おじさん少年の記

疲れた時代に、癒やしの言葉を。からだはおじさん、こころは少年。

【ざんねんマンと行く】 ~第44話・日常に埋もれゆく性(さが)からの脱皮(上)~

ブルルルル

枕元でスマホのバイブ音が響いた。日曜の朝なんだけど、今日も今日とて早いこってすなあ。

人助けのヒーロー・ざんねんマン。活動が知られるにつれ、来客・電話・各種勧誘のアプローチも増えてきた。布団でぬくぬくと過ごす時間が短くなるのはちょっぴり惜しいけれど、しがない中年男にお声がけくださるのは実にありがたく、光栄なことだ。

はい、もしもし。何かお困りごとの相談でしょうか。

・・返事がない。

緊張しているんだろうか。それともいたずら電話か。しばらく待ったが、変わりはなかった。

あのすいませんが、もしご用がないようでしたらここで失礼しますよ。なにしろまだ布団があったかいもんで・・

二度寝の態勢に入りかけたところで、ようやく電話の主が口を開いた。「待ってください。あ、でも、もういっかな」

なんですかまったく。電話かけといて「もういっか」とは。ざんねんマン、小者ながらヒーローとしての自尊心に火が付いた。おたくさまねえ、何のご相談か分かりませんが、あっしを見損なってもらっちゃあ、困りますよ。

啖呵を切られて相手もふんぎりがついたようだ。「いやあですね、最近なんだか、暮らしに張り合いなくって」

電話の主はアラフィフの男性。会社員。妻子に恵まれ、派手さはないものの手堅い人生を送っている。ただ、定年がうっすら意識にのぼり始めたころから、心のどこかにつかみどころのない徒労感が芽生えだしたのだという。

出世の可能性も、おおかた先が見えてきた。体力もガタがきて、大好きな酒も最近は控えめにしている。多趣味なほうだったが、最近は面倒くささが勝り、チャレンジすること自体を控えている。

「なんだか、単調な毎日なんす。まあでも、どうしようもないっすよねえ」

話し方も実に淡泊だ。自分で結論を出しかけている。さきほどの「もう、いっか」にも垣間見える、半ば投げやりな姿勢は、ざんねんマンの心に少しばかり引っかかるものがあった。

おたくさまねえ、相談内容は分かりましたけどね、日曜の早朝に起こされた私のほうの気持ちはどうなるですか?布団のぬくぬく、最高なんですよ?それがもう、抜けていっちゃってるんですよ。ああ、もったいない。

「うわっ、ちっさ。そんなどうでもいいことで目くじら立ててるんかい・・」

電話の男がサバサバと言ってのけた。これがざんねんマンの怒りに油を注いだ。ちっちゃいことに幸せ感じてて、何が悪いんですか!おいらにとってはねえ、「週末の布団ぬくぬく」はスポーツチャンネルの野球観戦と同じぐらいの楽しみなんですよ!ちっちゃくて上等、しょぼくて上等だぁい!

ひとしきりまくし立てると、再び電話越しに沈黙が訪れた。

完全に、引かれてしまったか。今回こそは人助けに失敗したーとばかりにざんねんマンが頭を垂れていると、先ほどとは違ったトーンのつぶやきが漏れ聞こえてきた。

「こんなしょぼいことで、ムキになれるあんた、すごい」

褒めているのかけなしているのかは分からないが、男が真心から話していることは分かった。

「ありがとう、おっさん。おれ、しょぼいことから見直していくわ

ガチャ

切り方も実にあっさりとしていた。もうちょっと柔らかい物腰でものを言えんものかなあ。

・・・

それから1週間後。週末恒例の「布団ぬくぬく」を、再びスマホ元気なバイブ音が打ち破った。

~(下)に続く~

【ざんねんマンと行く】 口下手な居酒屋大将のささやかなる挑戦

日はとっぷり暮れたが、玄関の暖簾(のれん)が揺れる気配はまだない。

駅前の小さな居酒屋。切り盛りする50代の勝(まさる)は、テレビの野球中継を見るともなく眺め、「だめだコリャ」と苦笑いした

会社を早期退職し、夢膨らませて始めた自分の城。若いころから料理が好きで、いつか店を持ちたいと思っていた。腕には自信があった。たまたま立ち寄った客が、自分の料理を口にしたときに漏らす「ほぉ」というため息に、ひそかな喜びを感じていた。

だが、生来の話下手。夜の世界では欠かせない、コミュニケーション力というか、営業トークというか、とにかくお客さんを楽しませる会話力に欠けていた。しかも、カウンターだけのこじんまりした空間。美味しくはあっても盛り上がりに欠けるムードの中で味わう料理は、客に物足りなさを感じさせていた。

客は増えない。何より、「常連さん」ができない。近くには格安居酒屋チェーンまで進出し、状況は厳しさを増していた。

これからどうしよう、退職金は開店費用にほとんど突っ込んじゃったし、今さら追加の投資もできない。このまま赤字を垂れ流すくらいなら、いっそ店を畳むしかないのか。でも、料理の道には未練がある。何か打開策がないものか。誰か、ヒントだけでもくれないかしらー

悩めるアラフィフの心の叫びを、近くの焼き鳥屋で串をつまんでいた男がしかと受け止めた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。皿に盛られたささみ、レバー、ねぎまをペロリと平らげると、勘定を済ませ勝の店に駆けた。

ガラガラ

本日最初のお客さんに、勝の疲れた瞳に光が灯った。「いらっしゃいませ」

ただ、それから先の言葉が出ない。ただ黙って注文を待つばかり。ざんねんマン、ヒーローというよりは一人の呑ん兵衛として、早速この店の課題を見抜いた。おじさん、もっとしゃべらんと。

「あ、とりあえず生で。それから魚盛り合わせもお願いします!」

今日も飲みながら仕事するか。何から切り出すかー。思案にふけっていると、ジョッキとともに盛り合わせの皿が登場した。

見栄えから惹きこまれた。白身、赤身に甲殻類と、海の幸が陶器の上で調和の美をかもしだす。まずはーとマグロの切り身を醤油に浸し、口に含む。うん、うまい。視覚、味覚、食感が、ざんねんマンを悦楽の世界にいざなった。

大将、ちょっとこの盛り合わせ、すごすぎじゃないですか。

勝は顔をあげた。嬉しくてたまらない。でも、「ありがとうございます」の一言がいえない。恥ずかしい。「ああ」とだけつぶやくと、照れを隠すようにうつむいた。

その後もざんねんマンはいくつか注文してみた。勝は得意な魚料理でも上手にこなせるようで、メニュー表はさまざまな料理が載っていた。アスパラバター、ニンニクの芽炒め、馬のたてがみ。どれも見た目よく、香りよく、美味しい。舌を喜ばせる。感動のため息を漏らすたび、勝は照れを隠すかのように下を向いた

・・・そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。

悦楽の世界からようやく我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練ることにした。

そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。悦楽の世界からふと我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練った。

まず、話をしようにも会話が続かない。どうしたもんか。こうなったら、独り言作戦でいくか。

ざんねんマン、一人でぶつぶつと思ったこと感じたことをつぶやいていった。

あー、ここの料理、とっても美味しいなあ。でも、なんかちょっと寂しいなあ。話、したいなあ。やっぱり、コミュニケーションって大事だよなあ。

下を向きながらもしっかりと聞いている勝は、ざんねんマンの一言一言にピクピクと体を震わせて反応した。

(そうなんだ、コミュニケーションが、大切なんだ。それは、分かっているんだ。でも恥ずかしくって、できないんだよ)

勝は心の中で答えた。その気持ちを汲み取ったかのように、ざんねんマンは続けた。あー、確かに世の中には口下手な人っているよなあ。まあ、無理強いしたってきついだろうしなあ。だったら、やり方変えたらいいかもなあ。

例えば、気持ちを口ではなく文字で伝える。暖簾に書く。看板に書く。メニュー表に書く。今日の気持ち、料理に込めた思い。読んでもらえるかは分からない。リアクションがくるあてもない。逆に引かれるかもしれない。それでも、何もしないよりはましだ。人柄を、料理にかける思いを、分かってもらうためには、やってみて損はない。

ざんねんマンの、聞こえよがしにつぶやくアドバイスは、勝の鼓膜にジンジンと響いた。そうだよな、このまま無策でいてもジリ貧だ。書くのはちょっと恥ずかしいけど、しゃべるのに比べたらまだましだ。いろいろ、試してみることにするか。

熱燗にも手を伸ばし、すっかり出来上がったざんねんマンをなんとか玄関まで送りだした後、勝は大きく深呼吸した。「明日から、挑戦だ!」

 

「今日から、挑戦だ!」

ざんねんマンとの邂逅から一晩明け、勝は一つ大きく深呼吸をした

飲食の世界、やっぱりお客さんとのコミュニケーションは大切だ。話下手の自分は、他の手を考えよう。

もとからお客さんは減っている。何をしたって、恥ずかしいことはないさ。

真面目な勝は、店名を記した暖簾の余白に「会話は苦手ですが味だけは自信があります」と素直な気持ちを書いた。店の壁に掛けているボードには「まずもってこんな小さな居酒屋に足を運んでくださり、ありがとうございます。味だけは自信があります。ただ、お話は苦手です、ご容赦を」との一文を添えた。

旬な食材が入ると、ボードにその魅力や料理で工夫した内容をつづった。文の最後は、いつものように「お話は苦手です、ご容赦を」の一言で締めくくった。

客を呼び込みたいのか、近づけたくないのかー。なんとも分かりづらい文句で打ち出した店は、しかし変わり種を求める一部のサラリーマンらの興味をそそった。

しゃべりの苦手な大将が、必死に客を呼び込んでいる。それだけでも好奇心をそそるに充分だった。なんといっても、味がいい。あと、大将がべしゃり下手を公言しているから、トークが盛り上がらなくても不満はない。客は、大将に話しかけこそしないものの、「あー、超うまかったー」と一人つぶやけば充分気持ちは伝わった。大将がポッと頬を赤らめ、うつむく姿がその印だった。

勝は少しずつ心を開いていった。相変わらずトークはできなかったが、暖簾の余白には「おひとりさま、独り言、大歓迎。喜んで聞き役務めます。ただトークは苦手なので許してね」とつづった。

会話に代わり、つぶやきやぼやきといった一方通行にみえる表現が、新たなコミュニケーションツールとして存在感を発揮しはじめた。苦しみ、嘆く客には、慰めの言葉を掛けるこそできなかったものの、勝は一品をサービスして元気づけた。客のほうも「ありがとう」と返す代わりに「あぁ、疲れた心に染み入るなあ」と聞こえよがしにつぶやいた。

押しの弱い大将の下に、同じく控えめな性格の客が集い始めた。一人でゆっくり飲みたい。でも誰かと交流もしたい。かといって、トークはうまくない。そんな客にとって、勝の店はまさに砂漠のオアシスのような存在として光り輝いた。

トークの上手い人は世渡りも上手いことが多い。ただ、たとえそうでなくても、世の中を生きていく方法はあるはずだ。コミュニケーションのやりかたは千差万別。自分の性分にあったやり方を探せば、道は拓ける。そう信じたい。

店の売り上げが上向いてきた後も、勝の口下手は相変わらずだった。ただ、そのことに気おくれや迷いはもうなかった。「しゃべり下手を公言する変わり者の大将」として、細々と、しかし着実に、店を安定軌道に乗せていった。

店の復活を陰で支えたざんねんマン。知名度の高まりに羨望の念を抱くとともに、「僕もしゃべりすぎの性格、ちょっと見直さそうかな~」と舌をペロリ出すのであった。

~終わり~

お読みくださり、ありがとうございました。

【ざんねんマンと行く】 第44話・純粋無垢な少年少女にこそ見えるものがある

「ともだちが、しにそうなんです」

 

たどたどしい平仮名に、助けを求める者の切なる気持ちがにじんでいた。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマンの自宅に届いた一通のハガキ。差出人の住所は鹿児島県指宿市とあった。文字を覚えたばかりの子供だろうか。とにかく、親友の命が危ないとつづっている。鉛筆書きの「たすけてください」という一文が、ひときわ濃くにじんでいた。

 

文面を三たび読み直したざんねんマン。「待たせはせん」とつぶやくや、アパートの窓を勢いよく開け放った。掛け声よろしく南の空へ翔けた。

 

日が暮れるころ、少年の暮らす指宿に到着。玄関前でウロウロしていると、気配を察知した少年が家から飛び出てきた。

 

「あ!おじさん、ひょっとして、あのざんねんマン?」

 

まあ、その、そうだよ。

 

名前を呼ばれて照れるヒーローに、少年は尊敬のまなざしを寄せてきた。いやあ、恥ずかしいやらうれしいやら。子供の純粋な瞳ほど、無垢で心をくすぐるものはない。

 

「ざんねんマン、僕についてきて!」

 

少年はざんねんマンを手を引っ張り、山手の方向へ駆け出した。どうやら、「しんゆう」の元に向かうようだ。

 

10分ほど駆けると、かなり大きな湖が開けてきた。指宿の観光名所・池田湖だ。湖畔に飾られた、巨大な恐竜の模型が目を引く。

「ざんねんマン、ここ!」

 

日が暮れ、ひと気もすっかりなくなった湖のほとりで、少年はようやく止まった。こんなところに誰がいるのか。首をかしげるざんねんマンに、少年は「ちょっと待ってて」と目くばせをした。片手で湖面を優しくたたき、ポワンポワンと不思議な音を響かせた。

 

