴った。人助けのヒーロー・ざんねんマンが暮らす、都内のアパート。住まいは明かしていないのだが、どこをどう探してくるのか、たまに来客・珍客がある。さて、今日はどんなご依頼かしら。

 

モニター越しに映るのは、ビシッと決めたスーツ姿の男性。いかにも「仕事できます」風の雰囲気を醸し出しているぞ。何か、ビジネスの話でも持ち掛けてくれるのでは・・

 

よこしまな考えを見透かしたかのように、男性がニヤリ口を開いた。

 

「はい、我々はIT系のスタートアップ企業です。数年前から、言語の翻訳アプリの開発を続けて参りました。このたび、世界中のあらゆる言語・方言をたちどころに翻訳するシステムを完成いたしました」

 

ついては、世の中に影響力のある人々にまず試してもらい、その能力の高さを実感すればSNSなどで発信してもらいたいのだという。「ヒーロー業界の大型新人でいらっしゃります、ざんねんマン様にはぜひとも、ご協力をお願いしたいのです」

 

「大型新人」ー。歯の浮くようなセリフに思わず頬が緩んだ。私のような者でもお役に立てますならば、ぜひ。

 

「山田」と称する男性の説明はこうだった。日本の瀬戸内に浮かぶ、とある無人島に、世界中から選りすぐった著名人30人を招く。そこで4日間の共同生活を送ってもらう。ネット環境はなし。使えるのは、同社が開発した翻訳アプリ「GENIOUS」だけだ。

 

ちょいと仕掛けがある。GENIOUSを使えるのは、前半の2日間のみ。後半2日間は、文明の利器に頼れない暮らしをしてもらう。そこであらためて、GENIOUSの素晴らしさを実感してもらうーというわけだ。

 

宿泊費、もちろん無料。最高級のグランピング施設が待っている。洋の東西を問わず、珍味妙味を取り揃えた料理に日夜、舌鼓を打ってもらいましょう。

 

「もう、辛抱たまらん」

 

前のめり気味に参加の意思を示したざんねんマンに、山田も満足げだ。「ありがとうございます。何と言いましても、ざんねんマン様は外国語がてんでダメと伺っております。そういう方にこそ、弊社のGENIOUSがお役に立てると期待しているのです」

 

やや小ばかにされ、さしものヒーローも心が少々波立った。が、めくるめく無人島バカンスの妄想を前に、ささいな自尊心などあえなくかき消された。

 

演出も実に凝っていた。出発の日の週末。バタバタと振動音がするのでアパートのベランダに出てみると、1台のヘリが目の前でホバリングしていた。「さあ、ざんねんマンさん!こちらへ!」

 

山田の吊るした小型はしごを伝い、ざんねんマンはヘリに乗り込んだ。「さあ、これから、出発です!」

 

バババババ・・


大東京を見下ろしながら、機体は一路、西へ。春霞に映える富士の山に見入りながら、ざんねんマンはいよいよ始まるセレブ特別ツアーに胸膨らませるのであった。

 

~(中)に続く~

【ざんねんマンと行く】 ~第14話・語学学習がいらなくなる時代はくるのか(中)~ - おじさん少年の記

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第13話・賀詞交歓会で修羅場見る~

今日で俺のキャリアも終わりか・・

 

300人が集う恒例のパーティーがまもなく始まるというのに、企画開発課長である矢沢の表情は冴えなかった。

 

年明け早々、日本各地で開かれる「賀詞交歓会」。各業界の企業関係者らが一同に会し、名刺交換を通してパイプづくりに励む場だ。印刷大手「凸凹(でこぼこ)印刷」に勤める矢沢は、シャープな頭脳と人当たりの良さが周囲に認められ、堅実に出世の階段を上っていた。このような交流の場は、人間の好きな矢沢にとっても楽しみで仕方ないはずだった。が、今回は事情が違った。

 

半年前のこと。信頼する優秀な部下に、一つの開発案件を託した。部下は期待に応えるべく奮闘したが、取引先の業績悪化などもあり、企画は頓挫した。企業にとって、挑戦と失敗はつきものだ。会社の上層部はむしろ、矢沢と部下のチャレンジを評価する方向に動いたが、矢沢の活躍を快く思わない直属の上司の寺山だけは許してくれなかった。

 

「お前、これだけの失敗をやらかしておいて、沙汰なしなんてことは期待するんじゃないぞ。けじめをつけろ、けじめを」

 

突きつけた「けじめ」は、矢沢の想像をはるかに上回った。

 

「ネクタイ、外せ」。言われた通りに、外した。「そしたら、巻け」。ポカンとする矢沢をあざ笑うかのように、寺山が言い放った。「巻くんだよ、ココに!」。指さしたのは、額の部分だった。「巻くんだよぉ、矢沢ぁっ!!」

 

日本では古来より、宴会の場ではサラリーマンたちがネクタイを頭に巻き、踊り出すというならわしがある。滑稽な格好を通じて場を和ませ、ムードを盛り上げるのだ。ただ、それはあくまでお酒の場でのこと。それを、「今度の交歓会でやれ」というのだ。なんたる屈辱。場面を想像する矢沢の全身から恥辱で汗が噴き出た。

 

けじめはつける。だが、勇気が出ない。恥ずかしい。どうしたらいいのか。「誰か、アドバイスしてほしい!」

 

地球上で誰も口にしたことがないであろう珍妙な願いを、一人の男が聞き届けた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。九州の実家でおせち料理をつまんでいたが、黒豆を三粒ほど口に放り込むと、えいよぅと関東の空へと飛び立った。

 

到着したときには開会10分前。時間がない。ざんねんマン、進退窮まった。「こうなったら、励まし倒すしかない」

 

そもそも交歓会って、おめでたい場じゃないですか。一年を明るく始めるために開くんでしょう?だったら、宴会スタイルでもいいじゃないですか。楽しく楽しく!盛り上げていきましょう!矢沢さんの人柄なら、分かってもらえますよ!たぶん!