5分たったろうか。視界の向こうから、ニョロリと長い首のようなものを突き出した物体が、ゆっくりと2人の下に近づいてきた。ボートだろうか。いや違う、顔があるな。これは・・

 

「イッシーだよ。」

 

少年は、茶化す風でもなく答えた。イッシー、とな・・

 

イッシーとは、池田湖で1970年代に“誕生”したUMA(未確認生物)だ。イギリスのネス湖で確認されたUMAの本家・ネッシーの人気にあやかり、現地の自治体や観光関係者らが担ぎ出した。

 

地元では、あたかも本物の恐竜が生息しているがことく、もっともらしい「証言」や「写真」をとりそろえた。それが観光客の興味を引き付け、訪れた人々も信じたふりをして湖畔で記念写真を撮った。イッシーのモニュメントは人気撮影スポットになり、地元の観光振興に大いに貢献している。

 

まさか本物が棲んでいるとはー。大人の誰も、思いもしなかった。

 

少年がいうには、初めて遭遇したのは昨年の夏。酷暑が列島をたぎらせていたある昼下がり、自転車で湖畔を巡っていた少年の目の前に突如、現れたのだという。

 

人目を避け、ひっそり暮らしているイッシーも、うだる暑さに思わず首を湖面から突き出した。プハーと大きく深呼吸したその瞬間、少年とばっちり目が合った。

 

驚きと感動の色で染まった少年の澄んだ瞳は、人間を恐れるUMAの警戒心をも溶かした。種の違いを越え、“2人”の間には友情が生まれた。

 

ただ、他の人間が、しかも大人が知ってしまったら、大事になる。2人の交流は、決まって夕暮れどき、湖面をたたく少年の合図で始まった。イッシーは、少年が顔を撫でてあげるととても喜んだ。少年を首の上に乗せ、湖面をぐるぐると巡ることも少なくなかった。長く孤独の中で暮らしてきたイッシーは、友と同じ時間を過ごす喜びを心から味わっているようだった。

 

楽しい日々にも、しかし限界が近づいてきた。

 

 

 

少年とイッシー。種を越えた交流の日々にも、限界が近づいていた。

 

一つは食の問題。決して広くない池田湖には、体の成長し続けるイッシーの腹を満たすほど大きな魚は棲んでいなかった。さらに、近年の温暖化が追い打ちをかけた。夏場は湖の温度も上がり、さしもの恐竜も“ゆでガエル”状態だ。このままだと、死んでしまう。

 

少年は、意を決して何人かの大人に実情を打ち明けた。イッシーの腹を満たすだけの餌を工面してくれるよう、拝み倒した。だが、大人たちは少年の言葉を信じてくれなかった。「イッシーなんて、いるわけないさ」

 

あるときは、信用できる近所のおじさんを連れてイッシーに引き合わせた。おじさんは、ほぉと大きくうなずいた後、「こりゃすんごい工作をしたもんじゃな」と少年の頭をなでた。本物の恐竜だとは最後まで信じてくれず、「学校の文化祭、楽しみしとるよ」と見当違いなコメントを残して帰ってしまった。

 

観光協会の人にも打ち明けた。イッシーと撮った、渾身のツーショットも見せた。だが、事務局の人からは「ごめんねえ、もうネタとしては古いわぁ」となだめられてしまった。

 

見たものを見たままに受け止めることなく、「これはこうあるもの」とバイアスをかけてとらえてしまうのが大人のようだった。理屈、常識という型枠の中で安住する代償として、可能性や秘められた真実を見出す力を自ら手放しているように見えた。

 

僕らだけで、なんとかしなければ。

 

「ざんねんマン、助けて!イッシーを、生き延びさせて!」

 

切なる願いに、しがないヒーローの心も大きく揺さぶられた。なんとするかー

 

少年。少年は、イッシーがイッシーでなくなっても、大丈夫かい。

 

ざんねんマンの問いかけに、少年はポカンと間の抜けた顔をした。「どういうこと?」

 

イッシーは約40年、池田湖のマスコットキャラクターとして存分に頑張ってきたよね。でも、もう卒業してもいい時期なのかもしれないよ。この町の観光振興は、もうイッシー本体がいなくても揺るがないほどに土台ができている。イッシーは、もっと底が深くて魚も多いところで暮らすほうがいいんじゃないかな。

 

「海、か・・・」

 

少年は、池田湖の南へと視線を投げた。

 

池田湖から直線距離にして約3キロ。山林を抜けたところに、遥か太平洋が広がっていた。あそこなら、無限に食べ物にありつけるだろう。ひょっとしたら、イッシーと同じく奇跡的に生き延びた仲間の恐竜にだって逢えるかもしれない。

 

池田湖から離れる以上、イッシーの名はもう名乗れない。再び会うことも難しくなる。それでも、親友が生き延びられるのなら、その道を選ぼう。

 

「ざんねんマン、ありがとう!それでいこう!」

 

方針は固まった。言葉を交わさずとも、2人も考えはイッシーに伝わったようだった。体重〇トンにも上る巨体が、陸にあがった。

 

池田湖を舞台にした壮大な引っ越し作戦、成功なるか?!

 

 

池田湖を舞台にした、イッシーの壮大な引っ越し作戦が始まった。

 

大きなハードルがあった。海原にたどり着くには、いくつかの公道を横切る必要がある。ここで人間にちょっかいを出されたら面倒だ。

 

安心するんだ。人や車がきたら、この私が食い止めよう。

 

ざんねんマンがポンと胸をたたいた。

 

夜の田舎道とはいえ、何台かが引っ越しチームの手前に姿を見せた。ドキリとする場面が何度かあった。が、そのたびに大人たちの凝り固まった先入観に助けられた。

 

機転の利かないざんねんマン、手前で止まったドライバーたちにうっかり本当のことを漏らしていた。「すいません、今この先でイッシーの引っ越し作業をしてるんですよ。申し訳ないんですが、湖の反対側を迂回してくれませんかねえ」

 

ドライバーたちは10人が10人、同じような対応を見せた。「ヤバいおじさんがいる」と。車両という車両、人という人が180度向きを変え、危険人物から逃げるように去っていった。

 

誰も、話をまともに聞こうともしなかった。歴史の奇跡をまじかにしながら、いともあっさり邂逅のチャンスを放り捨てた。それは引っ越し作戦チームにとってはこの上ない幸運ではあったが、人類にとっては少し寂しい出来事でもあった。

 

ざんねんマンが汗だくになりながらドライバーたちとやりとりしている間に、少年とイッシーの姿は見えなくなっていた。山を越えたか。海にたどり着けたか。

 

東の空がうっすら白み始めたころ、山から少年が姿を現した。一人だった。作戦は。イッシーは。途中で力尽きたかー

 

言葉を待ち、つばをごくりと飲み込んだざんねんマンに、少年はゆっくりうなずいた。「いけたよ」

 

道なき道を踏み分け、無限の可能性が広がる海原へと、見事にたどり着いていた。

 

別れ際。海辺で、少年はイッシーの首を優しくなでた。おそらく、今生で再びまみえることはないだろう。イッシーは動くことなく、最後の抱擁をかみしめているようだった。

 

見たものを見たままに受け止める。感じる。純粋無垢なる心を持った人間だからこそ、世紀のの出逢いに恵まれることができた。親友とは別れてしまったが、濁りのない心と心はしっかりとつながっている。少年の瞳は、安らぎで満ちていた。

 

「もう、イッシーでもなくなっちゃったね」

 

池田湖を離れた今、名前も変わらないといけない。これからは大海原を広く泳ぎ回ることになる。舞台は地球だ。Earth(アース)だけに、アッシーか。

 

ちょっとださい感じもするけど、優しい名前で、それほど悪くない。誰の足替わりになるでもなく、思うがままに世界を旅するんだよ。

 

濁りのない少年の眼に浸り、史上類を見ない大引っ越し作戦を支えたざんねんマン。大きく伸びをし、一仕事終えた充実感を味わいながら「ウッシー、エッシーの引っ越しも手伝うぞ~」とまだきてもいない依頼に向け意欲を燃やすのであった。

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第43話・幽霊界の原点回帰

う~ら~め~し~や~

 

草木も眠る丑三つ時(午前2時)。布団をかぶっていびきをかいている耳元で、薄気味悪いかすれ声が響いた。

 

背筋に嫌な汗がにじむ。人助けのヒーロー・ざんねんマン、実はかなりの怖がりだ。頼む、聞き間違いであってくれーと願いながら布団をまくると、部屋の隅っこで宙に浮く白衣の老婆とばっちり目が合った。

 

いたよ。

 

言い伝えさながらに、三角巾で額を覆い、両手の甲をこちらに見せてだらりと下げている。あと、足首から下が透けている。まさに日本のザ・幽霊だ。

 

上目遣いにざんねんマンの方を向いたまま、悲しげに「う~ら~め~し~や~」を繰り返す。なんだか聞いているこちらもいたたまれなくなってきた。ざんねんマン、覚悟を決めた。はい、幽霊さん、大丈夫ですよ。どうされましたか。私なんかでお役に立てることがありましたら、助けますよ。

 

一度深く頭を下げた後、幽霊は切々と語り始めた。

 

私は幽霊界でも由緒ある一族の末裔です。代々、柳の木を棲み家としてきました。お侍さんたちが治めていた時代は、人間たちからそれはもう怖がられたものです。浮世絵にもよく登場しましたね。いい時代でした。

 

ところが。海の向こうから機械や技術を母体にした「文明」が入り込んできてから、流れがすっかり変わってしまったのだという。

 

幽霊などといった非科学的なものは、信じない。人間の妄想だー。こうした考えが浸透していくにつれ、幽霊たちは存在感を失っていった。

 

復権に向けた動きもあった。アメリカでは、幽霊たちが人間世界で食べ物をあさりまくるなどの悪さを繰り返した。人間の特別チーム(ゴースト・バスターズ)との激闘にまで発展した。が、2度の大激戦の末、敗れ散った。

 

中国では死者の霊の一部が蘇り、ピョンピョンと跳ね回るキョンシーとして地上を闊歩した。カンフーの卓越した技も披露する彼らは子供たちの憧れの的となり、映画でシリーズ化されるほどの大反響を巻き起こしたが、最後は人間(道士)の手で丁重に葬られた。

 

日本では、テレビ画面からはみ出てくるという離れ業をこなす幽霊が出現。その名「貞子」は恐怖の代名詞として日本の若者たちの話題をかっさらった。だが、あまりに有名になりすぎ、プロ野球の始球式に招かれるなど大衆化が進んでしまった。もはや幽霊としての存在感は消え失せていた。

 

昔ながらの幽霊たちの居場所が、なくなっている。私たち幽霊を、お化けを、救ってくださいまし。

 

白髪の老婆は、すがるような目でざんねんマンを見つめた。またまた難しい問題だ。どうするべきか・・

 

しがないヒーローだけど、やれるだけのことはやってみよう。ない知恵を絞った。一つのアイデアにたどり着いた。効果があるか分からないけど、試してみよう。

 

英気を養うため、「今日は悪いけど休ませて」と頼み込んだ。うらめしそうに見やる幽霊にいったん退場を促した後、再び布団をかぶった。

 

明日は、動くぞ。

 

夜が、明けた。

 

あのおばあちゃんの幽霊、期待してるだろうなあ。お化けの復権か。難しいけれど、無策ではないぞ。

 

ざんねんマン、乏しい知識ながらも、幽霊の世界について振り返ってみた。

 

そもそも幽霊はシンプルな存在だ。人が亡き後、魂だけが残り、この世に残した未練をあらわすかのように、人間たちに姿を見せるのである。

 

彼らの登場する舞台は、家屋の一部屋だったり、老木の幹だったり、うっそうと生い茂る樹林の中だったりする。どれも、何ということのない空間だ。が、そこで感じるかすかな風のそよぎ、鼓膜をなでるわずかな響き、肌に触れるものの感触が、人間の第六感を呼び起こし、この世ならざる者たちの存在をひしと感じさせてきた。

 

この世に存在するものは、必ずしも見たり聞こえたりするものだけではない。そのことを幽霊たちはさりげなく気付かせてくれていた。地球上で自分たちが一番偉く強いと考えがちな、人間の思いあがりがちな心に、謙虚さをもたらしてくれていた。

 

人間界にとって、幽霊さんたちは大切な存在だ。

 

ざんねんマンは思った。最近の幽霊は、どうも見栄えに走りすぎている。超人的なパフォーマンスを見せたり、ビルをぶっ壊したり、巨大になったり。より刺激的な路線に向かってしまい、もはやエンタメ業界と境目がはっきりしなくなっている。

 

彼らが元気であり続けるためには、“原点回帰”が必要だ。

 

日が暮れるころ、ざんねんマンは住宅街から少し離れた小川のほとりにいた。散歩の人がちらほらいたが、やがていなくなった。お供の役を務めたのは、川に沿って等間隔で並ぶ、大きな柳の木だった。

 

さて、始めるか。

 

ざんねんマン、ザックを降ろすと、スマホと自撮り棒を取り出した。

 

 

枝の大きくしなった柳の木の下で、スマホのカメラを自分に向けた。

 

こんばんは!今日は人助けならぬ幽霊助けのため、現場にきております。

 

呼びかける相手は、動画投稿サイトに開設している自分のチャンネルのフォロワーたちだ。地味だがしこしこと続けている活動のおかげで、チャンネル登録者数も少しずつ増えている。

 

今回のタイトルは「体験!幽霊の奥深い世界」

 

いや~、幽霊とかゴーストとかいいますけど、最近はどうも見せ方が過激になりがちですよね。派手派手路線が行き過ぎて、皆さんもそろそろ飽きてきているんじゃないですか?幽霊さんたちも反省しているようです。そこで今晩は、彼らの「生まれ故郷」から、その魅力をお伝えしていきたいと思います!