 

かつてないほどハイテンションで盛り上げたざんねんマンに背中を押されたか、はたまた土俵際に追い詰められたか、矢沢も腹を決めた。「よっしゃ、いっちょやったろう」。おもむろにネクタイを首からほどくと、戦に臨む侍のようにギュギュギュッと力強く額に巻いた。

 

ごった返す会場の中でも、矢沢の姿は目立ちに目立った。目が点になる者、いぶかしげな視線を送る者、嘲笑する者、さまざま。その中でも、興味半分で声を掛けてきた男たちに、矢沢は売り出し中の芸人よろしく元気いっぱいに応えた。

 

「おめでたい日には、おめでたい恰好!それに、そもそも『ネクタイは首に巻くもの』って、誰が決めたんですか」

 

既存の価値観に挑戦する―。それは、常に時代の最先端を追い続けている矢沢が常に考えてきたことだった。首周りに品良くたたずむネクタイは、まさに「既存の価値観」ともいえた。一見奇抜な恰好は、矢沢のチャレンジ精神を図らずもビタリと体現していた。

 

ビジネスの最前線で日々戦う企業人たちに、その恰好とメッセージは十分すぎるほどのインパクトを与えた。この宴会芸スタイルの男、決して笑いをとろうと狙う道化師ではないぞ。価値観を壊し、価値観を創る、類まれなる挑戦者なのだ。

 

もとから能力・識見とも内外に認められていたことが矢沢の面目躍如に貢献し、閉会のころには称賛をもって迎えられた。当時の映像がマスコミに流れ、「イマジネーションの権化」とのテロップ付きでも紹介された。社内では、会社のイメージアップに多大なる貢献をしたとたたえられ、やがて管理職15人をごぼう抜きしての役員就任を果たした。

 

矢沢の出世を後押しすることになった横山は、恥をかかせようと企んだことを周りに明かすこともできず、地団駄を踏むばかりだった。

 

その後、世間では「頭ネクタイ」が日中でもじわり浸透し始めた。朝夕の通勤ラッシュ時の列車内は、どこか宴会ムードが漂う和み空間へと変わっていた。

 

新春早々の大ピンチを、見事にチャンスへと切り替えた。「あのヒーローが私を理解し、勇気づけてくれたおかげだ」と腰が低い矢沢に対して、たいしたサポートもしてないざんねんマン。「励まし倒すのもときには大切なのさ」としたり顔なのであった。

【ざんねんマンと行く】 ~第12話・年神様もたまにはたそがれる~

年々、わしの出番も少なくなりよるのう。

 

東洋の島国の人々が昔から信じてきた存在、年神(としがみ)様は少し寂しげにつぶやいた。

 

一年がまさに始まらんとするときに地上に降り立ち、それぞれの家々を訪ね、幸をふりまいてきた。姿形は見えずとも、神聖なる存在を感じ、敬う人々は実に多く、それはそれは丁重にもてなされてきた。

 

だが、現代に至り、特に21世紀に入ると、その慣習はあれよという間に姿を消そうとしている。科学技術の進歩がそうさせるのか、それは分からない。少なくともいえるのは、年神様が家々を訪ねる際の目印である門松を飾る家も今ではほとんどないということだ。玄関に門松を、屋内には鏡餅を飾り、年神様をもてなそうという人々は、現代ではもはや少数派になろうとしている。

 

わしのような古くさい存在は、もはやお呼びでないのかのう。誰かこの悩み、聞いてくれんもんかのう。

 

神様のささやかな願いを、島国で一人暮らしをしている男がしっかと受け止めた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。神様をお助けするのは初めてだが、果たして役目を果たせるか。

 

黄泉(よみ)の国にいる年神様と、早速テレパシーでつながった。オンラインのチャットに似ている。相手は神様だけど、結構身近に感じるぞ。

 

そうですかあ、最近お呼ばれする先が減っていると。なるほど。それはちょっと、寂しいですねえ。

 

ざんねんマン、ひたすら耳を傾けるが、妙案が出てこない。人の好い年神様、「いいのじゃ、いいのじゃ。話を聞いてくれただけで充分嬉しいぞよ。ありがとうのう」と愛情たっぷりの言葉でヒーローをねぎらう。それはそうと、今のご時世に神様じゃとか、心を洗い清めるじゃとかいったことを信じる者は、いなくなってしまったのかのう。おぬしは、どう考えるか。

 

「わ、わたしですか?」

 

ざんねんマン、ここ数年の行動を振り返ってみた。たしかに僕も、住んでいるアパートで門松や鏡餅を飾ったりはしていない。でも、年末年始はなぜか分からないけど自分の心が澄みあらたまるような気がする。最近の若い子たちもそうなんじゃないかと思う。スマホのSNSを見たら、「あけおめ!」「ことよろ!」とおめでたいメッセージばかりだ。形こそ変わっても、一年の始まりをみんなで尊び、心を洗い清めるという点では今も昔も変わらない。年神様は、決してお呼ばれされなくなったのではない。慣習が形を変えただけなのだ。

 

「そうか、わしはまだお役に立てるのか」

 

年神様の言葉に力がみなぎった。わしも、時代に合わせて変わっていけばよいということか。

 

よし、まずは門松へのこだわりを捨てよう。鏡餅も、ほしいけど、なけりゃないで構わん。わしは、年の始まりを祝いたい者の家ならどこへでも参るぞ。一緒に新年のお笑い番組を見て、みなと笑うて、幸を振りまくぞ。SNSで「ことよろ」投稿をした者に、心の中で「いいね!」ボタンを連打するぞ。

 

この際、神様神様した格好からもおさらばしよう。

 

えいやっ

 

天を貫かんばかりの気合とともに、年神様は姿を一瞬、消した。再び現れたとき、白髪の老人は紅顔の美少年に変わっていた。それはまるで、世界中の若い衆を熱狂させる、Kポップシンガーのようであった。

 

ひらめきのきっかけをくれたざんねんマンに、年神様はお礼とばかりに姿を現した。イメージからかけ離れた格好に、ざんねんマンは一瞬言葉を失った。が、嬉しそうに“家庭訪問”の身支度を始める年神様に、「似合ってますよ」と盛り気味の賛辞を贈らずにいられなかった。

 

ざんねんマン、今回こそ本当にたいした仕事をしなかった。ほぼ年神様の独壇場となった。「こういう回もありますけん」とつぶやくのみであった。

 

年の暮れは、年神様の一大仕事が始まるタイミングでもある。世の中の弥栄(いやさか)を祈るすべての家庭に足を運ばれ、幸をもたらしてくれることだろう。もしあなたがふと「Dynamite」を聴きたくなったら、それは年神様がお越しになったサインかもしれない。

 

世界中の人々にとって、この年がよき1年となりますことを。ともに幸せを祈りましょう。

 

【ざんねんマンと行く】 ~第11話・突如現れたUFO、敵か味方か

とうとう、この日がきた。

 

日本は富士山の上空に突如現れたのは、巨大な球形をしたUFO。年の瀬の帰省ラッシュで混雑する東名高速道路は、スピードを落として上空を仰ぎ見るドライバーが続出し、大渋滞が生まれていた。

 

我々と同じく知能を備えた生命体がいるはずー。世界中の人々の期待は突然、形となった。ただ、「向こう」から訪れるという形での遭遇は、動揺を招いた。

 

友好の遣いか、はたまたインベーダーか。

 

各国の政府首脳が、ただちに対策会議を開いた。「地球代表」を送り込むことで一致した。

 

戦う前提であれば、怪獣退治のプロことウルト〇マンあたりが適任だ。だが、先方に攻撃の意思がなければ無用な刺激を与えかねない。人畜無害で、しかも体を張って地球を守ってくれそうな人物はいないか・・・

 

知恵を出し合った結果、「毎回、最終的には人助けをしている」という点で一人の男が選ばれた。東洋の島国から生まれた人助けのヒーロー・ざんねんマン。早速、国連本部に呼び出され、レクチャーを受けた。

 

相手に敵意を見せてはならない。絶えず親愛のパフォーマンスを。しかし、一瞬でも先方が不穏な動きを見せたときは、体を張って地球を守ってくれ。よいか、絶えず笑顔で。でもいざとなれば闘って。

 

「無茶な」

 

押しの弱いざんねんマン、言いごたえもできず、かといって心の整理もつかぬまま、富士山へ向かうのであった。

 

早速、球体と向き合う。よく見ると、ところどころかすり傷がついている。さては、他の惑星で戦いをした証拠か。少し、緊張してきたぞ。

 

鋼鉄製とみられる表面の一部がめくれ、半透明のシートに包まれた。膜の向こうに、なにやらうごめく物体が幾つか見える。あれが宇宙人か。手か足か分からないものをこちらに向けている。僕を指さしているようだ。どうも、向こうは動揺しているみたいだ。

 

「はるか銀河系の果てで見つけた魅惑の惑星で、出会う代表者がこんな風采のあがらぬ生き物だとは」

 

言葉は分からなくても、彼らの落胆ぶりを繊細な神経で感じ取ったざんねんマン、心が折れかけた。が、気を奮い、満面の作り笑顔とともに両手を振った。

 

それにしても、この方々は何を目的に地球までやってきたんだろう。高度な技術力があるだろうから、資源もエネルギーも食料もそろっているはずー。

 

シート越しに「顔」のようなものが見えた。彼らの目線を追った先には、海原のはるか上をたゆたう、真っ白な雲のじゅうたんが広がっていた。その風景は、眺めている自分の心まで、どこまでも押し広げてくれそうだ。

 

ひょっとしたら、狭い宇宙船では得られない「空間」を求めているのか。

 

だとしたら、地球は最高の舞台だろう。でも、ここには先客がいる。譲れない。代わりのものはないかー。

 