 

三日月があっという間に沈み、暗闇が一帯を包んだ。柳の幹を背に、じっと立ち尽くす。スマホの光に照らし出されたざんねんだけの表情には、恐怖がありありと浮かんでいる。

 

いや~、薄気味悪いですね~。柳の葉のサラサラって音も、なんだか人の手がこすれ合っているような、不気味さを感じさせますね~

 

ヒュンと風が首元をなでただけで、思わず体をのけぞらせる。柳の枝がそろりと肩に触れた瞬間、「おおうっふぅ」と声にならない叫びをあげ、腰を崩す。生来の怖がりが、リポートを実に臨場感あふれるものに仕上げていた。

 

(そろそろ幽霊さん、登場してくれないかな。怖いけど、出てくれないと視聴者が満足してくれないよ。ちょっとでいいから)

 

恐怖に全身をぐっしょりしたたらせながら、中継を続けた。だが、幽霊のほうは姿を現さない。ネット中継は初めてで、腰が引けてしまったようだ。

 

「なんだよ、何も出ねえじゃん」

「やらせでも幽霊見せてくれるのかと思ったのに」

 

コメント欄は落胆の声であふれた。やらかした。僕が見せられたのは、ただビビりもだえうろたえる中年おやじの醜態だった。

 

失意に浸った。が、このままでは幽霊一族を助けられない。諦めず、翌日の夜も柳のそばに立った。その次の晩も。

 

1週間を過ぎたころ、評価がじわりと変わってきた。

 

「柳1本にこれだけビビれるのは、一つの才能かも」

「少なくとも、やらせじゃないな」

「恐怖とか幽霊って、こんな何でもないところでこそ感じるものなんじゃないかな」

「いるかいないか、分からない。そんな微妙な立ち位置にいるのが幽霊だと思う」

 

親や言い伝えで耳にしてきた幽霊観を、視聴者たちは振り返り始めた。人間の側も、幽霊たちに多くを求めすぎていた。欲が欲を呼び、遂にはニューヨークの摩天楼で暴れまわるマシュマロの化け物を生み出すほどに脱線していた。人間の側の反省も促した。

 

「俺、今度の週末、柳の木にいってみよっと」

「私も友達と」

 

人々は「柳オフ」なる集会を始めるようになった。廃墟のようなおどろおどろしさこそないものの、ひんやりした夜風に、ふいに聞こえる小石の転がる音に、異界の者の存在を感じ取った。それは、地球上に君臨する人間が少しばかり謙虚になり、頭(こうべ)を垂れる貴重な機会をもたらした。

 

幽霊たちも、廃墟など目立つばかりの“心霊スポット”から、地域に散財する柳の下へと帰っていった。たわわにしなる枝の下で、人間と幽霊が再び魂の交流を重ねだした。やがて、幽霊たちはかつての確固とした存在感を取り戻していった。

 

ある晩。布団をかぶっていたざんねんマンの耳元で、ふたたびあのかすれ声が聞こえてきた。ざんねんマン、もう目を開けることはなかった。おばあちゃん、もう大丈夫だよね。柳の下に、お帰り。そう心の中でつぶやくと、老婆の幽霊は「あ~り~が~た~や~」とハイトーンで返し、部屋は再び静寂に包まれた。

 

幽霊を救い、人間の純朴さを取り戻す手助けもしたざんねんマン。「今回は頑張ったかな」と自らをねぎらい、缶ビールをプシューと空ける一方、「もう柳の下の深夜中継は勘弁だ」とぼやくのであった。

 

~完~

 

お読みくださり、ありがとうございました。

 

【ざんねんマンと行く】 第42話・人知れず積む善行


「さーいよいよ長丁場の始まりです!感動の瞬間を、捉えられるか?!」

玄関前で、リポーターがやけに高いトーンで叫んだ。

各テレビ局が折々に手掛ける、24時間密着シリーズ。病院、ポリス、コンビニ・・と、あらゆる対象をネタにし尽くし、もはや残るトピックはないかと思われる中、とある局が最後の希望とばかりにあるターゲットに食指を伸ばした。

人助けのプロこと、ざんねんマン。

助けを求められると、100%の確率でミッションを達成してきた。その活動の様子をカメラで追いかけることができれば、刺激を求める視聴者に響くかもしれない。

気がかりなのは、映(ば)えないこと。ビームなどの大技も出ない。リスクはある。だが、もしかしたら、疲れた現代に多少なりとも潤いを提供できるかもしれない。これで一発当てたら、第2弾、第3弾とやっていくつもりだ。

事前に収録の了解を得た上で、とある日の正午、カメラクルーは本人の暮らすアパートの玄関をノックした。

あ、どうもどうも。今日はわざわざ大勢で。

やたらニヤケた顔が画面にドアップで映る。「ヒーロー」の風格はあれよと流れ去った。クルー一行、やや興ざめした気分を押し隠し、えいやと気合を入れ早速撮影モードに突入だ。

「いやー、なんともつつましいお部屋ですね。こちらが人助けのヒーローのご自宅です。本邦・初公開!」

リポーターが情感あふれんばかりに見どころを伝えようとするが、なんせ男一人暮らしの1DK。殺風景の観は否めない。ちゃぶ台に置かれた、食べかけのヨーグルトが侘しさを醸し出す。

「さてざんねんマンさん、早速ですが次の出動はいつごろに・・」

リポーターがマイクを向けてくる。そうですね、まあ突然といいますか、毎回いきなり仕事が飛び込んでくるわけですよ。それこそ今この瞬間にもひょっとしたら・・

そのときだった。ざんねんマンが言い終わらないうちに、玄関のチャイムが鳴った。

「さすが、さすがは人助けのプロ!休む暇もないのか!」

色めきだつクルーを笑顔で制しながらドアを空けた。そこには、なじみのラーメン屋の大将が立っていた。

「呑竜軒ですぅ。いつもありがとうございや~す」

出前で頼んだチャーシュー麺と餃子、キムチを床に置いた。いやぁ、こっちこそすいません、一人前なのにね。大将のラーメンは、一回食べたらやめられないですよ、まったく。

玄関でしばし雑談する二人に、クルーは言葉にならないイライラが沸き起こるのを感じた。

あーすいません、皆さんがいらっしゃる前に出前を頼んどいたんですよ。忘れてましたわ。

振り返りざま、それほど悪びれるでもなく頭をかくヒーロー。クルー一同は嫌な予感がわくのを感じた。今回の取材は、厳しい戦いになるかもしれないぞ。

その後はなんとも単調な時間が過ぎた。来客なし、電話なし、助けを求める心の叫び、なし。あっという間に日が傾く。夜の戦いに備え、一同がストレッチで体をほぐしはじめたころ、今度はざんねんマン自身が叫んだ。

はあっ!

再びクルーに緊張が走る。今度こそは出動かー

しまった、洗濯機のボタン押すの、忘れてた!

やってもうたとばかりに天を仰ぐ異色の主人公に、一同の疲労は倍にも3倍にも募るのであった。

期待をせず、「そのとき」を待ち続けた。が、変化なし。とうとう就寝時間となり、ざんねんマンは「申し訳ないですけど、お先に寝ま~す」と布団をかぶった。

一方のクルー陣。少しでも撮れ高を確保せねばと、眠気と戦い続けた。ときどき、ざんねんマンの布団がピクピクと動いたが、どうやら夢の中で壮大な人助けをしているためのようだった。現実の世界でやってほしかった。残念。

夜が明けた。24時間収録が終わるまで、残りわずか6時間。百戦錬磨のクルー陣に、「敗北」の二文字がちらついてきた。このまま何も起こらなかったら、俺たちは負けだ。

かといって、無理やりに救出劇を仕立て上げるわけにもいかない。いかさま、フェイクは今、最も世の中に嫌われているところだ。「そのとき」がやってこなければ、それであきらめるしかないのだろう。

気負いをなくしたところで、少しだが心持ちも楽になるような気がした。どうせ不漁なら、何か暇つぶしでも探そうかー

クルーのアシスタントの女性が、最初に動き出した。

夜が明けた。24時間収録が終わるまで、残りわずか6時間。撮れ高なく、言いようのない敗北感が部屋を覆う中、カメラクルーのアシスタントの女性がふと口を開いた。

「すいません、これ、片付けていいですか」

女性が指さしたのは、ちゃぶ台に置かれた食べかけのヨーグルト。もはや酸化が進んで食べられない。男の一人暮らしにありがちな光景だ。お掃除しないと、ばっちいよ。

いやぁ、すいませんねえ。ずぼらな性格なもので

頭をポリポリかきながら、ざんねんマンが頭を下げる。なんとも頼りないおじさんだこと。「お部屋、きれいにしないと体に悪いですよ」と語る女性の声には、生来の優しさがにじんでいた。

いろんなところに、手入れの必要な個所があった。ごみかごはもう一杯。ちゃんとゴミ袋に移して、さっさとステーションに出さないと。今日がちょうど可燃ごみの日だったので、女性はサササと手際よく片付けた。

男性陣も、暇をもてあましてか部屋の中を見回しだした。ったく、ざんねんマンさん、シンクの排水口がほとんど詰まってるじゃないですか。

年長のメンバーが、若手にポケットマネーを渡すと、詰まりを解消する溶液を買いにいかせた。

あー、やっぱりここも。風呂も同じだね。

男性連中、手分けしてそこここの排水口と格闘を始めた。まあなんと全く生活能力のないヒーローなんだ。口々にぼやきつつも、心の中では別のことも考えた。

こんな冴えないおじさんも、映えないなりに人助けをしているんだよな。生活に、目が行き届かないところも、あるのかな。ちっとは、僕らもお手伝いしてあげようかな。

「人助けの現場密着」という本来の目的を忘れ、一同が黙々と
ざんねんマンの部屋掃除に打ち込んだ。

そこには「撮れ高」も、視聴率も、会社の評価もなかった。ただ純粋に、冴えないおじさんの生活空間を普通レベルに戻してあげようとの思いがあった。

見違えるほど、とまではいかないが、訪問前と比べればずいぶんと部屋がきれいになった。

一同が心地よい疲労の汗をぬぐっていると、聞きなれたチャイムが窓の外から流れてきた。正午の知らせだ。

終わった。

視聴者に届けられる成果物は、何もなかった。カメラクルーのリーダーは、「こりゃ上からたんまり絞られるな」と苦笑いした。

実際、一同は会社に戻るや幹部から大目玉を喰らった。何もないなら、何かをつくれ。誰かにSOSを発信させろと。だが、映像の真実を求めるクルーに、いかさまは選択肢に入っていなかった。

申し訳程度に、リーダーがある映像を見せた。「いやですね、あまりに暇なもんで、僕らざんねんマンさんのお部屋を掃除したんですよ」

ゴミを手際よく片付ける女性アシスタント。排水口の詰まりと戦う男性スタッフ。その額ににじむ汗は、見る人の心を爽やかにさせてくれそうだった。

「いやいやいや、お掃除番組撮りにいってもらったわけじゃないんだよ!」

幹部の怒りに油を注いでしまった。こっぴどく叱られた。丸一日かけて、プロのカメラクルーが収穫物なしで帰ってくるとは。お前たち、今日は一日反省してなさい!

顔も見たくないとばかりに、一同はオフィスを追い出された。

あー、なんか疲労感のたまる24時間だったなあ。出前頼むなら先言っといてほしかったよね。あと、洗濯機は朝回しとかないとね。そういうとこに、生活感のなさがにじんでたね。

でも、俺たち、お掃除がんばったよね。ごみ片付けたし、シンクきれいになったし。今晩はあのおじさんも気持ちよくお風呂入れるだろうなあ。

駅への帰り道、一同は不思議な1日を振り返った。目に見えた収穫も評価も得られなかったが、心の中に何か温かい力のようなものが沸いてくるのを感じた。

人知れないところで積む善行こそ、その人にすがすがしい活力を与えてくれるのかもしれない。

競争社会で戦うテレビマンたちに、図らずも癒しの機会をもたらしたざんねんマン。すっかりきれいになった部屋を見回しながら、「また3か月先ぐらいにきてくれるとありがたいんだけどな~」と何とも情けないことを考えるのであった。

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】第41話・矛と盾

この年になって、ささいなことで頭を悩ませるとは。まったく、ただの頭でっかちの、でくの坊か。俺は。

 

中空を見上げ、自嘲気味に「だめだこりゃ」とつぶやいた。

 

黒縁眼鏡にスーツをピシりと着こなした姿は、まさに学者然としている。名の知られた大学で論理学を講じる哲男にとって、世間の諸問題はすべからく筋道立てて向き合うことで解決されなければならないはずのものであったが、ことわが身のこととなると途端に難しくなり、打つ手も見つからず途方にくれるのであった。

 

高校生の娘がいる。学業のほうはそこそこ頑張ってきたようで、この調子でいけばどこかの4年制大学には行けそうだ。なのに最近、「舞台俳優になりたい」などと切り出してきた。進学するつもりはないと。まったく、雲をつかむようなことを。成功者など一部もいない世界で、名を成すことなどできるはずもない。

 

これをいい機にーと人生の歩むべき道を諭そうとしたところ、「お父さんは私のことを見てない」と叫んだきり、口もきかなくなってしまった。頼みの妻まで「この子の人生だから」とやんわり肩を持つ始末。まったく、私の親心と至極まっとうな見解を、どうして理解できないのか。それなりの大学に通って、それなりの会社に就職することが、一番安全で正しい道なのに。