「ちょっと待ってておくんなまし!」

 

何をひらめいたか、片手で制止ポーズをとると、東京の自宅へと急降下した。手にしたのは、江戸時代の浮世絵画家・葛飾北斎の画集。それと、自分で描いたスケッチ、画材。以前、北斎の傑作「凱風快晴」を見て迫力に心を打たれ、趣味で集めていた。袋に入れ、超音速で再び富士山上空に戻った。

 

「こちらを、お納めください!」

 

シートに向かって差し出す。長い指のようなものが、袋をつまみ上げた。

 

「嘆息」ともつかぬ、感銘の声が上がるのを感じた。シート越しに映る彼らの瞳には、さきほど雲のじゅうたんを眺めていたときと同じような歓喜の色がにじんでいた。

 

ややあって、再びシートからニョロリと長い長い指が現れた。挟まれていたのは、ざんねんマンの手描きのスケッチ。どうやら、こちらのほうは彼らの好みに合わなかったらしい。

 

突然、ガガガと宇宙船の動力音が急に高まった。スーと垂直に浮き上がり、一閃ののちに球体はあっという間に見えなくなった。

 

あまりの急展開に、各国首脳らは当惑した。なぜ、彼らが去ったのか。あらゆる知識人が集まった。そして、一つの仮説にたどり着いた。

 

彼らは高度に社会性を備えた存在だ。だから、力づくで土地を奪う行為は宇宙文明の倫理観からも許されなかった。このため、黙って相手からの攻撃を待っていた。「正当防衛」のきっかけを待っていたのだ。あの球体についていた無数のかすり傷は、別の惑星でまんまと現地文明をはめた証拠だろう。我々はすんでのところで、助かった。

 

もう一つの理由が、画集だった。彼らは一幅の絵に揺り動かされた。無限の奥行きと感動を秘めた、自分の「心」というはるかに豊かな空間に気づいた。惑星という物理的な空間に、必ずしもこだわる必要は、なくなった。

 

文明と文化は、必ずしも並んで進歩するものではない。科学の進んだ彼らでさえも及ばない、我々地球人の文化の力が、この惑星を救うことがあるのかもしれない。

 

やがて世の中は再び日常の落ち着きを取り戻した。その中でただ一人、ざんねんマンだけは「今度彼らがきたときは受け取ってもらうぞ」と勇んで画板に向き合うのであった。

 

【ざんねんマンと行く】 ~第10話・乱世を生きる貴人の悩み~

これほどの屈辱を受けようとは。

 

怒りとも哀しみともつかない、複雑な感情が、貴人の心をかき乱した。

 

ときは、侍の世になって久しい鎌倉時代末期。武士政権の都合で一度は天皇の座についたものの、再び権力争いに巻き込まれ、やがて座を追われ、果ては幽閉の身となっていた。

 

その名は光厳院(こうごんいん)。天皇の御子として生を受け、すべてが満たされたような環境で育った。だが、それは上辺だけのこと。常に権力の亡者たちによる権謀術数に振り回され、心の平安とは無縁の半生を送ってきた。もう残り長くもないであろう人生の後半を、こんなあばら屋で迎えることになるとは。

 

安らぎを得たい。どうすれば叶うのか。神仏よ、どうか我に智恵を授けたまえ。

 

切なる願いは、時空を超え、21世紀の東京で昼飯の牛丼をかけこむ一人の男に届いた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。残りの米粒を箸で器用につまみ上げ、空になったどんぶりを大将に見せると、ガラリ引き戸を開け自宅に向かった。

 

殺風景なワンルームにある1台の机は、実はタイムマシーンでもある。机の引き出しを開け、頭からスルリと入り込むと、4次元空間に浮かぶ車に飛び乗った。

 

慣れた手つきでハンドルを操り、まもなく視線の先に袈裟(けさ)をまとった一人の男性が見えてきた。この方か。男性がたたずむ一室に入ったところで、車からえいようと飛び降りた。

 

「な、なにやつ」

 

突然現れたマント姿の男に、光厳院は恐怖で固まった。さては我の命を狙いにきよったか。こんな見慣れぬ風体の男に、引導を渡されようとは。

 

もはや観念したかのように目を閉じる光厳院。一方のざんねんマン、何をどうしてよいやら分からない。

 

はてはおかしい、一向に襲ってくる気配がないぞ、何が起こっているのかしらん―と院が瞳を開くと、額に手を当てて考え込むマント男。間の抜けた格好に、光厳院の警戒心もはらりとほどけた。

 

「そちは、いったい何用で参ったのじゃ」

 

いたわるように語りかける光厳院。ざんねんマン、やや緊張した面持ちで「はい、人助けにと・・」とつぶやく。ふむ、人助けとな。そういえば我はさきほど、心の平安を神仏に願うた。するとおぬしは、神仏の使いか。それにしても、うだつの上がらぬ格好じゃが・・

 

これまで、数多くの人間に接してきた。その多くが皇統の権威を前に媚びるか、はたまた甲冑姿で威圧してくるか、とにかく心根の透けて見える者たちだった。だが、目の前のこの男は、どうも違う。人を利用しよう、傷つけようという、あさましい心の持ち主ではないようだ。数多くの人間を目にしてきたからこそ、分かることであった。

 

才覚の優れた人間でも、高貴な家の出でもなさそうだが、今まで出会った誰よりも満たされているように見える。なぜだろう。「そちは今、幸福か」

 

院の問いに、マント男は面食らった。「幸せか、といわれましたら、まあそこそこ、幸せかもしれないですね・・仕事もさせていただいて、ご飯もちゃんといただけていますし。あ、牛丼とか、めちゃくちゃおいしいですよ」

 

小半時前に食ったどんぶりが脳裏に蘇ったか、マント男はペロッと舌を出した。この男、つまりは日々の何ということもない暮らしの中に喜びの種を見いだしているのか。

 

院はふうと小さく息を吐き、周りを見回してみた。男のほかには、かすかにゆらめく蝋燭(ろうそく)の炎のみ。しんしんと雪の降る夜は、物音一つしない。まさに静寂。平安。安らぎは、実に目の前の世界に広がっていた。

 

「そちは変わり者のようじゃが、しっかと人助けをしたぞよ」

 

光厳院、マント男の肩に手を掛けた。もうよいぞ、おぬしの国に帰るがよい。

 

牛丼の話しか発していないざんねんマン、これで良かったのかと惑いつつも、再びタイムマシーンに乗り込んだ。「すいません、何もできませんで」

 

21世紀の東京。院のその後が気になったざんねんマン、図書館で彼にまつわる資料を調べてみた。院の手による歌集があり、そのうちの一首に目がとまった。

 

小夜(さよ)ふくる

窓の燈(ともしび)

つくづくと

影もしづけし

我もしづけし

 

夜が更けている。窓際に据えた燈のあかりのみが、視界を包む。ろうそくの影が、静かにたたずむばかり。それを眺める私の心も今、ひたと静まっている。

 

眼前に広がる静寂を、そのままに味わったことで、遂にこころの安らぎを得た。新たな境地に至ったことを、その一首ははっきりと示していた。

 

あのお方、ただ者ではなかった。僕のほうが、元気をいただきました。ありがとう、光厳院さま。

 

しばし感慨に浸ったざんねんマン、しばらくすると「僕の登場する歌もないかな」とミーハー根性丸出しでページをめくりだすのであった。

 

 

 

 

【ざんねんマンと行く】 ~第9話・サンタのプレゼント~

時計の針が「12」を回った。
12月25日、深夜。世界中の子どもたちが、翌朝枕元に添えられるプレゼントを心待ちに、楽しい夢を見ていることだろう。

高校2年生の哲郎は、窓越しに漆黒の夜空を眺めると、幼かったころを思い出した。両の頬が一瞬、緩みかけたが、やがて能面のように表情を失った。

サンタクロースを、あらゆる可能性と希望を信じて疑わなかった時代はいつしか過ぎ去った。あっという間に、大人の仲間入り一歩手前だ。進学か、就職か。人生の現実と向き合わなければいけない。もともと勉強が得意ではなく、引っ込み思案で学校でも目立たない存在の哲郎にとって、これからの人生に明るい光が差し込むようにはとても見えなかった。

何を目標に生きていったらいいんだろう。何を頼りにしていったらいいんだろう。サンタでも誰でもいい、僕に答えを示してくれよ。

心の底から沸き起こる願いを、一人の男がしかと聞き届けた。

日本の草深い田舎から生まれた人助けのヒーロー・ざんねんマン。都内のアパートで今まさに布団をかぶろうとしていたが、勢いよく手作りマントを羽織ると、ベランダから「えいや」と掛け声よろしく哲郎のいる名古屋へと飛び立った。

10分で哲郎の自宅前に到着。2階の窓越しに浮かんでいるのに哲郎が気づき、慌てて中に引き入れた。

サンタさんかと思ったのに、あの残念なヒーローか・・・

ざんねんマン、最近はテレビのワイドショーなどでちょっとは紹介されるようになっていた。哲郎も知ってはいた。ただ、お世辞にも「映(ば)える」とはいえない。青年は、どうしても落胆の色を隠すことができなかった。

哲郎の悩みは、テレパシーを通じてざんねんマンも理解していた。だが、うまいアドバイスが思いつかない。というのも、自分自身、満足するようなヒーロー仕事を果たしてきたわけではないからだ。いつも失敗をやらかしているのだ。

じゅうたんに正座し、自己紹介を兼ねて過去の出動経験を恥ずかしげに白状していくヒーローに同情の念が沸いたか、哲郎が口を開いた。

「まあ、ざんねんマンさんもよく頑張っていると思いますよ。ウル〇ラマンとか、スー〇ーマンみたいに目立ってないけど、最後は誰かを助けているじゃないですか」

見栄えは確かに、よくない。失敗も、よくする。ヒーローを目指しているのに、いつも脇役だ。でも、気づいていない間に誰かを引き立て、その人や周りの人たちの心を救っているのだ。

だから思うんです。目立たなくても、仕事がばっちりできなくても、いいじゃないですか。自分に無理をしないで、自分なりにできる仕事をこなしていたらいいじゃないですか。それに、「縁の下」っていう仕事、とっても大切だと思いますよ。