 

人生で最も身近な人に対してさえ、正論の一つも説き伏せることができない。それだけではない、長く円満だった家庭内にすきま風まで入り込んできた。寂しい。そして、みじめだ。俺は一体、研究者として何を学んできたのか。世間で実践できてこその学問ではないのか。あと、明かすのは恥ずかしいが、正直、娘に嫌われたくない。嫁さんにも。今、家に居場所、ない。

 

行きつけのカフェ。いつも注文しているお気に入りのコーヒーも、今日はひときわ苦く感じられた。誰か、俺の悩みを解きほぐしてくれないものか。

 

哲男が座るカウンターの隣で、同じく淹れたてのコーヒーをすする男がいた。人助けのヒーローこと、ざんねんマン。哲男の慟哭を心中でしっかと受け止めるや、おもむろに口を開いた。

 

お互いに、言い分があるってことですかなあ。

 

何を知ったようなことをーと哲男がギョロリにらんだ。「私のほうが正しいに決まってるんだ。娘と妻の言ってることなんて、甘っちょろい夢物語にすぎないんだ」

 

夢物語、上等じゃないですか。夢のおかげで人生に張り合いができるんですし。生まれたからには、やりたいことしないと。娘さんの言うことにだって理屈があると私は思いますよ。あ、もちろんお父さんの言うことも分かりますけどね。どっちが正しいとか間違ってるとかいう話じゃないと思いますよ。

 

まあその、いわゆる「矛盾」ってやつですかねえ。

 

カッコいいこと言うたったとばかりにしたり顔を垂らすざんねんマンに、哲男は苦虫をつぶしたような表情を返した。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

「君ね、『矛盾』なんて一言で片づけられる問題じゃないんだよ」

 

言いながら、哲男はその言葉の意味をあらためて考えた。

 

矛と盾、か。世の中に、何でも貫くという矛がある。一方、何物をも通すことを許さないという盾がある。二つがぶつかり合ったらどうなるか。

 

いや、ぶつかり合うことはない。そんな場面は生まれない。なぜなら、どちらかが負けた場合、嘘を言っていたことになるからだ。そもそも「何でも貫く」矛も、「何物をも通すことを許さない」という盾も、存在しないのだ。

 

私の考えが「矛」だとしたら、娘の考えは「盾」か。どちらも絶対に正しいというわけではない、ということか。言い換えれば、どちらにも言い分があるということか。

 

解決しようのない問題というものが、あるのかもしれない。それはそれとして、ありのままに受け入れればいいのかもしれない。憤ったり、悲しんだりすることもない。

 

哲男は、ふさがっていた気持ちが少しばかり軽くなるのを感じた。もういい、娘は娘で自分の信じることを主張したらいい。その代わり、俺も折れないぞ。だって、どっちも理屈があるんだから。あとは、なるようになるだけさ。

 

「まあ、君の言うことも一理あるかもしれないね。結局、世の中の真髄は『矛盾』の二文字で表すことができるということだよ。矛盾は矛盾として、これからも世の中に存在し続けるのだ」

 

真理の一端をつかんだ喜びをかみしめるかのように、哲男が晴れやかな表情で語った。「まあ、サラリーマン風情にこの深淵な論理が理解できるとは思えないがね」

 

なんだか偉そうだなあ。「矛盾」って言葉使ったの、おいらが先なのに・・・

 

子供じみた反論を口にしたい衝動をこらえ、「ああそうですか、そうですか」とそっけなく返すのが精いっぱいだった。

 

それにしても、短い言葉の中に智慧というものは秘められているものだ。何十年も難解な言葉をこねくり回してきた哲男は、生活の中で使い古された言葉にも深い真実があることにあらためて気づき、新鮮な感動を覚えた。

 

家庭不和の打開に手を貸したざんねんマン。表情から憂いの色が消えた哲男に安堵しながら、「娘さんにやり込められるといい」と悪いことを考えるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第40話・「黒幕」との対決

ピンポーン

 

アパートのチャイムが鳴った。古い建物だから、誰でも敷地に入ってこれる。面倒だけど、結構面白い出会いもあって、悪くないんだよな。

 

玄関ののぞき穴の向こうには、ビシッとスーツを決めた中年の男が立っていた。

日陰なのにグラサン。片手には何か入ってそうな紙袋。どこか闇のありそうな御仁だ。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。やや警戒しながらドアをギギ―と開けた。はい、どなたさまで・・

 

「突然のところ恐れ入ります。私はその、郊外でしがない・・ンセイ稼業をやってい・・ものでありまして・・」

 

ところどころ、聞き取れない。聞き直そうとすると、小声で制してきた。「まあその、できればお部屋でご相談を・・」

 

勢いに押され、中に通した。散らかっていますが、どうぞ。

 

ようやくグラサンを外した男は、目つきの鋭さが印象的だった。銀髪が目立つところをみると、アラ還か。

 

男の相談内容は意外とシンプルだった。「自分のブランド力を上げたい」という。世間の人気を集めるのが欠かせない仕事らしい。ただ最近、どうもその人気を若い成長株に奪われてしまったようだ。以前は黒塗りのハイヤーで官庁街から飲み屋街までを巡り倒していたのに・・。さぞ景気よくやっていたであろう往時への未練が、ねっとりした語り口から伝わってきた。

 

「ということで、つまらないものですが、これを」

 

片手の紙袋を、そろりとざんねんマンのひざ元に寄せてきた。むむ、中に何か入っている。


茶帯に包まれた、白い封筒。しかも結構分厚い。これはもしや・・

 

「まあ、よしなに」

 

中年男がニヤリと笑った。勘の悪いざんねんマンでも、さすがに中身は推測がついた。現ナマだ!

 

ということは、あなたはつまり、「センセイ」ですか?

 

「いやあ、まあ、センセイだなんて、そんな。う~しゃっしゃっしゃ」

 

男は明らかに上機嫌になった。センセイ、いい響き。周りから言われて嬉しくなるなんて、子供っぽい人だなあ。とまれ、それならそうと早くいってくれればいいのに。もったいぶるおじさんだ。まあでもセンセイ、どうして私なんかに相談を?

 

「まあ、それはね、あなたの助けが必要になったからだよ」

 

センセイのスーツをよく見ると、ちょっとくたびれていた。ひげもちゃんと剃れていない。なんだか、覇気がないっちゃあ、ない。あ、つまりはその、「元」センセイと・・

 

「それ、いうなー!」

 

センセイが羞恥心も露わに両手で自分の顔を隠した。ああもう、今となってはただのおじさんじゃん。おじさん、で、具体的に何をしてほしいんですか。

 

元・センセイは再びねちっこい眼差しを寄せてきた。「君の人助け達成率が100%ということはよく知っている。でもどうせあれだろう、ヤラセとかサクラでごまかしているんだろう?まあそれはいいんだ。やり方はどうでもいいから、私の知名度を上げてほしいんだよ」

 

ざんねんマンのひざ元に置いた札束は、その手付金というわけだった。

 

さて、どう動く、ざんねんマン!

 

 

札束と、その意味を理解したざんねんマン。トロリ溶けてしまうかと思いきや、活気盛んな江戸っ子よろしく吠えだした。

 

そんな、失敬な。わたしはですよ、確かに小粒なヒーロー稼業でしのがせていただいてますけどね、ヤラセも仕込みも、一度もやったことなんか、ないですよ。こんな札束で人を動かそうだなんて、人を小馬鹿にするにもほどがありますよ。それにね、札束とか、古すぎますよ。どうせやるならね、ビットコインとかユニコーン候補のIPO前株とかでしょ!

 

「いうたな、いいよったなー!」

 

元・センセイは烈火のごとく怒った。羞恥を隠すかのように、昔の武勇伝をぶちまけてきた。

 

「俺だってなあ、かつては料亭に足しげく通ってだな、他のセンセイとか経済界の重鎮たちと大事な話をしてたんだ。こんなふうに茶封筒を渡したり、もらったりしたことだって、何十回もあるんだぞう。それで世の中を動かしていたんだ。みんな知らないだろうけど、俺こそが世の中のフィクサー、つまり『黒幕』だったんだ」

 

自分で言うかいな。ざんねんマン、ちょっと吹いた。偉そうなこと言ってますけどね、結局あれでしょ、新進気鋭の若手に票を持ってかれちゃったんでしょう。地盤も看板もカバンもない新人にね。ださい、ださい!

 

今は世の中が大きく変わろうとしている。以前のように、「密室」で「密談」して物事を決める時代ではなくなってきている。そもそも情報はSNSですぐ世間に筒抜けになる。隠そう隠そうとしても、いずれ露わになる。古臭い昭和のやり方でやっていると、時代から取り残されるだけだ。

 

情報は「隠す」から「出す」方向へ。裏で操る「黒幕」が暗躍する時代から、何事にもオープンスタンスで臨む「丸腰」が輝く時代へ。着実に変わりっているニーズを理解し、しっかり応えるこれからの世代こそ、人々の支持を得て活躍していくのだ。

 

「むむむ、ムオオ~ン」

 

おじさんは、何か動かされるところがあったか、慟哭した。

 

「おふぅ、この年になって、ようやく自分の時代遅れっぷりに気づかされるとはな・・」

 

憑き物がとれたかのように、おじさんは澄んだ瞳を向けてきた。「この札束、返してもらうな」

 

ざんねんマン、やや未練ありげに封筒を眺めた。まあセンセイ、諭吉さん数枚ぐらいだったら、選別代わりってことで世間的にもOKかと・・

 

「なあに甘っちょろいこと言ってやらぁ。『黒幕』のいらない世の中とあっちゃ、こんな『袖の下』も出る幕はないってもんさあ」

 

百人以上は詰まっていたであろう諭吉の団体が、膝元からもろとも去っていった。小粒のヒーロー、小金持ちになった妄想をかき消すのにしばし必死となった。

 

元・センセイのおじさんは、来たときとはうってかわって軽い足取りでドアの向こうへと去っていった。おじさん、再就職できるのかなあ。

 

ざんねんマンの心配もなんのその、おじさんはちょっと違った形ながら見事にカムバックを果たすことになった。

 

黒塗りのハイヤーを乗り回し、「黒幕」ぶりを発揮していた元・センセイ。ざんねんマンとの、子供顔負けの口喧嘩を通じて、何か憑き物がとれたかのように澄んだ瞳を取り戻した。

 

両者の邂逅から数週間後。オフィス街から一本奥に入ったところで、蝶ネクタイを付けた元・センセイの姿があった。

 

「いらっしゃいませ」

 

低く落ち着いた声は、静かな世界に浸りたいビジネスパーソンカップルたちをじんわり温かく迎え入れていた。

 

グラスを手際よく拭きながら、さりげなく注文を待つ。口数は少なく、しかし最大限の気遣いを払いながら。カウンターの一人一人は、無言でたたずむセンセイの存在に気づいていないかのようでもあった。

 

センセイは、古巣の稼業に戻ることをあきらめた。あそこはもう、若い世代に託すべきだろう。俺なんかがかきまわす時代じゃない。すっぱり、未練を絶った。一方で、自分の持って生まれた個性を活かしたいとの思いを抑えることはできなかった。模索した末にたどり着いたのが、この仕事場だった。

 

今、一介のバーテンダーとして働いている。学生時代にちょっとだけバイトしていた。そのときの経験を生かし、人づてに知り合った店のオーナーに拾ってもらうことができた。

 

これまでさんざん「闇」「裏」の世界をひた走ってきた。秘密に秘密を重ね、ときに泥をすするようなこともしてきた。どこか後ろめたさもあった人生の経験は、意外にも新たな世界でプラスの方向に働くようになった。

 

秘密は決して漏らさない。気配りをきかせることができる。贈り物のポイントをわきまえている。人心の機微を相手にする、お酒の世界に欠かせない魅力だった。

 

相手の懐にすっと入っていける気安さは、間もなく常連客たちのハートをつかんでいった。口数こそ少ないながら、世渡りで苦労している若者には、実践的な処世術をさりげなく提言した。仕事でミスを犯し、取引先に菓子折り持っていくビジネスマンには、品物の選び方や差し出すタイミングを指南した。会社のドロドロした派閥争いの話を漏らされることもたびたびあったが、自分の肚一つにすべてを抑え込み、それがますます客の信用を集めた。

 

年がたち、ためたお金で独立した。人様には語れぬ闇を秘めていたセンセイは、誰からも慕われるバーのマスターとして本来の輝きを発揮し始めた。そこにはかつてのような近寄りがたい「黒幕」の面影はなかった。すっかり角がとれ、誰の心をも捉えて離さない「丸腰」そのものの魅力で満ち溢れていた。

 

人生を一周まわり、新たに生まれ変わることに成功した元・センセイ。かつて罵倒もした小粒ヒーローに心から感謝し、後に店に招いてたらふくご馳走した。

「これもあなたのおかげです」

 

一方のざんねんマン。すっかり景気も良くなったセンセイの姿にゲスな根性を揺り動かされたか、「諭吉さんを持て余してたら私がぜひ使いまわしてしんぜましょう」と小粒っぷり全開で馳走をねだるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

 

 

【ざんねんマンと行く】 第39話・本当のヒーロー

日差しが強まるほど、木陰の心地よさが増してくる。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。週末の昼下がり、都内のとある大きな緑の公園でプチ森林浴を楽しんでいた。大木のそばに腰を降ろし、ノンアルコールの缶ビールをプシューと空ける。ああ、最高だ。

 

「あ!このおじさん、見たことある!」

 