はっ

哲郎は、自分の発言に驚いた。その言葉はそのまま、自分自身の人生に当てはまると感じたからだ。

僕は人を引っ張るのも、指示したりするのも苦手。でもその分、裏方の役割ならのびのびできる。クラス会ではほとんど意見を言えないし、誰かの聞き役になってばかりだけど、実はそれが苦じゃない。相手が少しでも明るくなってくれたら、それで僕は十分うれしい。だからか分からないけど、道端でも駅でも、よくお年寄りから声を掛けられる。30分、ずっと話を聞いた後、おじいちゃんが満足した顔で去って行かれる姿を眺めるのは、僕にとっても心持ちがいいことなんだ。

社会的な評価や価値観とはいったん距離を置き、自分の性分に基づいて未来をのぞいてみた結果、哲郎には驚くほど魅力的な進路が転がっていることに気が付いた。

介護士社会福祉士精神保健福祉士・・。どれも、人が尊厳をもって生を全うするために必要で不可欠な存在だ。主役の周りには、必ずその人を支える脇役がいる。これだ。この方向を目指して、生きていこう。

過去のやらかし歴を白状し、全身が羞恥と汗にまみれたざんねんマンに向かって、哲郎は「あなたはやっぱり、人助けのヒーローだ!!」と叫んだ。窓を勢いよく開けると、「もう大丈夫だよ。今日は本当に、ありがとう!」とさりげなく帰宅を促した。

師走の寒空に再び放り出されたざんねんマン。今日もお役に立てなかった、せっかくのクリスマスなのに何のプレゼントもあげることができなかったーと肩を落とし、家路につくのであった。

だが、哲郎は確かにプレゼントを手にした。生きる力を与えてくれる、「夢」という宝だった。

 

#短編 #小説 #短編小説 #ヒーローもの #サラリーマン小説

【ざんねんマンと行く】 ~第8話・合コンは甘くなかった~

「マジかよ!」

スマホに映る短いテキストに、拓也の目は釘付けだ。思わず、手が怒りと悲しみでブルブルと震えている。

今日は、生まれて初めて参加する、合コンなのだ。高校時代、一緒に過ごした鉄道研究会の同級生たちと、勇気を出して初めて企画したのだ。都心の大学に通うようになった拓也が、バイト先の子に勇気を出して誘ってみたところ、奇跡的にOKをもらっていたのだった。

心の許せる友達は、鉄研時代の仲間しかいない。メンバーは俺を含めて5人。もはや二度と訪れないかもしれない貴重なチャンスに向けて、マックスの人数でそろないわけにはいかない。女性陣も5人。それなのに、剛だけは「今晩、常磐線で珍しい特急◎◎号が走る情報をキャッチした」とSNSに書き込むとと、わびの言葉もなくドタキャンしてきやがった。

合コン歴なしの男4人と、経験未知数の女性陣。しかも女性の1人はバイト先の子で、相当にかわいい。このままでは、最初の乾杯でつぶれてしまいそうだ。

「あと1人、何としても必要だ!誰でもいいから、お助けを~!」

彼女歴なし20年になる、若者の心からの叫びは、同じような境遇にある男のハートにズギューンと響いた。5分後、合コン会場となる居酒屋の玄関で男性陣と合流することになった。

手作りマント姿はやや違和感を感じさせるが、この際文句は言ってられない。一同、戦力が「5」となったことだけで一息つくと、いざ!うたげの場へと踏み込んだ。

それからの2時間、男たちを包む時空が、ゆがんだ。テーブルの向かいに並ぶ女性陣が、まぶしかった。乾杯の音頭を拓也が何とかこなしたが、その後はひたすら黙々とジョッキを空け続けるのみ。まばゆい光線に瞳を向けることも、話し掛けることも、ほとんどできない。ざんねんマンにいたっては、緊張の針が振り切れてしまったか、後半は畳に寝そべって鼻提灯を膨らませる始末。とうとうラストオーダーを迎えてしまった。

失意のまま会計へ。ただ男の見栄だけはあり、女性陣からの会費徴収はしなかった。一方、貧乏学生ばかりで財布は軽い。「ざんねんマン、申し訳ないんだけど、飲み食いした分お代を・・」

すがるような視線を寄せる若衆4人を前に、ざんねんマンは背中から冷や汗が滴るのを感じた。なにしろ、財布を持ってこなかった。そもそも、ヒーロー稼業でそんな場面が出てくるとは想定もしたことがなかった。

男連中、進退窮まった。何しろ、予定していた割り勘分しか用意していない。かといって、今さら女性陣にすがるのも格好がつかない。合コン代も払えない姿なんて、見せられない。

幹事を務めた拓也は、智恵を絞った。逃げられない。かといって、仲間に気を遣わせたくもない。恥ずかしい気持ちを押し隠し、こっそり店員に「僕、今から皿洗いします」と告げた。会計が無事に終わったように、装った。

玄関先で、肩を落とすざんねんマンに「今日は助かったよ」と一声掛けると、残りのみんなには「忘れ物したから」と一人、店に戻った。

ざんねんマンの飲み食いした◎千円分を支払うため、未明までフロアと厨房に立ち続けた。翌朝の授業はほとんど頭に入らなかった。
が、眠気は午後に届いた一通のメールで吹き飛んだ。

「昨日はお疲れ様でした」

合コンに参加していた、おとなしめで可憐な女の子からのメッセージだった。好意の情を伝える内容の言葉がつづられていた。勘のいい子というのはいるものだ。人に気を遣わせず、自分が負担をこっそりかぶろうとする人間の存在に、しっかりと気づいてくれていたのだ。

負け戦かと思われたイベントの最後に訪れた逆転劇。「生きててよかった」と感涙にむせぶ拓也。一方、無銭飲食の罪悪感にさいなまれるざんねんマンは「今度からヒーロースーツにお財布用のポケットを縫い付けようか」と見当違いな反省をするのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

#短編 #小説 #短編小説 #ヒーローもの #サラリーマン小説

【ざんねんマンと行く】 ~第7話・怒涛の企業対決~

地球のあらゆるところで、企業が競争を繰り広げております。


国境を越え、大陸をまたぎ、社の利益を挙げんと日々、ビジネスパーソンたちが戦っているのであります。


ですが戦いは、疲れるものであります。


争いから距離を取り、ともに栄える道は、ないものでしょうか。

「ワタシタチハ、20オク、ダセマス」

懐から取り出した名刺には、ヨーロッパを代表する石油化学メーカーとして知られる◎△◇社の「CEO」の肩書きが付されていた。

対峙するのは、作業服に身を包んだ白髪の男性。二酸化炭素を、ある工程を経て酸素と無害な炭化化合物に分けてしまう、特殊なフィルターの開発に成功した中小企業の社長だ。

世界が「脱炭素社会」へと動く。この会社の技術があれば、競争に勝てる。そうみたヨーロッパ企業のトップは、同社を買収しようとチャーター機を飛ばして青森まできたのだった。

提示金額につばを飲む銀髪社長。だが、試行錯誤しながら生み出した虎の子の技術。そうそう簡単には手放せない。一方で、技術を生かす道を見つけられず、業績は低迷。頑張る従業員たちに報いるためにも、お金はほしい・・

考え込む銀髪社長の耳元で、秘書がささやいた。「お客様が・・」

現れたのは2人の紳士。一人は、中国を拠点とする巨大プラントメーカーの経営者。もう一人は、日本を代表する重電メーカーの社長。いずれも狙いは同じだ。三つどもえの争奪戦の様相を呈した社長室は、息をするのもはばかられる緊張感に包まれた。

「もう、どうしたらいいのか。誰か助けてくれよう」

社長のぼやきを、一人の男がしかと聞き届けた。日本の草深い田舎から誕生した、人助けのヒーロー・ざんねんマン。都内にある一人住まいのアパートのベランダに繰り出すと、えいやと勇ましい掛け声を挙げ、東北の空へと飛び立った。

15分で到着。空気入れ替えのため開け放たれていた社長室の窓から、スゥと滑り込む。

「Oh, アナタハ、ウワサデキイテイル、ザンネンナ、ヒト...」

ここ最近は海外でも少しずつ名前が知られていた。説明の手間が省けて助かる。中小企業の社長を含めた4人が、手作りマントの男の言葉を待った。何か、解決策を出してくれるか。

「この技術があれば、世界中の人が助かりますね・・」

それは分かっているんだ。だからこそ、うちの会社のものにしたいんだ。欧・中・日のトップは心の中で悪態をついた。

「一番効果が出る方法は、何なんでしょうかねえ」

 

あ?なんだって?あまりにも素朴な質問に、3人は一瞬、ひょうし抜けした。そんな基本的な話、聞きますか。

 

しかし・・。3人ともこれまで、「うちの会社がどうやったら独り占めできるか」ということにばかり意識が偏っていた。「世の中に役立てる」という、まっとうな視点で見つめたことは、意外にもほとんどなかった。盲点だった。

「JV、か」

日本人社長がつぶやいた。複数の企業が連携して事業を手掛ける、ジョイント・ベンチャーだ。

欧中日、それぞれの企業に強みがある。販路、デジタル技術、ものづくり。3者が実力を発揮すれば、この技術はより早く、世界の脱炭素化を進めることができる。自社独占のうま味は薄れるが、安定的に事業収入を得ることはできそうだ。

3人の優れた経営者の脳内には、早くも一つの着地点が見えた。

3社で合弁会社を立ち上げ、中小企業から特許権を買い取り、親会社の下で共有する。会社の代表には、どの社にも肩入れしない、中立公正な人物を据える。ふさわしいのは・・

視線を一身に浴びたざんねんマンに事態が理解できるはずもなく、ただ狼狽するのであった。

仕事の早い経営者たちの段取りにより、ざんねんマンは代表権のない取締役となり、社長という肩書きを託された。ちなみに無報酬。「人助けが仕事なんだろう?」という殺し文句に、言い返せるせりふはなかった。

事業は瞬く間に世界展開した。正直、3社の間では水面下で勢力争いめいた出来事も繰り広げられた。が、問題が起きると「人助けのヒーロー」が出張ってきかねないため、うかつにインチキはできなかった。何といっても、この男の下では弱い立場の者が最後は助けられるのだ。

うわべだけの握手から始まった提携関係は、だが少しずつ、互いを補い合う信頼関係に深まった。まもなく、神輿に担いだあの男に頼る必要もなくなった。半年後、ざんねんマンは役員会の満場一致で「解任」となった。