突如、静寂が破られた。指を差してきたのは学生さんかとみられる若い女性。隣の彼氏らしき男性に、何やらささやいている。「えっとね、今売りだし中の、小粒ヒーローのはず」

 

小粒、とな・・

 

ノンアルビールをあおる手が止まった。「小粒」は余計だが、確かに私は人助けの「ヒーロー」だ。

 

「握手、してもらっていいですか」。女性が近づいてきた。いいですよ。私なんかでよければ。なんなら写メでも一緒に。あ、それは別にいいと。映えないと。

 

それほど盛り上がることもなく、つかの間の交流が幕を下ろしかけたとき、今度は傍らの彼氏が口を開いた。「おじさん、僕、大きな人間になりたいんです。ヒーローみたいな。どうやったらビッグになれるんですか」

 

ヒーロー、とな。ビッグ、とな。それはつまり、私のような人間になりたいということですかな。あ、それは違うと。しがないヒーローは路線が違うと。

 

ご両人、結構ずけずけ言うてくれはりますなあ。

 

やや傷心のざんねんマン、何と答えるか思いあぐねていると、隣の大木からしゃがれた声が聞こえてきた。「それはのう、まず足元から見つめることじゃよ」

 

銀髪の老人が立ち上がった。同じく森林浴を楽しんでいるようだった。とつとつとした語り口には、荒波を潜り抜けてきたとみえる長老ならではの知恵が込められているようだった。

 

「おじいさん、『足元から見つめる』って、どういうことですか?」

 

彼氏の問いかけに、老人はほほと笑みを浮かべた。「よい質問じゃ。それはつまり、身近にできることから取り組む、ということじゃよ」

 

今、彼氏の頭の中は「ヒーロー」「ビッグ」という大きな夢が占めている。大きな仕事をして、目立って、儲けて、ウルトラハッピーになりたい。まあそういうことだろう。だが事はそう簡単に進まないものだ。千里の道も一歩からという。まずは目の前の課題、仕事を地道にこなすことが大切なのである。

 

「こちらのヒーローさんとやらを見るとよい。ひと昔前の特撮ヒーローのように、手からビームを出したり、大怪獣を倒したりとかはできぬ御仁じゃ。そういう意味では『小粒』じゃが、自分のできる範囲で人助けを頑張っておられるよって、だんだんと実績もついてきておる」

 

よく知っている老人だ。ただ者ではなさそうだ。彼氏はその言葉を頭の中で反芻してみた。「なるほど、まずは足元からと。ありがとうおじいさん!」

 

老人は少し照れた。そしてここからがさらに大事とばかりに、言葉を続けた。「そうじゃよ。ことわざでも言うであろう。『大は小を兼ねる』、と。大きなことを成す人間は、小さなことも大切にするものじゃ。ヒーローとて同じ。大怪獣を倒す前に、まずは目の前の弱弱しき人間を助けるものじゃ」

 

そして、チラリとざんねんマンの方へ視線をよこした。その瞬間、老人の方から何やら重い振動音が伝わってきた。

 

ギュルルル・・・

 

胃袋が唸っていた。そう、老人は空腹を持て余していたようだった。

 

やりよりますな、おじいさん。この策士!となじりたいところだが、ここまで持ち上げられては、もはや逃げられん。

 

人助けのヒーロー、その場の流れと空気を読み、覚悟を決めたかのようにうなずいた。おじいさん。おなかすいているんでしょう。どこか一緒に食べにいきましょう。

 

「いやいや、それは悪かろて・・でも、いいのか?これはまた、さすがのヒーローじゃ」

 

老人は馳走に預かれると確信したか、ペロリ舌なめずりした。そしてついでとばかりにつぶやいた。「もしよかったら、どうじゃ、そこのお二人もご一緒に」

 

なんだかうまいこと乗せられてしまったが、ここはなんとしても「ヒーロー」の面目を保ちたい。やっぱり、ええかっこ、したい。

 

ウキウキ顔の老人、「やったあ」とはしゃぐカップルの隣で、一人だけ眉間にしわを寄せるざんねんマン。そろり自分の財布をのぞき、ため息をつくと、3人を連れ近くの飲み屋街へと繰り出した。

 

「ヒーロー」と持ち上げられ、老人にご飯をおごる羽目になったざんねんマン。会話の流れで加わった若いカップルも引き連れ、眉間にしわを寄せながらいきつけの焼き鳥屋へと向かった。

 

のれんをくぐると、「らっしゃーい」と威勢のいい掛け声。なじみの大将だ。「あら、今日はお連れさんたちとですか」

 

そうなんですよ。いろいろありましてね。ところでおじいさん、何を召されますか。そちらのカップルも。今日はもう、腹いっぱい食べましょう。

 

“全部自腹”の覚悟を決めたざんねんマン、開き直ったかのようにハイテンションで注文を促した。老人「すまんのう、それじゃあわし、ハツ・ミノ・つくね。あと、生の大」。カップル「私たちは10本おまかせで。あとチャンジャ。生はたくさんいける口なんで、ピッチャーお願いしやーす」

 

遠慮ないなあ。あーもう、この際なんでもこいだ。注文の嵐に上機嫌の大将、厨房でクルクルと串を回す。その間にジョッキが登場だ。今日はとことん飲んで食べましょう。カンパーイ!

 

ほどよく世代が離れた4人のトークは、意外と楽しかった。銀髪の老人は勤め人時代の武勇伝やら失敗談を面白おかしく聞かせてくれた。これから社会に船出する若いカップルは興味津々だ。一方の二人も純粋で希望にあふれる夢を語った。若者よ、前途は洋々と開けている。人生を知りすぎて臆病な中年と違って、ずんずん進むんだ。

 

一方のざんねんマンにも発言の機会が与えらえた。まあその、私も売れない咄家さんの一発逆転を助けたり、未来から逃れてきたロボットの人生相談に乗ったり、いろいろやりました。落ち武者の霊と口喧嘩してたら相手が勝手に成仏したこともありましたなあ。よく考えると、私が何かしたというよりも、相手さんが自分で問題を乗り越えていったような気がします。

 

「それこそが、小粒の小粒たる魅力よ」

 

老人がしんみりとつぶやいた。小粒は自分で何もかも解決することはできない。だがその非力さゆえに、巡り合う人々が自らを奮い立たせる。結果、誰かに頼る前にハードルを突破していくのだ。

 

ご老体、結構いいこと言ってくれるなあ。今日は本当にいい日だ。

 

そこはかとない幸福感をかみしめていると、厨房の大将がささやきかけた。「お客さん方、すいませんねえ、そろそろ店じまいで・・」

 

現実に引き戻された。そうだ。今日はおいらが全部出すんだ。しばらく切り詰めた生活しないといけなくなるなあ。でも、いい。ご老体がおっしゃったように、ヒーローならまず足元の苦しむ人々を救わないと。しばらくうまいご飯に預かってなさそうな、このご老体をもてなさないと・・

 

「今日は、僕に出させてください」

 

口を開いたのは、カップルの彼氏の方だった。

 

「今日は本当に勉強になりました。人生のこと、教えてくださってありがとうございました。大物になりたいなら、まずは身近にできるところから。ですよね」

 

ほおを目を丸くしたのは、老人もざんねんマンも同じだった。隣の彼女は、瞳の中で星が輝いていた。「かっこよすぐる。もうぞっこん」

 

いやいやここは私がーと制しようとするざんねんマンに、彼氏は優しく返した。「無理しなくていいですよ。手が震えてますよ」。苦しい懐事情が、しっかり見抜かれていた。

 

バイト代が入り、少し余裕があるという彼氏は、景気よく財布から諭吉を2枚取り出すと、店の大将に手渡した。

 

4人のそれぞれが、心の中にほっこり温かいものが広がるのを感じた。

 

ヒーローは、何も大怪獣を倒したり、極悪非道の黒幕に鉄槌を下したりできる限られた人のことだけじゃない。身近なところで誰かを助けたり、励ましたり、ときには奢ったりして、周りに元気と癒しを分け与えてくれる人なら、誰でもヒーローなのだ。むしろ、目立たないところで世の中に善の種をまき続ける人こそが本物のヒーローといえるかもしれない。

 

いやあ、実に申し訳ない。それでは、今日はご馳走になります。あざっす!

 

ざんねんマン、取り出していた財布をそろり懐に戻すと、力いっぱい頭を下げた。いやあ、彼氏さんは将来ビッグになりますよ。「大は小を兼ねる」っていいますからね。どこまで大物に成長するか、楽しみですなあ。

 

老人は美味しくただ酒をいただき、彼氏さんは大器の片りんを見せ、彼女さんはますますぞっこんとなり、ざんねんマンは幸福感と財布の重みをかみしめた。誰もが満たされ、誰もが表現しようのない力でみなぎった。

 

玄関で4人は散会した。若いカップルの多幸を祈願し、一本締めで宴はフィナーレとなった。

 

ほろ酔い加減で帰途につこうと歩き出したざんねんマンに、後ろから老人が聞こえよがしにつぶやいた。「まあその、またおなかがギュルギュルいってきたときには、誰か別のお方におすがりすることにしようかのう~」

 

味をしめられたらかなわないぞ。小粒のヒーロー、聞こえなかったふりをして、早足で終電の駅へと逃げるのであった。

 

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第37話・暴露系ユーチューバーとの対決

ピンポーン

 

日曜日の午後。アパートのチャイムが鳴った。

 

カップラーメンをすする手を止め、インターホンの画像をのぞいた。

 

びっくりした。

 

知らないお兄さんが、カメラ回してるよ。

 

人助けのヒーローことざんねんマン、不気味な訪問者に少し身構えながらも応答ボタンを押した。あのう、どちらさまでしょうか。

 

「あの、すいません。私はネットでユーチューバーやってる者です。最近、注目を浴びてるざんねんマンにぜひお話を伺いと思いまして」

 

言葉遣いは丁寧だが、明らかに何かを狙っている様子だ。ざんねんマン、生物としての本能が警戒モードがMAX近くにまで高まった。しかし、来客を断るのは人助けのプロとしての誇りが許さない。意を決してドアを開けた。

 

ギギ―

 

あいさつもなく、いきなり小型カメラを向けてきた。ひげの剃り残しが目立つ、休日のたるんだ顔面が、容赦なくさらされてしまった。

 

「ふっふ、今日はとことん暴露してやるぜい」

 

不気味な男が、小声でつぶやいた。このお兄さん、マジでヤバい人かもしれないぞ。ざんねんマン、穏便に退去願わんとコミュニケーションを試みた。

 

こんにちは。あの、私お金とか持ってないですよ。相手するだけ無駄かと・・

 

「いやいや何をおっしゃいますか。『人助けのヒーロー』をうたっているざんねんマンさん。さぞさぞおいしい思いもされてらっしゃることでしょう。あの手この手を使って、ね」

 

男はざんねんマンの話をまともに聞こうとしなかった。男がいうには、ざんねんマンが記録を更新している「人助け達成率100%」には裏があった。見せかけだけよくしようと、こそっとキーマンにお金を握らせているに違いなかった。寿司をほうばらせ、ときには豪華リゾート施設で接待しているに違いないんだ。じゃないと、実績を出し続けられるはずがない。今日はこの見掛け倒し男の裏を暴いてやるんだ。

 

なんとまあ、思い込みの激しい兄さんですこと・・

 

ざんねんマンの、ややあきれたような口調が、男の闘争心に火をつけた。

 

「おおー言ってくれましたなあ。暴露系チューバ―の『TERU』こと、このおいらを敵にするったあ、いい根性だ」

 

勝手にケンカを買われてしまった。

 

なんですか。そうですか。ああもう、いいですよもう。何が聞きたいんですか。聞いてくれたら、答えますよ。お兄さんの勝手な思い込みを解きほぐさないと、私も不本意ですんでね。

 

「気取ったこと言ってらあ。じゃあ聞きますけどねえ、あなたよく、駅前の牛丼屋に行ってますよねえ。それ、どうしてですか」

 

え、どうしても何も、牛丼が好きだからですよ。何か問題でも?