不倶戴天の敵ともみえた競争相手が、手を結びともに世の中を豊かにするパートナーに。社会の役に立ち、会社も成長する道を切り開いた3社のトップは、今ではたまに雀卓を囲む心友となった。

一方のざんねんマン。お役御免となった傷心に浸りつつ、「僕もお偉いさんだったんだ」と、もはや効力を失った「社長」の名刺を見つめてはほくそ笑むのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

#短編 #小説 #短編小説 #ヒーローもの #サラリーマン小説

【ざんねんマンと行く】 ~第6話・悟れぬ仏師~

眼前に据えたクスノキの心材を凝視したまま、ピクリとも動かない。いや、動けない。

仏師の家系に生まれた若い男は、代々世間から一族に与えられてきた評価と称賛を受け継ぐべく、日々研鑽を重ねている。だが、人々の心を打つ作品を仕上げられたことは、これまで一度も、ない。この日も鑿(のみ)を手にしたまま、最初の一投をふるえずにいた。

父親譲りの力量は備えている。まるで生きているかのように、肉体を活写する力は周囲も認めるところだ。悟りを求め、極みを目指す菩薩の求道心を、心材を彫り上げては形にしようと努めてきた。あと一歩だ。だが、その一歩が何なのか、分からない。

「神仏よ、吾に力を与えたまえ!」

男の真心が言葉という形をまとった瞬間、午睡をむさぼっていた一人の男は、雷に打たれたかのように飛び起きた。

日本の片田舎から生まれた、人助けのヒーロー・ざんねんマン。これまで、一見たいしたことはしてないが、結果的に人々を救ってきた。テレビ受けは必ずしもしない、異色の主人公だ。

得意の飛行術で都心の空をマッハ3で突っ切り、2分で男の作業場に到着。古く重い扉をギギーと開けたところで、ご対面となった。

「こ、これは何と・・・」

男の口から、驚きとも呆れともつかぬ声が漏れる。神仏とは似ても似つかぬ、なんとも風体の上がらぬ格好だ。手作りマントが、わびしさに拍車を掛ける。こんな生活感にまみれた男が、神仏、いや、その使いだとでもいうのだろうか・・

ただ目が合っただけで、早くも残念がられる悲しいヒーロー。だが、対面がもたらしたしばしの沈黙は、若き仏師の心中で予期せぬ化学反応を呼び起こした。

神仏といえば、こういうもの。威厳を兼ね備えた存在。そんなふうに、思い込んではいなかったか。一種近寄りがたいような、気高い雰囲気をまとっている、そのような崇高な人物像を、いつしか勝手に作り上げてはいなかったか。人々の心の救いという、本来の目的を、いつしか見失ってはいなかったか。

固定観念を、破り捨てるんだ。

男は、見えない膜に包まれていた心の空間がうっすらと晴れ渡るのを感じた。手掛かりが見えた。あふれるイマジネーションが、男の手を一投へといざなった。

コンコンコンコン・・・・

もはや手作りマントの男の存在を忘れたかのように、仏師は無心に鑿をふるった。もはやどこまでが仏像で、どこまでが仏師かも分からない。作る者と作られる者とが渾然一体となった空間で、ざんねんマンは「お役御免」と悟ったか、できる音を立てないよう扉を閉じ、その場を後にするのであった。

わずか2時間後。若き仏師は、生まれたての像と向かい合っていた。

体をくねらせ、曲線美のあふれる姿は、ヒンドゥーの神と似ている。ただ、目がやたらクリクリと大きく、かなり垂れている。下がちょびっと出ている。右手のひらを上に、左手のひらは真下を指し、言い方を悪くすると出前に行きかけの酔っ払いのように見えなくもない。正直、かなりナメているとしか思えない格好だ。

「できた、これだ、これが俺の求めていた、救いなんだ」

願いは一つ、像を見る人の心が、少しでも癒やされること。であるなら、形なんかにこだわってはいられない。人が見て、思わずニンマリして、疲れた心がホッコリするような、そんな姿で、いいんだ。何より、俺の身の丈にあった、表現だ。菩提心の赴くがままに掘り抜いていった結果、これまで誰も見たことのない仏が誕生した。

マスコミの評判は散々だった。「仏師家系の御曹司、伝統に泥を塗る」「仏の“堕落”始まる」

一方、人々の本音が渦巻くネットの世界では真逆の反応があった。「癒し系で、よくね?」「垂れ目がじわじわくる笑」「ブルーな日曜の夜、見てるだけで元気もらえたよ」

若者文化の発信地である東京・原宿では、さっそく「癒し系ホトケフィギュア」として数々のグッズが誕生。飛ぶように売れた。人気は海を越え、中国では「新型仏系」という新語が誕生。地球上のあちこちで、新たな“救い主”が家庭に笑いとゆとりをもたらす爆発的文化現象を巻き起こした。

いまや伝統の業界からつまはじきにされたものの、男にはもはや迷いや焦りはなかった。己の心の命ずるがままに、垂れ目の、ややなめくさったといえないこともない像を掘り続ける日々が始まった。

男に“悟り”の転機を与えたざんねんマン。自分が大役を果たしていたことも知らず、秋葉原で買った癒し系ホトケフィギュアを愛でては「あの仏師、すごいなあ」と嘆息するのであった。

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

#短編 #小説 #短編小説 #ヒーローもの #サラリーマン小説