 

「ふっ。牛丼をパパっとかけこむふりをしながら、誰かと密談でもしているんでしょう」

 

密談、とな。あの短い時間で誰かと打ち合わせなんて、無理でしょう。それに、私のあそこの店のつゆが大好きでしてね。どんぶり以外に意識は向かってないですよ。

 

「おっと、早速ボロを出したみたいだな、おっさん。いま『つゆ』って言ったけど、それは何かの隠語なんだろう?それとか、『たまご』とか、『ねぎ』とか、キーワード使って、それとなく情報交換してるんだろう!」

 

男の瞳がキラリと光った。今日も再生回数稼げるぞ。そんな声が聞こえてきそうなしたり顔だ。

 

すごい推理、というか、邪推というか。あなた、違う分野でその疑り深さを生かしたほうがいいかと思いますよ。ああでも、確かにそうですね、私はよく『つゆだく』、頼みますよ。おなかすいたときなんかは『大盛り』ですね。たまには『ネギだく』もいきますなあ。あ、あと、やっぱり『ギョク(卵)』は外せませんなあ。

 

「だんだんと手の内が見えてきたぜ。ふっ。このTERU様にかかりゃあ、いんちきヒーローなんぞものの相手じゃないのさ。さあ、白状するんだおっさん。その隠語を使って、きっと人助けのサポートとか、やらせとか、さくらとか、段取りつけてたんだろう?」

 

あの、もう、すいませんが、どうして私なんかの牛丼話ごときに食いつくんですか。まったく変わりもんですなあ兄さんは。ああもう、面倒くさいなあ、いいですよ、はい。そうですよ。私はねえ、牛丼大好き人間ですよ。でね、よくどんぶりかっ喰らってるときに出動コールが掛かってきますよ。だから、勢いよくバーとのどに流し込んでね、そこの自動ドアからサーッと空に飛び立って・・

 

「なるほどね。すべてはこの牛丼屋から始まってると。ネタをしっかり仕込んでね。おそらく裏で動いているのは店員だな?きったねえ手を使いやがって。で、幾ら払ってるんだ?その店員に。1本(1万)か、3本か」

 

本当に無駄な妄想力を発揮しよりますねえ、お兄さんは。何を言ってるんですか。牛丼代だけに決まってるじゃないですか。

 

ざんねんマン、与太話には付き合っておられぬとばかりに片手で制止し、ユラユラさせた。そのしぐさが、また男の空想にエナジーを与えてしまった。

 

「な、なるほど、5本、とな。しかもその幅のある触れ方から察すると、もしや桁(けた)が違ったか。ひょっとして、50本・・・」

 

男がビクつくのが分かった。こいつぁすごい大物だ。さすが本当のワルは、やることもスケールが違うようだぜ。ただの牛丼屋の店員に、1件のミッションサポートで50本も出すとは。でかい仕事になったら、どれだけばらまくんだろう。すごい、すごいぜこのおっさん。今日は、本当の本当に、おいしいエサにありつけたぜ。

 

畏怖が混じったまなざしを浴びたざんねんマン、どう言葉を掛けたらいいものか迷った。勝手においらのキャラクターが創られていってるみたいだ。

 

あっけにとられるばかりの、間の抜けた表情を、男の小型カメラがなめまわすように映した。「おっさん、実はこれ、ライブで中継してるんだ。残念だったな」

 

なんとまあ、かみ合わないトークは世界中に配信されていたのだった。あらまた、なんということ。まあ私はいいですけどね。ただ、お兄さん、牛丼の話なんかで中継なんかして、視聴者にあきれられるんじゃないですか。

 

「なにいってんだ。おかげでダーティーヒーローの裏がのぞけたってなもんよ。ワルのやることは用意周到、誰にもバレず。ってね。酒場でもホテルでもなくって、ファーストフードの牛丼屋が舞台ってのは、誰も思いつかなかったんじゃないかなあ。やるね、おっさん。でも、これからは牛丼屋での『仕込み』はやめとくこったな。このTERU様が黙っちゃいねえぜ」

 

大漁大漁とばかりに男はカメラを止め、意気揚々と昼下がりの街中へと消えていった。

 

なんだったんだ、あの変な兄ちゃんは。

 

首をかしげ、リビングに戻った。食べかけのカップラーメンは麺が伸び切ってしまっていた。ああ、今日は家でゆったりしようと思ってたけど、おなかすいたままだ。仕方ない、いつもの牛丼屋いくか。あ、行ったらまたあの変な兄ちゃんに取り上げられちゃうのかな。ああもう、面倒くさい!ええもう構わん、おいらは好きな牛丼を食べにいくぞ!

 

ざんねんマンが覚悟を決め牛丼屋で「大盛り・つゆだく・ギョク」を注文したころ、ネットの世界はすこしざわついていた。

 

震源地は、暴露系ユーチューバー・TERUのチャンネルだった。

 

「おお!見てくれヒーローの『密談』の場所がようやくわかったのか!」「一件のインチキ出動で、さくら一人に5本!ワルはやっぱカネ持ってるねえ」「どこに金づるがいるんだろうな」「闇の世界を探るTERUのおかげで、さらに深い闇が見えた!」

 

熱烈なフォロワーたちのコメントは、ほぼ絶賛であふれていた。

 

ただ、一部、ほんの一部だが、冷静なコメントもあった。「あのおじさん、ただの牛丼好きだったって話なのでは」「言ってることだけ振り返ったら、そういうことになってしまうよね」「ああ、牛丼食べたくなってきた」

 

世界に闇を見出そうとする人にとって、世の中はどこまでも闇が潜んでいる。そこには真実があるかもしれないが、邪推が邪推を生み、無用な疑いや恐れ、怒りを生み出しているかもしれない。真実は意外と見たままで、つくらず、飾らず、ありのままなのかもしれない。ときには素の眼(まなこ)で世界をとらえてみる姿勢も、失いたくないものだ。

 

胃袋がギュルギュルと鳴りだしたところで、注文の品が着丼した。これこれ。うまいんだよなあ。幸せを感じるひとときだよまったく。いただきまーす。

 

涎(よだれ)が垂れんばかりのざんねんマン、今日もささやかな幸せをかみしめ、人助けへのエナジーへと変えるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

 

【ざんねんマンと行く】 第36話・「ツイてない」男の逆襲

まったく、運に見放された人生だ。

太郎は沈んでいた。先日、外回りの仕事で大通りを歩いていると、空から鳩のフンが降ってきた。スーツの肩にびちゃり。ハンカチで必死にふいたけど、シミがばっちり残っちゃった。おかげで、営業先で変な顔されてしまったよ。

身だしなみを整えられない非常識な人、って思われたかなあ。かといって、「違うんです、ついさっき、鳩が落としやがったんです」なんて言い訳がましく切り出すのも変だったし。まったく、ツイてないよ。

思えば、ツイてないこと続きだ。宝くじ、当たったー!と飛び跳ねたはいいけど、よく見たら組が違ってた。家族にぬか喜びさせちゃって、祝賀会モードが一気にお通夜状態だ。「わざわざ上げてから落とさないでくれ」と父親に真顔で言われたときは、自分の不運を呪ったね。

ほかにもいろいろある。大学受験のとき、雪の積もった路面で思いっきり滑った。そう、滑った。受験の結果は・・思い出したくない。そういえば、その年に神社でひいたおみくじは、「凶」だった。

ツイてない。こんな僕の人生、どこかで区切りをつけたい。運命を、変えたい。運命の神様、どうか僕の願いをきいてくださいまし~!

発された心の叫びを、むげに聞き流すことのできぬ男がいた。人助けのヒーロー・ざんねんマン。午睡をむさぼっていたが、はらりと布団をまくり上げ、太郎のいる鹿児島へと向かった。

おお、あなたが運命の神様ですか・・

太郎、突然現れた男に、しばし言葉を失った。「神様、どうか願いを叶えてくれませんでしょうか。あなたの、マジカルパワーで。僕を『運を呼ぶ男』に!」

マジカルパワーって、そんな。私は、申し訳ないですけど、そのサイキック系の能力は持ち合わせておりませんよ。

「ええっ?!嘘でしょ、じゃああなた、来た意味ないじゃん」

太郎が一気に興ざめする。罪もないのにダメ出しされたざんねんマン、少し傷心に浸った後、つぶやいた。

「運」だとか、「ツイてる」だとか。ずいぶんとまあ、掴みどころのない話ですこと。

「なんだとぉ?!あんたなあ、たしかになあ、運ってのは、あるんだよ!僕なんか、ツキに見放されまくってるんだぞう!鳩のフンかぶる人って、なかなかいないよ?おみくじで「凶」引く人なんて、レアだよ?もう、泣けてくるよ」

泣けてくるって、大げさな。ただ、鳩のフンをくらって、「凶」引いただけじゃないですか。あ、あと、滑ったんですね。それは残念でした。ですけど、まあその、深刻に考えすぎなんじゃないですか。

「お、おおげさだとお?!鳩のフンを、甘くみるんじゃないぞう!結構くさいよ!若い女の子とかがくらってたら、目も当てられないよ。あとなあ、「凶」なんて引いたら、普通の受験生は即倒するぜ。元気失うよ」

太郎はたしかにちょっとかわいそうな面はある。が、少し見方を変えてみれば、太郎のおかげで周りの人が助けられたと考えられなくもない。「まあ、受け止め方次第で、あなたの『運』も結構変わってくるんじゃないですか」

やや投げやり気味に答えたざんねんマンの言葉に、だが太郎が反応した。もう、こうなったら何でもすがってやる。受け止め方、か・・・

太郎は腕組みし、瞼を閉じた。これまで、自分のことしか考えてこなかった。自分という狭い世界の中だけで眺めると、出遭うことがらは不運ばかりだった。でも、ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

 

ひとたび周りに視野を広げると、確かに違う光景が浮かんできた。

鳩のフンをくらったあの日。もし僕がちょっと早足で歩いていたら、後ろを歩いていた人が代わりに臭い“洗礼”を受けていたのかもしれない。僕が神社で「凶」を引いたおかげで、誰か別の受験生が悲壮感にさいなまれることはなくなった。誰か、周りの人を救うことができた、そう考えられなくもない。

「僕は、誰か周りの人を守ったともいえるのか・・」

今、はじめて太郎は自分の人生に光明が差し込むのを感じた。僕自身は「不運な男」かもしれない。でも、同時に誰かを不運から守る「守り神」でもあるのだ。

「僕、元気、出てきたよ」

太郎の言葉に力がみなぎった。不思議そうに見つめ返すざんねんマンを再び東の空へと送り出すと、実にすっきりした表情で夕暮れどきの銭湯に向かった。

それからの太郎は、職場であれ、家庭であれ、態度が変わった。何より、全身に自信がみなぎった。「僕は、不運なだけじゃない」

こないだは、路上で犬のふんを思いっきり踏んじゃった。おかげで、後ろを歩いていた女子高生は助かったと思う。自分でいうのもなんだけど、僕はまあ、守護神みたいなもんだな。

いつもどこか侘しい雰囲気のぬぐえなかった太郎が、活力とユーモアのある青年に変わった。職場でも、過去の“不運ストーリー”を臆さず話しだした。周りからはいつしか「ガーディアン・太郎」と呼ばれ、慕われるようになった。

太郎さんと一緒にいると、何かいいことが起きる、いや、悪いことから守ってもらえるーとのうわさがひろまった。太郎から半径5メートル以内のエリアは「太郎バリヤー」と密かに名付けられ、人事異動では太郎の両隣と前の席を希望する若手が続出する事態となった。

その後も相変わらず、太郎はツキに見放された。先日は、セミに小便をかけられた。電車待ちのホームで、酔っ払いにからまれた。それでも、太郎はひねくれることはなかった。僕は、誰かの役に立った。のかもしれないのだ。

降りかかる出来事は同じでも、見方を変えることで、景色がひっくり返る。心持ちが、変わる。不思議なものだ。

自らの不運っぷりとは裏腹に、周囲を惹き付けるようになった太郎。それまで周りから気づかれることもなかった、生来の真面目さと少しのユーモアを理解してくれる人が増え、職場の人間関係は以前にまして良くなった。仕事のパフォーマンスも上がり、やがて待遇にも反映された。それは、もはや「運」頼みではなく、太郎の本来持っている素質という「実力」のもたらした果実であった。

人生に自信を取り戻した太郎、その後も折々にざんねんマンのことを思い出した。「甘い気持ちに喝を入れてくれた、あのおじさんに感謝だ。マジカルパワーなんかに頼ることなんかなかった。最後は、自分の心持ちだったんだ」

一方のざんねんマン。太郎の心境の変化を知るよしもなく、「あの青年、また『トンビにかき揚げさらわれた~』とかいって泣いているんだろうなあ」と憐憫の情を抱くのであった。

 

【ざんねんマンと行く】 第35話・AIに勝るもの

江戸は外堀を望む、東京・市ヶ谷。囲碁文化の発信拠点である〇本棋院で、役員たちが苦い顔を突き合わせていた。

 

ファンの掘り起こしが、進まない。

 

SNSの時代だ。スマホを見れば動画サイトに目がいってしまう。イケてる少年少女、お兄さんお姉さんたちが、キレッキレのヴォイスとダンスでちびっ子たちを虜にしている。基本、あたま、使わない。囲碁?なんだそれ。つまんない。

 

10年ほど前。とある人工知能(AI)が、「地球史上最強」と呼ばれた中国の天才棋士をガチンコ勝負の末に下した。そのニュースは世界を震撼させた。あれだけ複雑で、チェスや将棋より圧倒的に展開が無限ともいえるゲームで、AIが正確に勝利への道筋を読みぬいたのだ。知能という面で、人類が「敗北」を自覚した最初の出来事といえるかもしれなかった。

 

中国で生まれ、東アジアはもちろん今や世界に広がっている知的ゲームは、少なからずその魅力を削がれたように見えた。AIが、人間の知力の限界を如実に突き付けてしまったからだ。根っからの囲碁ファンたちの間でも、心の奥にどこか興ざめ感と寂しさが潜むのを認めざるをえなかった。

 

それでも、なんだか、負けたくない。悔しい!AIをやり返して、囲碁文化の輝きを取り戻したい!担い手となるちびっ子たちを、振り向かせたい!

 

役員たちの切実な議論の末、一つの打開策が浮かび上がった。

 

人助けのヒーローこと、ざんねんマン。見掛けもそぶりも頼りないが、それでも頼まれたミッションは100%を維持している。この男に、人類が誇りを取り戻すための重役を任せよう。AIに、勝ってもらうのだ!

 

プルルル

 

早速、電話でつながった。ざんねんマン、依頼内容を聞き終えるや深く息を吐いた。

 

んなこといっても、わたしは囲碁なんて打ったこと、ないんですが。ちょっと無理かと・・


残念だ。非常に、残念だ。電話越しの〇本棋院役員は落胆の色を隠さなかった。それでも、この男なら何とかやってくれるはずなんだ。そうなんだ。最後はきっと、奇跡的な一手を放って勝利をもぎとってくれるはずなんだ。

 

「なんでもいい。囲碁知らなくったっていいです。これから我々役員が教えますから。だからお願いです。我々が設ける『対AI・リベンジマッチ』に出場を!」

 

熱のこもった要請に、人助けのプロのハートが揺さぶられた。よござんす、無知蒙昧の輩ではございますが、誠心誠意、一生懸命頑張らせていただきましょう。

 

人類の誇りを掛けたイベントの開催は、1か月後と決まった。トップ棋士団と、ざんねんマンによる密で熱いトレーニングが始まった。

 

 

 

人類の誇りを取り戻さんべく、トップ棋士団とざんねんマンによる濃密なトレーニングが始まった。

 

まずは囲碁のルールから勉強だ。囲碁とは、簡単にいうと「陣取り合戦」だ。

 

①    広い碁盤の上で、白か黒の石を並べてつなぎ、その内側を自らの陣地(「地」と呼ぶ)にすることができる。


②    相手の石の外側を、自分の石で隙間なく包むことができれば、その石をすべて取り上げることができる。取り上げた石は、自分の「地」としてカウントできる。

 

エッセンスは以上となる。ほかにも細かい決まりはあるけど、実践しながら覚えていくほうがはやいだろう。

 

「さあ、ざんねんマンさん。これからしっかりと力をつけてもらいますよ」

 

棋院でも長老格の男性が、気迫を全面に出しながら盤の向かいからギロリ見つめてくる。うへえ、こんな前のめりでこられたら、辛抱かなわんよ。ボチボチやっていけまへんかいな。いうても、知的「ゲーム」でっせ。

 

ぼやきも届かず、スパルタ式のレクチャーが始まった。「まずは序盤戦で主導権を握ることが大切です」

 

広い盤面の中でも、四隅は石で囲いやすい。まずはここを抑えよう。相手が攻めてきたら、古来の知恵が詰まった受け技「定石」で対応すればいい。

 

ただ正直、中盤以降は実力差が如実に現れる。「そのときはざんねんマンさん、あなたのヒーローパワーでなんとか乗り切ってください」

 

なんちゅう無理な注文じゃ。ざんねんマンの頭の中に、初めて「オファー辞退」という言葉が浮かんできたが、今さら逃げるのも格好悪い。ええままよ、このまま潔く恥をさらすまでよ。

 

なんとかかんとか、基本ルールだけは覚えたところで大会当日を迎えた。対局には3時間の枠が与えられた。ライブでネット中継される予定だ。はてさて、結果は白と出るか、黒と出るか。運命の対局は、ざんねんマンの黒番で始まった。

 

「黒、16の四。星」

 

序盤から十数手は、お互い手堅い布石で打ち進めた。ネットの中継スクリーンでは、視聴者たちが寄せるコメントが右から左へと流れていった。「今のところはがっぷり四つだな」「さすがはヒーロー。経験ゼロからよくここまできた」

 

だが、ものの30分ほどで形勢は傾き始めた。石と石とがつばぜり合いを始める中盤以降は、一手の打ち損じが石の死活に直結する。基本ルールしか身についていないざんねんマンにとっては、荷が重すぎた。それはまるで、真剣でたたずむ剣客にちびっ子チャンバラを振り回す坊やのようであった。

 

スクリーン上部に映し出される、AIによる形勢分析ゲージは、勝負の行く末を冷酷に予言していた。勝利確率は、AIの98%に対してざんねんマンは2%。解説のプロ棋士は「ここまで偏ると、もはや・・・」と力なくつぶやいた。

 

大石を囲まれ、奪われた。敵方の白石が盤上で勇躍していた。勝敗は決した。開始からわずか50分。ざんねんマンは「参りました」と頭を垂れた。

 

「おーいおい」「なんだよまったく」「ヒーロー失格」「顔洗って出直してこい」「丁稚奉公からやり直し!」

 

スクリーン上で、さんざんに叩かれた。恥辱の極み。だが、このまま逃げ帰ることもできなかった。ネット中継は3時間の枠が設定されていた。残った時間は、一局を振り返り、反省点を整理するのが常だ。

 

対局時間よりはるかに長い、前代未聞の「感想戦」が始まった。そこから、ざんねんマンを含む人類勢の巻き返しが始まるとは、誰も予測していなかった。

 

感想戦」が始まった。

 

ここからは、解説のプロ棋士らも交えてのトークになる。「いやあ、なんともな結果になりましたが、どうですかざんねんマンさん。心境は」

 

いやあ、まずもって、皆さまの期待にお応えすることができず、申し訳ない限りです。

 

沈黙がしばし続いた。1手ずつ、振り返っていった。

 

プロ棋士「序盤はよかったんですけどね、中盤の、まずここ。相手に囲われたけど、一間飛んでおけば抜け出せたんですよ」

 

「一間飛ぶ」って何だ?ざんねんマン、ポカンと口を開けた。

 

中継画面が、ザワつき始めた。「このおっさん、分かってねえ」「間が抜けてる感じがたまらん」

 

淡々と解説は進んだ。「相手のこの石は、『鶴の巣ごもり』で獲れたんですよ、もったいない」

 

専門用語がどんどん続く。なんだか、難しすぎて頭に入ってこない。でも、聞いた感じがカッコいい。思わずつぶやいた。

 

棋士さん、すごいですね。どんな頭したら、そんな手とか思いつくんですか。

 

唐突な賛辞に、棋士は戸惑った。照れた。「いやまあ、一応プロですから・・」

 

その後もざんねんマンの賞賛は続いた。プロ棋士の「私なら、この局面ではここに打つ」と指した先に、ざんねんマンは目を丸くした。敵陣深く切り込む一手。素人目線では考えもつかない渾身の一撃だ。はあ、「気合い」ってこういうことをいうんでしょうなあ。

 

古来より、知恵者たちが幾多の戦術を編み出してきた。もはや極めつくしたかと思われる段階に至ってなお、新たな世代がさらなる手筋を見出している。それだけではない。局面局面でみると、プロアマ問わずひらめきの一手が、それこそ無限に放たれ続けている。ひらめき、気合、信念・・。AIの得意とする「勝負」とは異なるフィールドで、人類の精神は輝き続けている。

 

「まあ、あれだ。このおっさんみたいな素人でも楽しめるのも、囲碁の面白さなんだよな」

 

ネット上のコメントが再び元気を取り戻し始めた。「そうなんだよな、下手の打つ碁ほどヤジりがいのある対局もないし」

 

あるネット民は、囲碁を題材にした落語の小噺を披露した。「『笠碁』っていうんだ。ヘボ碁を打つ者同士、仲良くなっちゃうもんだってね。いい道具だよ。勝ち負けなんか二の次ってなもんだ」

 

実に奥行きの深い世界が広がっている。「囲碁がルーツのことわざも多いよな。『一目置く』とか」

 

「岡目八目」ということわざもある。物事は離れて見ることで(岡目)、客観的にとらえることができる(八目)という意味だ。日常生活でも充分に通じる、知恵の一言だ。

 

まだある。最近は「囲碁ガール」なんてかわいいプレイヤーも登場している。社会人になって始めるOKもいる。知的エクササイズにぴったりだ。

 

昔は「碁会所」といわれていた空間も、最近では「囲碁カフェ」なんておしゃれな名前に変わってきた。それこそ、囲碁ガールなんて一人でもきたら場の空気がガラリと変わる。男連中は「いいとこ見せよう」と下心を丸出しにし、優しく手ほどきしだす。まったく、けしからん。いや、「うらやまけしからん」というべきか。

 

海を越え、技を競い合い、称え合えるのも囲碁のすばらしさだ。純粋なる尊敬の念が、プレーヤー同士の心に芽生える。草の根の国際交流とは、こういう活動をいうのかもしれない。

 

あるときは人間の発想力を際立たせ、あるときは友情をはぐくむ。ときには運命の出会いをもたらす舞台装置にさえなる。囲碁という、人類が生み出した素晴らしい知的ゲームは、勝敗とは次元の異なる分野で、今も燦然とその魅力を発し続けている。

 

「すごいですね」「天才ですか」「同じ人間とは思えない」。賛辞の嵐を送るざんねんマンに、解説のプロ棋士はもはや照れで真っ赤っ赤になっていた。ネット民たちも「もうこれ以上褒めないでん」と悶絶状態になっていた。

 

人類は、自信を失うことなんてない。AIに、すべてで追い抜かれてしまったというわけじゃない。むしろ、AIのおかげで人類ならではのすばらしさ、魅力に気づくことができたのだ。

 

楽しもう、囲碁を。遊ぼう。驚こう。感動しよう。そしてときには、下心丸出しで手ほどきしよう。

 

3時間の長丁場が終了間近に迫ったころ、会場は不思議な高揚感に包まれていた。

 

「ざんねんマンさん、ありがとう」

 

解説のプロ棋士が、そっとざんねんマンの手をとった。柔らく、温かかった。

 

囲碁の奥深い魅力に光を当て、ファン再発掘に予想外の貢献を果たしたざんねんマン。拍手に送られ会場を後にしながら「もうちょっと覚えて囲碁ガールにアピールできるようになろう」と早くも下心をのぞかせるのであった。

 

 

~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 第34話・妖怪の世界にもゴタゴタはある

風もないのに、窓がガタガタ揺れている。

 

深夜、都内のアパート。人助けのヒーローこと「ざんねんマン」の眠りを、やや不気味な音が揺り起こした。布団をまくり、満月の照らす夜空のほうを見やる。と、何やら白い布のようなものが打ち付けている。

 

ガラガラ

 

空けたとたん、白いものがヒュルリと入ってきた。やたら長い。反物のようだ。短いが手足までついている!これはもしや?!

 

「モメーン」

 

反物がしゃべった。あの伝説的妖怪、一反木綿(いったんもめん)だ!ざんねんマン、怖さより感動が上回る。これはこれは、どうも初めまして!

 

「カモーン」

 

一反木綿、どうやら会話が苦手のようだ。小さな指を自分の背中に向け、乗るよう必死に促してくる。何か緊急事態があったのだろう。ざんねんマン、迷うことなくえいやと乗り込んだ。

 

開け放した窓の隙間をすり抜け、月明かりの照らす夜の空へ。ヒュルヒュルと気持ちよく風を切り、こんもりと茂った山の中へ入っていった。

 

茂みを抜け、降り立った野っ原では、ざんねんマンの度肝を抜く光景が広がっていた。

 

この世のものとも思えない生き物たちが、ずらり集合している。目玉がそのまま顔になっている生き物がいるかと思えば、目も鼻も口もない人間が立っている。いずれも、人間の空想が生み出したとされる、妖怪のようだ。

 

子どもの頃から憧れてきたキャラクターたち。ざんねんマン、興奮を抑えることができない。が、深い感慨は、その場の意外にピリピリした雰囲気によって冷や水を浴びせられた。

 

「ようよう、おめえ、最近やけに目立ちやがってよう」「そうだそうだ、自分ばっかり注目集めやがって」「もっとおとなしくしろってんだよう」

 

一人の妖怪を数十人が取り囲み、やんやと罵声を浴びせている。はりのむしろ状態になっているのは、口のとがった姿が特徴的な妖怪、アマビエだった。

 

感染病が流行り始めた数年前から、「疫病を鎮めるシンボル」として人間界で脚光を浴び、今やその存在を知らない日本人はいないほどだ。

 

周りの妖怪たちは、みんなしかめっ面をしている。なんでこいつだけ注目されるんだ。不公平だ。嫉妬の情念が、どの顔にもあふれている。

 

「ヘールプ」

 

一反木綿が、ざんねんマンの耳元でささやいた。けんかを止めてほしい、と訴えているようだ。心優しき一反木綿、愛する仲間たちの絆をつなぎとめるため、遠く人間界にまで助けを求めにきたのだった。

 

人助けも、妖怪助けも、誰かの役に立つという点では同じこと。よし、いっちょやったろう。

 

ざんねんマン、意を決して輪の中に入っていった。「まあまあ、みなさん」

 

見知らぬ人物の突然の登場に、場が一瞬、凍り付く。

 

「な、なんだこいつ」「あ、まさか!なんで人間がここに!」「部外者は出ていけ!」

 

敵意をあらわにする妖怪たち。だが、ざんねんマンも退かない。

 

「けんかはよくないです!正直、格好悪いですよ、みなさん!」

 

プライドを傷つけられたか、群衆がわめきたてる。「俺たち妖怪はなあ、注目されてなんぼなんだよ。見られてなんぼ。意識されなくなったら、消えてなくなっちゃうんだよう」「そうだそうだ、だから、アマビエの野郎に人気を独り占めされたら、困るんだ」

 

妖怪たちの罵声とも悲鳴ともつかぬ叫びがひとしきり続いた後、ざんねんマンが口を開いた。ここから、反撃だ!

 

「じゃあ言わせてもらいましょう。まずそこの方!さっき、私に砂を振りかけてきた、あなたですよ!」

和服をまとった白髪のおばあさんを、ズズーンと指さした。みんな知ってる、砂掛けばばあだ。

 

「あなたね、30年以上前から結構な頻度で、テレビ出てたでしょう!『人気を独り占めされてる』なんて、どの口が言いますか!」

 

予想外の逆襲に、おばあさん、ひるんだ。ざんねんマンがたたみかける。「お隣のご主人も同じですよ!しかも、夫婦そろって“いいもん”役で出てるなんて。おいしすぎでしょ!」

 

図星とばかりに舌をペロリと出したのは、子鳴きじじい。エーンエーンと泣くしぐさも、今日ばかりはかわいくない。

 

目が合った妖怪の一人一人に、ざんねんマンは語りかけた。切れ長の目と鋭い八重歯が印象的な娘には、耳元でささやいた。

 


ネコ娘さん。深夜番組で再登場してましたね。しかも、めちゃめちゃカワイイ子の役で。ファンが爆増したの、知ってますよ」

 


ネコ娘のほおが、ほんのり赤く染まった。

 


ひねくれた表情で冷ややかな視線を向ける、全身緑色の妖怪には、こう投げかけた。

 


「河童さん。あなたこそ人気者の筆頭でしょう。なんたって、『河童の川流れ』ってことわざがあるくらいじゃないですか」

 


それでも、不満げにほおを膨らませる者もいた。その一人が、アマゾンの原住民族を思わせる筋骨隆々の妖怪だ。

 


「妖怪チ〇ポさん。私は知ってるんです。猫娘さんたちほど有名じゃないけれど、あなたも実は映画デビューしてたことを」

 


今だけを見てると、不公平に思える環境に不満や愚痴が出てくるかもしれない。でも、みんなどこかで誰かから恩恵をいただいているもの。そこに思い至れば、怒りの炎も静まるかもしれない。

 


「みなさん、そこそこ、おいしい思い、させてもらっているんじゃないですか。アマビエさんが人気になっても、いいじゃないですか。喜びましょうよ」

 


張り詰めていた空気が、徐々になごんでいった。よくよく考えてみれば、アマビエなんか、これまでほとんど人の目にさらされることがなかった。生まれて初めて、存在を認められたようなものだ。これまでの苦労をしのぶにあまりある。それに、アマビエのおかげで妖怪そのものへの注目度も高まってきた。我々妖怪は、アマビエに感謝しなければいけない。

 


「アマビエ、がんばれよ」「お前の活躍、応援するぜ」「もし、コラボできそうだったら、声掛けてな」

 


罵声はあたたかいエールに変わった。励ましの声に囲まれ、アマビエは恥ずかし気に頭を下げた。

 


妖怪たちの仲間割れを防いだざんねんマン。ほっと息をつき、静かに立ち去ろうとする背中にも、じんわりくる言葉が投げかけられた。

 


「あんたは、妖怪界の救い主だ」「きみを『名誉妖怪』に認定しよう」

 


再び一反木綿にふわり乗り込み、一路都内の自宅へ向かった。これで、よかった。憧れの妖怪たちは、また仲良く暮らしていけそうだ。

 


西の空に沈みかける満月を眺めながら、ふと思った。「あの妖怪さんたち、でも結構目立ってるよなあ」。なんといっても、かなりの妖怪を日本人は知っているのだ。

 


「それに比べて僕なんか全然。不公平だべ」。茶目っ気交じりに、分不相応な愚痴を漏らした。相方の一反木綿、諭すように「ノンノーン」と両手でバッテンマークをつくるのであった。

 


~お読みくださり、ありがとうございました~

【ざんねんマンと行く】 ~第33話・人生訓はいつ、誰の胸に響くか分からない(下)~

ざんねんマンも、人事部の小手川も予想しないところで、冴えないはずの体験談が希望の光をもたらしていた。

 

放心の体で椅子にたたずんでいたのは、企画開発部の管理職、坂本。

 

アラフィフ。有能な技術者で、社交性もあって順調に職位を上っていたが、会社組織の性(さが)、避けて通れぬ激烈な出世競争であえなく敗れ、今は安定と引き換えにやる気の盛り上がらない仕事をしている。

 

出世という夢が幻想に終わった今、俺はどこに生きがいを求めたらいいのか。

 

能力も野心もある男だけに、落胆の穴を埋めるのは容易でなかった。鬱屈した日々は、3年ほど続いていた。

 

そんなときに現れたのが、しがないヒーローだった。いわゆる、リーダータイプじゃない。会社組織でいえば、主流には乗らない存在だ。憧れのウル〇ラマンみたいに、人々の注目と喝さいを独り占めできるほどのカリスマ性もない。ヒーロー業界でのし上がっていくことは、たぶんこれからもできないだろう。

 

でもなぜか、この男には魅かれるものがある。今の俺の境遇と重なるところがあるからかもしれない。でもそれだけじゃない、この男の生き方に、なにかうまく言葉にできない希望と力があるように感じるのだ。それは何なのだろう。

 

広いホールの、どこを眺めるでもなく、心の中で沸き上がる思いに、目を凝らした。

 

自分が主役にならない。その器も、ない。ただ、誰かを支えようと無心に立ち回っている。失敗も相当やらかすが、 気持ちに免じて周りが赦してくれている。それだけではない、頼りないこの男の素朴さが、出逢う人々の警戒心を取り払い、優しさや、その人が本来持っている強さを引き出しているようだ。

 

地位や名誉とは違った世界でも、得られるやりがいと幸せがあるのかもしれない。

 

出世という夢からはそっぽを向かれてしまったけれど、その分、気楽にもなった。もう、上を目指してあくせくしなくてもいいのだ。安定を保証された世界で、今度は違うやりがいを探してみよう。会社員生活もまだ続くのだし、楽しみを見つけたほうが自分の人生にとってプラスだ。

 

坂本は、「顧客の満足度向上」について考えるようになった。昔から、商売成功のコツは「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」といわれている。それを磨き上げるにはどうしたいいのだろう。

 

組織の歯車である一介の管理職に、特別何ができるというわけではなかったが、学生のように一つのテーマについて考え、取り組むことは坂本に少なからぬ喜びをもたらした。一度は投げやりになりかけた会社員人生に、再び小さくも確かな灯がともった。

 

部下に不必要なプレッシャーをかけることもなく、ひょうひょうと管理職仕事をこなす坂本の職場は、そこはかとなく和やかな空気で包まれた。面白そうなアイデアを出す若手には、なるべくチャレンジの機会を与えた。みんな坂本のことを「出世街道から外れた人」だと知っていたが、慕ってきてくれた。「俺に取り入ったって、うまい汁は吸えないぞ」とおどけても、「いいんですよ、僕らはそんな気さくな坂本さんが好きなんです」と動じなかった。

 

坂本はプライベートでも新たな楽しみを見つけた。経済学の勉強だ。昔から、世の中を幸せにする手段として、経済の仕組みに興味を持っていた。もう今から社会に貢献できることは少ないかもしれないけれど、成果や実績は気にせず、学びたいことを学んでいこう。

 

夢をあきらめ、夢を見つけた。あの男の、ひょうひょうとした生き方の一端に接し、だいぶ気持ちが軽くなった。あの男、ざんねんマンとやらに、感謝だ。

 

初めて務めた講師役で、大恥をかいてしまったざんねんマン。その生きざまは、企画した会社側が期待した相手(新人社員)にこそ響かなかったが、人生経験を重ね、酸いも甘いも味わった人間に、深く刺さっていた。

 

その言葉や体験が、誰の心に響き、役に立っているか分からない。同じ人に対してでも、年月を経てようやく伝わる可能性もある。例え目先の成果が得られなかったとしても、必ずしも落胆することはないのかもしれない。

 

傷心のままアパートに帰宅したざんねんマン。「今度お呼ばれしたときは、もっと実績を『盛って』語るかぁ」と少々ズルいことを考えるのであった。

 

~終わり~

【ざんねんマンと行く】 ~第33話・人生訓はいつ、誰の胸に響くか分からない(上)~

「実績を積む極意」

 

垂れ幕にしたためた演題に、経営陣の期待が垣間見えた。

 

とある食品加工メーカーが開いた、新入社員研修会。大ホールに集結した若手約50人の表情には、一様に期待とほどよい緊張の色がにじんでいた。

 

「えー本日は、会社組織におきまして着実に成果を出すための心構えにつきまして、皆さんに考えていただきたいと思います」

 

人事部長の小手川が、壇上から新人たちに語り掛けた。「それでは早速、講師の方をご紹介しましょう。先生、さ、どうぞ前へ!」

 

静まり帰った会場の後方で、着なれないスーツに身を包んだ男が立ち上がった。人助けのヒーローこと、ざんねんマンだ。ややうつむきがちに、照れた様子で歩みを進める。手作りの仮面に生活感が漂う。

 

「ざんねんマン先生におかれましては、人助けのプロとして、この激動の時代に安らぎをもたらさんべく、日夜活躍していらっしゃいます。皆さんご存じかと思いますが、先生の人助け成功率は、100%です。よいですか。100%なのです。なぜ先生が完璧な実績を積み上げていらっしゃられるのか。その点につきまして、お話を伺い、わが社のこれからを担う皆さんの糧にしていただきたいのです」

 

小手川が熱を込めて新人たちに語り掛ける。「本日はわが社の無理なお願いを快くお受けくださいまして、本当にありがとうございます、先生」

 

ステージで握手を求められる。講師なんて、生まれて初めてだから慣れないよ。こっぱずかしいな。でも俺、カッコいいかな。ウヒョヒョ。自尊心をくすぐられ、はしたなくニヤけるざんねんマンに、講師の風格を期待するのは無理な注文であった。

 

壇上のマイクに立つ。ええ、みなさま、初めまして。私は人助け専門のヒーローです。新人です。私らの業界では、すでに諸先輩の皆様が活躍されていらっしゃいます。日本ですとウルト〇マン様、アメリカですとバッ〇マン様が雲の上の存在です。歴戦の猛者たちであふれておりまして、私のような者はとても畏れ多いのでございますが、まあ小物なりに若干のお役には立てるんじゃないかと思いまして、日々お仕事をさせていただいております。

 

少しずつ、過去の出動歴を語り始めた。

 

初めて人助けに向かったときのこと。海辺でおぼれかけた少年の救出劇、といきたかったが、実は泳ぐのが大の苦手で、見かねて奮起した少年に助けてもらったこと。

 

いま一歩花開かない、若手の仏師から救いを求められたときのこと。手作りスーツで登場したら、「神仏がこれほどみすぼらしい姿とは」と心底がっかりされたこと。それなのに、しばらくしたら「固定観念の呪縛から解き放たれよ」と力強く宣言し、創造力あふれる作家へと脱皮されていたこと。

 

夜中に落ち武者の幽霊と遭遇したときのこと。うなされたし、怖かったけど、「幽霊だろうが何だろうが関係ないですから!おじさんは、おじさんですから!」と言い返したら、なぜか分からないけど「ありがとう」といって成仏してしまったこと。

 

残念なことに、どのエピソードをとってみても、「人を救った」と胸を張れるような活躍ぶりは見えないのであった。

 

ざんねんマンが上気して語るほど、会場はしらけた空気が広がっていった。「たまたま結果がついてきたってことじゃないの」「憧れるヒーロー像じゃないよな」「このおじさんみたいな、頼りない管理職にはなりたくないわ」

 

小声でささやき合う新入社員たち。共通するのは、落胆と軽蔑だった。

 

あ、これで私の出動歴は以上です。ご清聴、ありがとうございました。

 

まばらな拍手が、若者たちのせめてもの反発を表わしていた。人事部長の小手川も、企画倒れを悟ったとばかりにうなだれた。

 

一応、新人たちのために質問タイムが用意されていたが、手は挙がらず。盛り下がった空気の中、ざんねんマンは気まずそうにステージを降りた。

 

今日の今日こそは、やってもうた。大失敗だ。誰を助けることも、できなかった。僕はやっぱり、へっぽこ人間だ。

 

つまらない与太話から解放されたとばかりに、くつろいだ空気が漂いはじめた会場に、一人、放心の体で椅子に腰かけたままの男がいた。

 

「これだ、俺が目指すべきは、こんな生き方だ」

 

ざんねんマンも、人事部の小手川も予想しないところで、冴えない体験談が希望の光をともしていた。

 

~(下)に続く~来週末出動!

【ざんねんマンと行く】 ~第39話・口下手な居酒屋大将のささやかなる挑戦(中)~

そうだ、今日はこの大将を助けないといけないんだった。悦楽の世界からふと我に返ったざんねんマン、無言でうつむく大将の頭頂部を眺めながら、策を練った。

まず、話をしようにも会話が続かない。どうしたもんか。こうなったら、独り言作戦でいくか。

ざんねんマン、一人でぶつぶつと思ったこと感じたことをつぶやいていった。

あー、ここの料理、とっても美味しいなあ。でも、なんかちょっと寂しいなあ。話、したいなあ。やっぱり、コミュニケーションって大事だよなあ。

下を向きながらもしっかりと聞いている勝は、ざんねんマンの一言一言にピクピクと体を震わせて反応した。

(そうなんだ、コミュニケーションが、大切なんだ。それは、分かっているんだ。でも恥ずかしくって、できないんだよ)

勝は心の中で答えた。その気持ちを汲み取ったかのように、ざんねんマンは続けた。あー、確かに世の中には口下手な人っているよなあ。まあ、無理強いしたってきついだろうしなあ。だったら、やり方変えたらいいかもなあ。

例えば、気持ちを口ではなく文字で伝える。暖簾に書く。看板に書く。メニュー表に書く。今日の気持ち、料理に込めた思い。読んでもらえるかは分からない。リアクションがくるあてもない。逆に引かれるかもしれない。それでも、何もしないよりはましだ。人柄を、料理にかける思いを、分かってもらうためには、やってみて損はない。

ざんねんマンの、聞こえよがしにつぶやくアドバイスは、勝の鼓膜にジンジンと響いた。そうだよな、このまま無策でいてもジリ貧だ。書くのはちょっと恥ずかしいけど、しゃべるのに比べたらまだましだ。いろいろ、試してみることにするか。

熱燗にも手を伸ばし、すっかり出来上がったざんねんマンをなんとか玄関まで送りだした後、勝は大きく深呼吸した。「明日から、挑戦だ!」


~(下)に続きます~